【2月20日発売】天使と石ころ【試し読み】

藍内 友紀

第1話

 リベリアの赤土が、傾いた太陽によって輝いていた。広がる野火のようだ。僕らが身を潜める茂みの数十メートル先では、小さな集落が陽炎に揺らいでいた。大地にしがみつく影が、呑気に横たわる牛や忙しなく駆け回る犬、なにも知らず夕餉の支度に勤しむ女たちを描き出している。

 そういうものを前に、僕らはセミーオートマチックの自動小銃カラシニコフの銃弾をひとつだけ分解して、火薬を分け合う。黒くて甘いトルエン製の、おまじないだ。銃弾の火薬を舐めると敵の弾に当たらなくなる。よしんば撃たれたとしても苦しまずに死ねる。なにも怖くない。高揚感が腹の底から湧き上がってくる。それを教えてくれたのは、僕たち子供部隊の一番年長であり、女の子部隊の隊長でもあるアイーシャだ。

「行こうか」とアイーシャの囁き声が僕らを促す。

「行こう」と男の子部隊の年長組であるヨアンが頷く。

 男の子部隊の誰よりも背が低い僕はカラシニコフを抱え直して、そっと口を開いた。緩やかに、乾期にも枯れない湧き水めいた抑揚で、僕は歌い出す。昔、襲った村で耳にした曲だ。ザラついたラジヲが歌っていたやつで、題名は知らない。マライア・キャリーという女性歌手が歌っていることしかしらない。

 僕の声に、部隊のみんなの顔が輝いた。穏やかな歌い出しが少しずつ力強くなっていって、仲間が唱和し始める。でも、僕は仲間の声を置き去りにサビの音程を駆け上がる。どこまでも高く、雲にだって届くんじゃないかという高音を美しく紡ぐ。

 茂みからアイーシャが飛び出した。いつだって彼女は襲撃の先陣を切る。次いでヨアンが駆け出す。僕の甲高い歌声を合図に、狩りが始まる。仲間の歌声はいつの間にかてんでデタラメな叫びになっていた。僕も精一杯の雄叫びを上げる。仲間に遅れないように突進する。のんきに昼寝をしていた牛が大慌てで逃げ出すのが見えた。

 僕らのカラシニコフが雷めいた破裂音を連続させた。僕とヨアンを中心とした男の子部隊が五人、アイーシャが率いる女の子部隊が四人。小さな村を襲うには過剰な人数だ。発砲の反動は強烈で銃口はどんどん跳ね上がる。隣の女の子なんかはもはや空を撃っている。でも、それでよかった。はは、と僕は笑う。仲間たちも笑っている。

 村の人々は発砲音に驚いて逃げ出していく。弾があたるかどうかなんて誰も気にしていない。ただ逃げる。すべてを置いて、村を捨てていく。

 アイーシャをはじめとした女の子部隊は空になった家へ我先にと入っていく。可愛かったりかっこよかったりする服は早い者勝ちだというのが、女の子たちの間での取り決めだ。そのくせ生理用品や化粧品、その他細々とした日用品なんかは仲良くみんなで分け合っているというから、女の子というのはわからない。

 僕たち男の子部隊の仕事は食料の確保と、探しだ。逃げ遅れたり隠れたりした子供を見つけて、仲間に入れる。僕たち子供部隊はそうやって集められている。

 ひとしきりカラシニコフを撃ち鳴らしてから、ヨアンが一軒の家を指差した。ウッドデッキにリクライニングチェアが据えてある。他とは明らかに違う、金持ちの家だ。扉は開け放たれているので住人はすでに逃げたのだろう。

「カラマ」と薄ら笑いを浮かべたヨアンが、僕を誘う。「ラジヲだ」

 耳を澄ませると、湿っぽくひび割れた音楽が漏れていた。ざらり、と唇についていた甘味を舐めとる。襲撃前にみんなで分け合った、銃弾の火薬だ。僕らを守護するおまじないの味だ。

