この世の果てまで
白夏緑自
第1話 終わりがやってくる
バイト終わり。アルコールにて眠りに叩き込まれた僕を、意識の地上へと引っ張り上げたのはけたたましいアラーム音でも、カーテンの隙間から朝日と一緒に部屋へと入り込んでくる雀のさえずりでもなかった。
よふかしを奨励するリリックがアルコールの沼の底から僕を引っ張り上げる。泥が詰まったように重たい頭を枕の上に転がしてスマートフォンを探せば、異様に低い茶舞台の上でこつ然と光るそれがあった。
温かい毛布の中から断腸の思いで冷たい空気へ手を出し、指を這わし、引き寄せたスマートフォンの画面を見るとそこには『神城皐月』の文字と通話に出る、出ないを選択するアイコンが踊っている。……踊っているのはまだ僕の意識がアルコールに支配されているからか。調子乗って飲み過ぎた。
「もしもし」
卓上デジタル時計が早朝の四時を告げている。雀が目を覚ますのにもまだ早い時間だ。
『呑んだ?アルコール臭いんだけど』
「……いや?」
まさか呼気が通信電波に乗るわけがない。素直に認めるのも癪なので、ここは認めないでおく。
『声が熱っぽい』
「君との爛れた生活みたいに?」
『本当にセンス無いから二度と私の詩に口出さないで』
「…………」
『………………』
冬の夜に相応しい静寂。この隙に蛇口から水を注いで、喉と下を潤す。
『何か喋りなさいよ』
「いつか言ってたよね。私の言葉全てが私の詩だって」
つまり、皐月の口から発せられる言葉は彼女の詩であり、口出さぬために僕は黙るしかない。否定や注文をするなんてもっての外だ。
『そ、それはっ、酔った勢いでっ』
「僕はセンスあると思うよ」
アルコールとは違う怒気という名の熱を電波に乗せはじめた彼女を宥めて、用件を聞く。神城・皐月は深夜いきなり電話をかけてくるタイプの人間ではない。
『言っても信じないだろうから今すぐニュース観て。Twitterでもいい』
「ん?まあ、いいけど」
自分の言葉に、伝えることには謎の自信がある彼女にしては珍しい導入であった。
六畳一間の僕の城には公共電波を受信するテレビが存在しない。下々の情報を入手するためにはスマートフォンかノートパソコンでネットの海にアクセスすることを求められる。今はスマートフォンのほうを電話に使っているので、後者の方を使う。
画面を開けば、昨晩お世話になった女神さまが、お世話になったときそのままで顕現なさっていた。
女神さまが目の前にいることを、電話越しにおわす別の女神さまに悟られぬよう一度ブラウザを落とす。
『起動したままだったの?クリックするまでが短いけど』
「最近調子いいんだ」
『ふぅん』
もう一度ブラウザを起ち上げたはいいが、検索するべきニュースサイトが思いつかず、この世で二番目ぐらいに参考にならないサイト、Twitterを開く。
吹いた風が三十秒後には消えて忘れ去られるような世界で情報収集なんて馬鹿げているが、少なくとも、リアルタイムにどのような風が世界に充満しているのかを知るには特化しているのもTwitterだ。タイムラインを、あるいはトレンドを見れば何が世間で注目されているか一目瞭然。自分の力で調べるべきトピックスすら見つけられない僕にとってはたいへんありがたい。
さて、頼りにしているが信頼はしていないタイムラインにはこんな四文字で埋め尽くされていた。
【世界滅亡】
誰も彼もが使い古された四文字をセンテンスの中に取り込み、信条やら状況やらをネットの海流に放流している。
トレンドのトップにも【世界滅亡】。その下に【自由】とか【無法地帯】とか、【休み】なんて文字が並べられている。
「なにこれ。映画のプロモーション?」
『だったらいいのだけどね』
いまいち状況がつかめていないが、検索すべきワードはわかった。タブを増やし、ブラウザトップで世界滅亡と検索する。こんな単純な四文字を検索するのは、陰謀論に胸を膨らませていた中学生以来だ。ノストラダムスの大予言が示していた地球滅亡の日にTwitterがあれば世界はどうなっていただろうか。今からそれを目の当たりにすることになるのだろうか。
「ああ、出てきた」
とりあえず、タイムラインと違って信頼できそうな報道機関のニュースサイトをクリック。Twitterの住人達が口々にしていた世界滅亡と、憶測で語られた経緯が書かれている。
まず、南極大陸の分厚い氷のさらにその下の大地の中から謎の建造物が発見された。当然、現代人の知るところで南極大陸の地下に建物を築いた人間などいるはずもなく、超古代文明の存在が現地の研究チーム及び、各国の情報を入手した者たちに間で騒がれ始める。混乱を避けるため、世界への公式発表は避けられたまま、調査が進められる。そして調査中、突然、建造物が青白く発光を始めた。ここまでが全世界の報道機関が入手している確実な情報。
そして、ここからが観測している事実と、その事実から行われた憶測になる。
観測している事実とは、件の南極大陸の建造物から青白い光がドーム状に広がりはじめ、このままではあと二十四時間で全世界──地球──を包み込んでしまうこと。ちなみに日本はあと十四時間でその光のドームの中に入ってしまうらしい。さらに、包まれた地域とは一切の連絡が途絶え、調査のために入った者は誰一人として帰ってきていない。
これらの事実から、この南極大陸から発生したドームに包まれたら最後、この世から存在を消される、つまりは世界全てが包み込まれるあと二十四時間で世界は滅亡するのだろうと憶測されている。日本の滅亡まであと十四時間。
「なるほど……」
『わかった?』
「まあ、大体は」
ちなみに、南極大陸の次に包み込まれた国家はオーストラリアらしい。……あとで電話の履歴とメールボックスを見る必要がある。
『それで、どうする?』
「どうするって?」
こんなこともわからないのか、と皐月が無言で訴えてきている。気がしている。僕は彼女の望むことを察する能力を磨いているわけではないので、期待されても困る。それに、
『この世の果てを見てみたくない?』
こんな時の皐月は僕の予想の範囲外にいるから考えたって無駄だ。
「この世の果てってどこ?」
『たぶん、光のドームに一番近い場所』
そこなら、この世の果てと言える気がする、と。待っていれば、光はやってきてそこが果てになるけれど、待っているだけは嫌だから。どこに行っても駄目なら、せめて一番近い場所に行きたい、のだと。
「わかったよ。それじゃあ、待ち合わせは、」
『私の家まで来て。それじゃあ』
僕の返事など待たれぬまま、電話は切られた。君の家まで近くないのだから、僕の城との中間点ぐらいにしてくれないのだろうか。いくら世界最後の日だからって我儘が全て許されると思ってもらっては困る。会ったら文句を言おうと心に決めながら、着替えを済まし、いつもより多めに荷物を準備。家に出る直前、Twitterのタイムラインを見れば、世界最後の日をいいことに欲望丸出しの犯罪予告が流れ辿り着いていた。なるほど、確かにこの状況では仮に女の子である皐月を一人で出掛けさせるわけにはいかない。
入念にガスの元栓を閉め、家の鍵も締める。今日が最後の日でも、明日が来た時に後悔はしたくないのだ。地獄に行くにしても、天国に行くにしても、お金は生きていくうえで大切なものなのだから。
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