片脚のスピードスターの輝き

和泉茉樹

片脚のスピードスターの輝き

 2020は彼にとって一つの契機ではあった。

 まずは2018に時代を戻すとしよう。

 彼は東南アジアの国の陸上選手で、短距離走のエースだった。十六歳で国際大会において百メートル走の決勝に残った。タイムもまだまだ伸びる余地があるのは歴然としていて、彼の母国では、英雄になることを約束されていると言ってもいいほどの、注目の的だった。

 事故が起きたのは2018年の冬。南半球の大陸の一つで、国際大会があり、彼は十八歳になっていた。自己ベストは世界記録に迫り、世界的に見ても彼がその大会で輝かしい成績、栄光を手にするのを大勢が期待し、また予測した。

 しかし予選の前日、彼は練習していたグラウンドから宿泊先のホテルに戻る途中で、その事故にあった。

 車同士の衝突事故。

 彼が死ななかったのは奇跡だと、スポーツ大会のために集まっていた世界中のメディアが報じたが、その報道は、すぐに別の側面に焦点を向けた。

 彼は激しく損傷した車体に挟まれ、左脚を失っていた。膝の下で潰され、ほとんどちぎれた彼の脚は、世界中のどこを探しても、再生することが可能な医者はいない。

 彼自身がその事実を知ったのがいつなのか、それは本人以外にはわからない。ただ彼のトレーナーは後になって「自暴自棄になっていた」と断片的に口にした。

 こうして彼は栄光の階段から転落し、そしてその階段に挑むことは二度と不可能になった。

 母国に帰った彼を迎えた人々は、表情に困り、かける言葉に迷った。

 家族だけは涙を見せ、彼の無事を神に感謝したが、彼自身は神を呪ったようだった。

 絶望に捕らわれたまま、治療が終わり、次はリハビリになる。一人の身体障害者に過ぎない彼は、やがて人々から忘れ去られ、彼は限られた世界で、ひっそりと、まるで自分の存在を過去から消すように、息を潜めて生きていた。

 2019年がやってきて、彼はどうにか杖をつかず、義足で歩けるようになった。既に誰もが彼のことを忘れかけていて、時折、テレビ番組が取材に来た。悲劇に見舞われたスターを取り上げる番組で、二度三度とそれが重なり、ついに彼は全ての取材を断った。

 家から出て買い物へ行く。道を子どもが走り抜ける。それさえもが彼には苦痛だったが、しかし走り回ることは自然なことで、彼自身、自由に走ってきたのだ。誰かの足を羨んでも、もう彼には片脚がない。

 動かしがたい、非情な現実。

 買い物の帰りに、喫煙の習慣が身についていた彼は、寂れた街角のキオスクで新聞を買おうとした。たまたま、最近、興味を持った海外のバスケットボールの試合結果が見たかったからだ。