 僕らはカラシニコフの残弾を確かめてから、開いた扉から家へと飛び込む。ひときわ高く、ラジヲが鳴いた。鳥が仲間に警告するような声だ。けれど、それだけ。

 家の中には誰もいなかった。食卓にはラジヲと、無造作に寝かされたカラシニコフがある。時々こうして武器を備えている家があるから、おまじないが欠かせない。

 僕はカラシニコフを構えたまま早速キッチンに入る。火の消えたコンロに鍋が載っていた。蓋を開けると鶏肉の煮込みがいい具合に出来上がっている。

「ごちそうだ」とヨアンに報告したけれど返事がない。あれ? と片手に鍋の蓋を、もう片手でカラシニコフを持ったまま部屋に取って返す。食卓の上で鳴き続けているラジヲの隣に鍋の蓋を置いて、歌声に注意を向ける。甲高い、それなのに美しくどこまでも駆け上がっていけそうな高音が流れていた。こんな声で歌える人を、僕は一人しか知らない。

「マライア・キャリーだ」

 初めて聴く曲だったけれど、僕はラジヲを追いかける。歌詞が聞き取れなかったので、一拍遅れで音階だけを追いかける。苦も無く歌える音域から、脳天へ抜ける高音へと一気に駆け上がる。

 僕は、世界の歌姫と遜色なく競えるのだ。そのとき。

 歌姫の声が三重になった。呼吸が止まる。ラジヲと僕と、遙か高音域まで届く誰かの歌声だ。皮膚から浸透した声が体の内をじりじりと震わせる。

 隣の部屋だ。誘われるまま、ふらりと、近づく。我知らず、きつくカラシニコフを握りしめていた。僕らの部隊で、いや、ラジヲに出演るような有名人以外で、この音域の声を出せる人間なんて僕だけだ。だからこそ僕は、殺されずに済んでいるのに──。

 窓に木板が打ち付けてある部屋だった。闇と溶け合うヨアンの背中越しに、僕は眩しい歌声を見る。

 白い、少年とも少女ともつかない子供だった。ぺとんと床に座り込んで、その真っ白い喉を逸らせて、声を迸らせている。

 ラジヲの音がかすんでいく。その子の声量の前では、スピーカーでざらつく歌姫なんて無力だ。僕は一瞬、けれど敗北を噛み締めるに足る時間、完全に魅了されていた。

 小鳥の警告音めいた高音から人の音域へ、その子の喉が穏やかに下がってきた。風を捉えた大鷲が着地するような余韻が部屋を満たす。そして。

「クリスティーナ・アギレラだよ」

 はっ、と鼻を鳴らして、その子が言う。

 クリスティーナが誰なのかはわからなかったけれど、呑まれた僕は「うん」と頷く。

 雑誌や情報画面でしか見たことのない、白い子供だった。僕らの肥沃な黒土色の肌とは真逆で、白い肌も金色の髪も陽の届かない部屋にあって眩しいくらいだ。ラジヲ越しの歌姫と競った喉にだけ、鈍色の鎖が滲んでいた。

「おまえ」ヨアンが、囁くように問う。「なんなんだ。この家の子供か?」

「この家の、家具だよ」

 冗談にしてはセンスのない答えだった。白い子供は自らの首を戒める鎖を手繰り、鎖の先が打ち込まれた床の隅を視線で示す。

 家具、とヨアンと僕は馬鹿みたいに繰り返す。

 子供はにやりと唇を歪めて笑うと、僕に指を突き付けた。

「ボクは、誰よりも美しく歌える」

 部隊での僕の役割を見抜かれたのだ。血の気が引く。白い子供は歌の巧さを武器に、仲間に入る気なのだ。僕を追い出して──。それはつまり、僕が用なしになるということだ。役立たずには、死しかない。

 白い子の、赤い唇が解ける。妖艶な色合いに不似合いな、緩やかな低音での歌い出しだ。今度こそ間違いなくマライア・キャリーだった。中盤に甲高く、魂すら飛び去ってしまいそうな高音パートがある。

 僕も口を開く。肺の隅々までを使って、腹の底から声を張る。負けるわけにはいかなかった。僕は部隊で唯一の、歌える兵士なのだ。体が小さい僕は仲間ほど巧くカラシニコフを扱えない。略奪行為に加わっても腕に抱えられる荷物は少ないし、逃げ遅れた住民たちを恫喝するにも迫力が足りない。そんな僕が大佐に殺されることもなく子供部隊の一員でいられるのは、ひとえにこの歌声が他のどの部隊にもない希有なものだったからだ。聞き覚えた曲の数々で仲間を鼓舞し、大人を楽しませてきたからだ。

 もし僕よりも歌える子供が現れたら、大佐は容易く僕を「不良品」として手放すだろう。奴隷として売られるくらいならばまだいい。大佐の機嫌と僕の運が悪ければ、体の端からナイフで切り刻まれて残忍に殺される。脳裏に、これまで大佐に殺された仲間たちがチラついた。あの岩のような拳で顔が変形するまで殴られた子、口を切り裂かれて荒野に放置された子、死ぬまで指先から少しずつ斬り落されていった子。数々の血の記憶が、僕の声を意図せず震わせた。

 途端に子供の声が勢いを増した。僕の動揺を突いて競う気なのだ。挑発的な口元に、大佐に殺された子供たちの亡霊が重なった。視線を逸らして、埃っぽい天井の隅へと声を張る。緊張が喉を締めあげて音域を狭めてしまわないように、今だけは大佐を忘れる。

 これは僕の生存をかけた歌唱なのだ。

 曲調が速くなった。僕が落ち着きを取り戻したことで、子供が焦っているのだ。早く高音パートにたどり着きたいのかもしれない。

 子供がはっとしたのが、わかった。僕が本来の旋律から外れたからだ。主旋律を子供に任せて、脳天から空へと翔け上がる高音を出す。決して曲を台無しにしない、絶妙のハーモニを描く。びりびりと部屋のあちこちが共鳴する。

 ふ、と主旋律が途切れた。座り込んだままの子供が、口を半開きにしたまま黙している。喉から垂れた鎖が乱れた息遣いに合わせて光っていた。

 僕の勝ちだ。息をつく。そのとき。

 背後から口笛がした。驚いて振り返ると、アイーシャたち女の子部隊が戸口に立っていた。戦利品らしく、ぴったりと体に吸い付くTシャツとジーンズを着ている。ふくよかな胸の線が強調されて、それでいて下品ではない女性らしさを醸し出していた。村の捜索を終えたのか、カラシニコフは銃口を天井に向けて背負われていた。

 アイーシャの後ろからは、Tシャツを何枚も重ね着して着ぶくれた女の子たちが顔を覗かせている。ズボンを三重に履いて、さらに腰に縛っている子もいる。今回の襲撃に参加できなかった仲間たちへのお土産だ。年少の子供たちの分にしてはサイズが大きいようだったけれど、彼女たちの優しさの手前指摘はしない。

「なぁに、その子?」アイーシャが薄暗い部屋へと入ってきた。「カラマと同じ音が出せるなんて、凄いじゃない。新しい仲間?」

「あ、うん」僕は曖昧に視線を逸らす。「たぶん、違う、かな? 本人は、自分は家具だって言ってるから」

「なにそれ」はは、と笑うアイーシャに、僕は「キッチンに、鶏の煮込みがあったよ」と報告する。「へえ、ごちそうだ」とアイーシャがキッチンへと足を向けたことに、ほっとした。それなのに。

 じゃらりと鎖の音がアイーシャを引き留める。白い子供が、首につながれた鎖を握って立ち上がっていた。その眼差しが苛烈に燃えている。

「ボクの食事だ」子供が低く、獣の威嚇に似た声を絞り出す。「あれは父さんが、ボクのために作ってくれた食事だ。それをおまえたちが、薄汚い押し込み強盗が」

「父さん?」

 奪うのか、と怒鳴る子供を、ヨアンが遮った。

「おまえ、この家の家具なんだろう? それなのに、この家の住人はおまえの父親なのか? それにその肌……」

 ヨアンが子供を頭の先からつま先まで眺め下ろす。白い肌に白いシャツに、くるぶし丈のゆったりとしたパンツまでが白い。ちらつく舌の赤さだけがいやに目につく。リベリアの小さな村では珍しい色だ。