 タバコ一箱と新聞、そして店主との当たり障りのない会話。

 店を離れると、彼はすぐにタバコをくわえ、火をつけた。どこかぎこちなく歩きながら、新聞を見て、バスケットボールの試合結果とその記事を読み、折り畳もうとした。

 まさに折ったところで、その記事を見た。

 それは、身体障害者の短距離走の選手が、健常者に混ざってレースに出て、国の代表選手に選ばれた、という記事だった。

 呆れ返った彼は、口からタバコから落ちたのにも気づかなかった。

 よろめきながら、すぐそばの誰の家とも知れない建物の壁に寄りかかり、記事を熟読した。

 その選手は、2020年の夏にある国際大会に出場するという。タイムは今、こうして新聞を凝視している彼が、数年前に出したタイムより速い。

 ありえない、と彼は思った。

 義足でそんなに速く走れるわけがない。何か不正があるに違いない。

 何度、記事を読んでもリアルで、それが彼を震えさせた。

 家に帰った彼はすぐにテレビの衛星中継の番組を見れるように契約し直し、スポーツの専門チャンネルを漁った。

 確かにその映像があった。ヨーロッパ出身の、白人で、金髪を短く刈り上げている。体はシャープで、力強い。

 そして右脚が膝の下からなかった。

 それは彼の左脚と、左右が違うだけで大差がない。

 レースの映像が流れる。速い。義足でも完璧なバランス。機敏で、無駄のないフォーム。

 あっという間に百メートルを走り抜けた。彼はタイムを確認し、もう一度、それを見直してから映像をプレイバックした。

 嘘だろう、と彼は思わず呟いていた。

 しかし、その時の彼は、確かに希望を抱いてもいたのだ。

 2020年の夏、義足の短距離走者は、国際大会で健常者に混ざって走り、準決勝で姿を消した。しかしそれは賞賛を受ける、輝かしい成績だった。

 その時、左脚を失った彼の姿は、東洋の島国にあった。

 小さな大学の研究室で、彼は専用の義足を開発してもらっていた。同時に大学の陸上部に所属し、練習を重ねた。

 国際大会の準決勝の映像を、研究室の准教授と分析し、義足の走者が破ることができなかった決勝への壁、たった百分の三秒をどうやったら切り詰められるか、論じ合った。

 彼にとってその光景は、未来の自分の姿だった。

 義足は頻繁に調整され、練習は雨の日でも風の日でも続いた。他の学生たちも、彼の真剣さを前にして協力を始めた。

 じわじわと彼の存在は島国のメディアで話題になり、しかし彼はほとんど全ての取材を断った。義足に関しても、練習も、ほとんどが秘匿された。

 2021年、身体障害者の大会に、彼の姿があった。国内大会で、レベルは特別に高くない。

 彼は圧倒的な速さで優勝した。タイムは、健常者とも渡り合える、好タイムどころか障害者スポーツを超えた記録だった。

 さすがに彼はインタビューに答えたが、言葉が拙く、どことなくぼやかされた受け答えになった。

 記者が質問した。2024年の国際大会に参加するとして、障害者として参加するか、それとも、健常者として参加することを希望するか、というものだ。

 彼は堂々と答えた。健常者と戦いたい、と。

 彼はその後も練習を重ね、義足は改良が重ねられた。研究室はまだ秘密主義で、時間とともに斬新なデザインの、工学的にも、力学的にも優れた、極端に百メートル走に特化したものが出来上がっていった。

 2022年の国際大会、中東での大会で、彼は健常者として短距離走に参加した。母国の大会で健常者を抑え、代表権を獲得したのだ。

 予選を突破し、準決勝になる。

 体調は万全、義足のセッティングも問題ない。精神はリラックスして、どこにも力みはない。

 スタート位置で、姿勢を取り、号砲と同時に走り出す。一瞬の遅滞もない、弾けるようなスタート。

 彼は百メートルを走り抜けた。

 電光掲示板では、彼の順位は、その組の二位。

 決勝進出は、確定した。客席で歓声が起こり、それが拍手に変わる。

 決勝では彼はスタートがわずかに遅れ、六位で終わった。しかしそれでも入賞で、誰にも恥じることのない結果だった。

 記者が彼を囲み、カメラのフラッシュの中で、彼はホッとしたように笑った。

 しかしそれから数ヶ月後、世界中にあるニュースが流れた。

 国際大会で彼が使った義足がアンフェアで、国際陸上連盟では認められない、という内容だった。

 彼はその報道を聞いた時、研究室にいて、そこの責任者である准教授と顔を見合わせた。

 それからは怒涛だった。国際陸上連盟からの調査があり、同時に准教授が連盟とやり取りを始めた。この交渉と義足を認めるか否かが、世界で最も有名な障害者の名声を左右することは、誰の目にも明らかだった。

 その間も、彼は練習を続けた。淡々と、走り、汗を流した。

 後年になって、彼が話したことはシンプルだった。

 あの時の僕はまだゴールに飛び込んじゃいなかった。ゴールはまだ先にあった。

 結局、国際陸上連盟は彼の義足を認めず、彼が国際大会で出したタイムは認定されないことになった。

 こうして世界一有名な障害者は、一転して悪人になった。全てのメディアが彼を不正の人として報じ、彼の住む大学の寮には、ありとあらゆる嫌がらせがあった。

 ひどいもんですよ、と言ったのは彼と一緒に練習をしていた選手だ。脅迫状や名誉を毀損する内容の手紙が、ありとあらゆる言語で送られてきたという。

 それに対して彼は、微笑んでいたという。

 微笑んで、これからだよ、と言ったというのだ。

 2024年になった。東南アジアの母国では、彼は不正を行ったアスリートとして、大会への出場を禁じられた。彼は東洋の島国に帰化し、その国で国内大会に出場していた。

 百メートル走の決勝に、彼の姿があった。並んでいるのは、健常者の選手。

 彼の左脚にある義足は、繰り返し国際陸上連盟から調査され、問題ないと太鼓判を押されている。

 これで結果を出せば、それは誰にも否定できない、彼の本当の記録となる。

 選手人生は、もうそれほど残されていないことを、彼は実感していたと、後に語った。

 自分の一番脂の乗った短い時期が今、やってきている。ここを過ぎ去れば、それはもうトラックを離れることを意味していた。

 彼はスタート位置に着き、スタートの姿勢を取る。

 これからの十秒が、彼の人生の価値を決めることを、彼は意識した。

 栄光への階段は、この先にある。

 自分はその階段を上ると決め、一度は失い、そしてまた階段の前に立っていると、その光景がはっきりと見えた。

 今、号砲が鳴る。

 極度の緊張の中でも、彼は完璧に反応した。

 飛び出す。右足が地面を蹴り、次に義足が地面を蹴る。

 走った。

 走るしかなかった。

 どんな結果が出るかなんて、誰にもわからなかった。彼にも、スタジアムの観衆にも、カメラ越しの世界中の人々にも。

 ただ一つ、はっきりしていることは、彼が必死だということ。

 全てをこの場にかけているという、気迫。

 そして彼は、誰よりも早く百メートルを駆け抜けた。

 全員がタイムを確認した。

 数字の並びを、数え切れないほどの視線がなぞった。そして理解した。

 その瞬間に歓声が爆発した。




(了)

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片脚のスピードスターの輝き 和泉茉樹 @idumimaki

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