 アイーシャが、たった二歩で子供との距離を詰めた。まじまじと顔を覗き込み、足先から金髪の頭頂部まで視線を往復させる。そして。

「あなた、ひょっとして、アルビノなの?」

 戸口でこちらを窺っていた女の子部隊がざわついた。肌も髪も白い人間だということしか、僕は知らない。ヨアンはどうだろうと伺えば完全に馬鹿にしきった表情をしていた。

「ただの白人だろう? アルビノなら、こんな風ににはしない」

「だからこそ」アイーシャは、子供の首に下がった鎖をひと撫でした。「鎖につないで逃げないようにして、家具にしていたんじゃない? 近所に知られないように、奪われないように。だってアルビノってすごく、ものすごく、高値で売れるっていうじゃない」

「魔術に、つかうのよね?」

 女の子部隊の誰かが、そう言った。

「村に」弱弱しい女の子の呟きが、いやに大きく響く。「帰れるってこと……?」

 はっと息を呑む気配がいくつもした。

 僕やヨアンをはじめとしてこの襲撃に参加している子は、そして大佐の先導で後からこの村へ追いつく子たちは、故郷の村で襲われ拉致されてきた子供たちだった。僕らは全員、ゲリラを率いる大佐の所有物なのだ。大佐を筆頭とするゲリラの大人たちからは逃げられない。もし逃げられたとしても残った部隊の仲間が罰を受ける。捕まれば当然死ぬまで殴られる。逃げる途中で撃ち殺された子供たちを何度も見てきた。

けれど魔術を使えば? あの大佐から僕らの身を隠してくれる魔術があれば?

 囁き交わす声が重なり合い、明確な言葉として聞き取れない。ラジヲは知らぬ顔で歌い続けている。

 当の本人だけがまだ鶏の煮込みに執着しているらしく、鎖をかちゃかちゃと鳴らして背伸びをしては女の子部隊に塞がれた戸口の向こうのキッチンを気にしていた。

そんな幼い様子を訝しんだのか、アイーシャは「あなた」と幾分語調を弱めるようだ。

「いくつ? いつから鎖につながれているの?」

「……知らない」子供が唇を尖らせる。

「生理はきてるの?」

「は?」とこれは三重奏になった。ヨアンと僕はあからさまな女の子の話題に、居心地悪く足元を見る。子供はといえば、心底不愉快そうに顔を歪めていた。

「わたしたちの部隊では、女の子は生理が来たら十四歳ってことになるの」

 ね? と女の子部隊を振り返ったアイーシャが、素早く身を引いた。ほとんど同時に青白い腕が空を薙ぐ。反射的にカラシニコフを構えた。ヨアンも同じだ。

 鋭い舌打ちをしたのは、白い子供だった。アイーシャを殴り損ねた拳を胸元で握り直している。僕らの銃口など見えていないかのようだ。感情に任せた下手くそな第二撃が繰り出される。

 あっさりとアイーシャは子供の拳を避けた。もう一歩を踏み込む途中、鎖の遊びが尽きた子供は「ぐえ」と無様な声を上げて尻もちをつく。

「なにが気に食わないの?」アイーシャの、慈愛すら感ずる声だ。「わたしたちは確かにこの村を襲った強盗だけど、あなたを鎖につないでいたお父さんよりずっとマシよ」

 どうだか、と僕は胸中で皮肉に考える。僕らの親である大佐だって、変わりないだろう。むしろたったひとりの歌手のために料理をしてくれるならば「お父さん」のほうがマシかもしれない。僕らは僕らの食事をこうして略奪しなければ食べていけないのだから。

「ボクは」と俯いた子供はぼそぼそと呟く。僕に歌で挑んできたときとは別人のようだ。「ボクは男だ」

 アイーシャが鼻を鳴らした。「なんだ」と床にへたり込んだ子供を半眼で見下ろす。

「なら銃は? 使える? 使えるなら十歳以上、使えないのならそれ以下。その身長なら十五歳には足りないしね」

「僕らの仲間は」僕は銃口を下げて、膝を折った。子供の、茶色い瞳と高さが揃った。「たいてい自分が何歳かわかっていないから、そうやって年齢を決めて班分けをするんだ。僕もまだ背が足りなくて十五歳になれていないんだけど……。もし君がおとなしく一緒に来てくれるなら、僕らは仲間になれる」

「仲間……」

 忌々しそうにも逡巡しているようにも思える抑揚で、子供は僕の言葉を繰り返す。

 僕は、彼の白く頼りない首をつなぎ留めている鎖の先端へ視線を移す。太い金具がしっかりと床板に打ち込まれていた。

 立ち上がって、鎖の終着点の真上に立つ。カラシニコフの安全装置が外れていることを確かめてから銃口を床板に向けた。引き金を弾くように、一秒に満たない時間だけ絞る。

 鼓膜を叩いた発砲音と同時に、子供が立ち上がった。銃撃から逃げようとしたのかもしれない。床板ごと金具を撃ち抜かれた鎖は、今度は子供を引き留めることもなく白い足下にわだかまった。

 僕はカラシニコフを背中に回して白い子供と向き合う。握手を求めて空っぽの右手を差し出す。

「僕はカラマ。そっちはヨアン。彼女はアイーシャ、女の子部隊の隊長だよ」

 沈黙が数秒続き、真っ白い手が伸ばされる。僕の手が肥沃な黒土だとすれば、彼は苛烈で眩しい太陽だった。掌が合わさり、ふたりの隙間で増幅された熱が汗を生んだ。

「……アンヘル」

「アンヘル?」失笑交じりに繰り返したのは、アイーシャだ。「それ、天使って意味でしょう? 鎖につながれた天使さま? じゃあ、あなたのお父さんは神さまだったの?」

「ボクの声は、天使のそれなんだ」

 アンヘルの反論は力なく、首から垂れた鎖じみた鈍さで落ちていく。

 アイーシャも自分の揶揄が彼を傷つけたことを悟ったようだ。気まずそうに瞬きを繰り返し、結局なにも言わずに踵を返した。キッチンを物色していた女の子を呼びつけて、次の家へと移るようだ。

 アンヘルがアルビノなのか、銃を扱えるのか、なにひとつわからなかった。アイーシャはそれでいいと判断したのだ。それらの判断は戦利品たる彼を連れ帰ったあと、僕らの大佐がしてくれる。

 彼は売られていくのだろうか、と考える。おまじないに用いるために手足をバラバラにされて、ひと際高値が付くという性器を切り取られて、彼の全部が散り散りになるのだ。僕は彼と握手をした掌を見る。ふたり分の汗はもう乾いている。彼の白い掌と、僕のピンク色の掌。同じ熱を帯びているのに、彼は歌うだったのだ。

 僕はマライア・キャリーを口遊む。ワンフレーズだけ、一番高音になるパートを、繰り返す。ラジヲが男性歌手の声をかぶせてきた。アンヘルはもう、僕に唱和しない。鎖を手首に巻き付けて遊んでいる。それがなぜか、少しさみしかった。



 村の中央広場には、家々から運び出した戦利品が集められていた。玩具みたいな拳銃やカラシニコフ、銃弾や缶詰、袋詰めにされた乾燥トウモロコシなどが積み上がっている。

 その傍らに、三人の子供が跪かされていた。この村の子供だ。怯えた様子で身を縮こまらせている中にひとりだけ、僕を睨みつけている少年がいた。いや、僕と一緒にいる、アンヘルを見ているのだ。本人はといえば、自らの首から下がる鎖を弄ぶばかりで、同じ村の子供たちの気に掛ける素振りすらない。

「きみたちには」と三人の子供たちの前に立ったアイーシャが、山刀を閃かせた。「二つの選択肢がある。わたしたちの仲間となって大佐のために戦うか、わたしたちに銃を向ける可能性があるその腕を斬られて自由の身となるか」

 言い終わるや、アンヘルを睨んでいた少年が唾を吐いた。

「ゲリラになるくらいなら腕を」

 斬られたほうがましだ、と強がる声が途切れた。アイーシャが山刀を振り下ろしたのだ。大地をつかんでいた少年の手首から先が千切れ飛び、真っ赤に染まる。噴き出た血がアイーシャのスニーカを汚した。

 舌打ちをしたアイーシャが女の子部隊の年少者に顎をしゃくる。すぐに新しいスニーカが差し出された。この村で奪った戦利品のひとつだ。彼女は無防備に身を屈めて靴を履き替えてから、「さて」と残った二人を見下ろす。

「きみたちの選択肢は二つだ」

 手首を切られた少年は白目を剥いて体を跳ねさせていた。出血性のショック症状だ。あれはもう助からないな、と僕は無感動に成り行きを見守る。

になるか、仲間に」

 アイーシャが再びの問いを口にし終えるより早く、ふたりの子供は大きく何度も頷いた。長袖、が腕を長袖丈に斬られることだと悟ったのだろう。「仲間にしてください」と悲鳴じみた懇願を繰り返している。

 仲間が増えたことで、僕に割り振られている仕事は多少なりとも減るはずだった。体格が幼いけれど弾薬運びくらいはできるだろう。水汲みも任せてしまえばいい。役立たずはどのみち大佐のおもちゃとして殺されるのだから。

 そんなことを考えたとき、熟れた太陽を呑み込む地平線に土煙が上がっていることに気がついた。見慣れたピックアップトラックのシルエットが陽炎に揺らいでいる。ややしてヒステリックに高音を引っかけるエンジン音も聞こえてきた。大佐をはじめとする大人たちが追いついてきたのだ。襲撃に参加できないほど幼い仲間たちは、その後ろから重たい銃弾入りの木箱を抱えて徒歩で合流する手はずになっている。

 けれど、僕らは身を固くする。威嚇的で大きな車体がピックアップトラックの後ろにあったからだ。アイーシャが自分のカラシニコフの残弾を確かめた。仲間が彼女に倣う。もちろん僕も心許ない残弾を戦利品で補給する。

 ゲリラである僕たちは常に誰かから負われている。警察、政府軍、ごく稀に襲った村の大人たちが誘拐された子供たちを取り返しに来ることだってあった。そういう連中は必ず、僕らと同等かそれ以上の武器を持っている。

 と、新たに仲間となったはずの子供たちが突然走り出した。僕らの動揺を逃げる好機だと考えたらしい。

 愚かだな、と僕は冷静にアイーシャを見る。ヨアンを見る。ふたりともがすでに、小さな逃亡者にカラシニコフを向けていた。身長が低くて骨格も柔な僕とは違う、しっかりとした構えだ。躊躇のない発砲音が轟いた。逃亡者の背に真っ赤な血が咲く。倒れた子供たちは少しの間もがいていたかもしれない。それもすぐに、流れた血とともに乾いた地面へ吸い込まれて、どす黒い沈黙になる。

 はは、とアンヘルの、泣いているような笑い声がした。彼は、泣いていなかった。虚ろな表情で、声だけが不安定に揺らいでいる。

「なにがおかしいの?」僕は好奇心に駆られて問う。「同じ村の子だろ?」

「だって、どう考えたって逃げるのは賢い選択じゃないよ。この装備と人数のゲリラから無事に逃げおおせるなんて考えられないし、もし逃げられたって、その先にはゲリラと大して変わらない生活しかないじゃないか」

 それは鎖につながれて家具として生きていた彼だからこその言葉だろうか、と僕は鎖の鈍い輝きを見る。僕は、逃げた末に家具となったのだろうか。家具としての生活から逃げようとしたのだろうか。

 僕は、大佐に囚われる以前のことをあまり覚えていない。母がいたことは覚えているけれど、顔は忘れてしまった。いや、母の最期の顔は覚えている。大佐に脅されて、僕が撃ったのだ。構えかたすら知らなかった僕は発砲の反動を殺しきれず、カラシニコフの銃口を跳ね上げてしまった。だから母は、胸から頭までが真っ赤に潰れてしまった。僕の記憶にある母には、顔がない。ただの肉片だ。

 その印象が強いせいか、大佐がどうやって村を襲ったのかは本当に覚えていなかった。気がつけば母の死体はなく、アイーシャが僕を慰めてくれていた。大佐の癇癪で死ぬほど殴られた夜もアイーシャが手当てをしてくれたし、失敗をして食事を抜かれた日も彼女が食事をこっそりわけてくれた。いつの間にか、そこにヨアンが加わった。

「僕らは……家族だよ」

 大佐の暴力によって集められ、つながれ、寄り添う家族だ。

 ピックアップトラックのエンジン音が迫っていた。助手席に、カラシニコフを抱えた大佐が座っている。黒いサングラスをかけた、三十歳を少し超えた男だ。僕たち子供兵士はみんな、あの男の子供なのだ。

 ピックアップトラックの後ろについていたのは、初めて見るワンボックスカーだった。どちらも窓という窓が存在しないという点は共通している。荒野の熱気と砂が吹き込んでくるものの、いざ戦闘となったときに割られてしまうのだから最初からないほうがいい、というのが大人たちの見解だ。

 ならばあのワンボックスも大佐のものなのだろうか、と思ったのは、運転手の姿が見えるまでだった。僕はアンヘルを見る。彼の、白い肌と金に透ける髪とを、見る。運転席に座っている男と同じ色だった。

「きみは、ただの白人だったんだね」

 魔術に用いられるというアルビノではなかったことに少しだけ、失望を覚えた。彼がバラバラ死体にされる危険性を認識していたのに、僕は確かに失望していたのだ。

 そんな薄情な僕を、アンヘルは見ていなかった。妙に蒼褪めた顔で、僕らが彼の家に押し入ったときよりもずっと緊張した様子で、首から垂れた鎖を握りしめている。

その手に触れた。彼の白い拳と僕の黒い手とが重なり合う。

 エンスト気味に停まったピックアップトラックから、大佐が降りてきた。砂色のカーゴパンツにはサイホルスターがくくられていて、これ見よがしにナイフが納められている。アイーシャは山刀で一息に反乱要因たる子供の腕を断ち切ったけれど、大佐はあの小さなナイフでねちねちと刃を何往復もさせて指を一本ずつ、指がなくなれば掌の肉を、手首を、切り刻むのだ。

 大佐の後ろに停まったワンボックスカーから降りてきたのは、女だった。頭から垂らした大きなスカーフで首元までを覆っている。夕焼けを背負っているせいで、彼女の肌は燃えるように赤く見えた。運転手の男はハンドルに両腕と顎を乗せて傍観を決め込んでいる。

「こんにちは」女は訛の強い英語で挨拶をしつつ、僕らを見回す。「すごい歌声を持つ子がいるときいて、わざわざ足を運んだのだけれど……どの子?」

 誰も、なにも言わなかった。それなのに誰もが僕へと視線を注ぐ。じゅうぶんな答えだ。

 女は無遠慮に僕の前に立つ。大きな女だ。いや、僕の背がまだ十五歳の規定に達していないからそう感じるのかもしれない。俯きそうになって、大慌てで顎を上げた。大佐の前で怯えた姿勢を見せようものならば、あとでどんな折檻を受けるか知れない。

 女は両手でスカーフを抑えつつ、腰を折って僕の顔を覗き込む。甘ったるい異臭がした。それなのに、アイーシャとヨアンに撃ち殺された子供たちに集まりつつあるハエは女を無視している。

「あなた、名前は?」

 僕は唇を噛んで、女を睨む。女の肩越しに、アイーシャと何事かを話している大佐を盗み見る。思いがけず、視線が合った。瞬間的に冷汗が背を伝う。

「あなた」女はおっとりと言葉を続ける。「歌が上手なの?」

「歌なら!」アイーシャの悲鳴が割り込んだ。「そっちの子が歌えるわ! 白い、天使の歌声を持つ子供なんだって、自分で言ってた」

 手持無沙汰そうに鎖を弄っていたアンヘルが、口元を緩めた。嗤ったようにも「え?」と問い返したようにも見える表情だった。

「あの子、カラマと同じ声で歌えるんです。だから、あの子でいいでしょう? この村で見つけた、わたしたちの戦利品なの」

 アイーシャは小走りで僕らのところまで来ると、僕の腕を強くつかんだ。「ね」と低く、まるで誰かに銃口を突き付けられているような声音で囁く。

「カラマは、どこにも、行かないよね?」

「行かないよ」と答えてあげたかった。こんなに恐慌を滲ませる彼女は初めてだった。けれど僕の身柄は僕のものではないのだ。僕は近づいてくる大佐の、そびえる体を仰ぐ。

「その子と」大佐の感情のこもらない声だ。「おまえとでは、どちらが巧い?」

「僕です」

「同じくらいです!」

 アイーシャの叫びが、吹き飛んだ。大佐が警告なしに腕を薙ぎ払ったのだ。アイーシャの細い体が地面に倒れ込み、新品の服が土で汚れる。でも、誰も助け起こさない。みんな大佐の不機嫌が自分に向くことが怖いのだ。僕も、そうだ。

 大佐の太い指がアンヘルの首へと伸びた。縊り殺されるんじゃないかと、僕は息を詰める。聞こえてきたのは、小気味良く鎖が遊ぶ音だ。そして。

 警告音が響き渡る。不意打ちに肩が跳ねた。アンヘルの、いきなりの高音だ。甲高く伸びのある声が数秒、緩やかな音階を踏んで音が下りてきた。さらに低く、地の底に達するのではないかと低音が掠れることなく生み出されていく。

 女は無言だった。大佐も黙っている。アンヘルだけが、天から地へつながる音階を歌っている。

 彼が一番低い音を紡ぎ終えた刹那、僕は同じ音を発する。今度は僕が、アンヘルの音階を遡る。地の底を思わせる低音から雲を貫く高音へ、彼が焦って駆け下りた音階をゆっくり、息が続く限り大声で歌う。

 最後の音を掠れさせることなく生んでから、喉を宥めるために浅く息を吐いた。喘ぎたい気分だったけれど、意地で耐える。大佐の評価を、女の査定を、落としたくなかった。

「いいわ。ふたりとも貰いましょう」

 女の頷きに、アイーシャがはっと顔を上げた。その頬には絶望がある。

 ワンボックスカーの運転手が、重たそうになにかを抱えて降りてくる。自動小銃だ。少なくとも五丁はある。運転手はそれを大佐の足元に置くと、車に取って返し今度は木箱を抱えて戻ってくる。ひどいへっぴり腰だった。銃弾だ、と僕らは悟る。

それが、僕とアンヘルの値段なのだ。

 アイーシャが弾けるように立ち上がり、僕に抱きつく。熱く湿った体が押し付けられて、息苦しい。惰性で彼女の体を抱き返しながら、僕はただ女を見ていた。

 大佐の大きく分厚い掌にガラス片を──黄色く濁ったダイヤモンドの粒だと、あとで気がついた──乗せる女の指を、見ていた。白い、アンヘルと同じ色の手だ。

「わたしも」耳朶にアイーシャの懇願が触れる。「歌えるって言って。あの女に、わたしも連れて行くように言って」

 お願い、と囁きながら、アイーシャは僕の体に縋りつつしゃがみこんだ。最後まで僕のシャツを握りしめていた手が、力なく落ちる。女の子部隊を率いる隊長としての威厳はどこにもない。弱々しい女の子が、うずくまって泣いていた。

 彼女だってわかっているのだ。嘘をついたって無駄だと。大佐から逃れる術はない。僕らのように別の部隊に売られるか、逃げようとして殺されるかだ。

 はは、とアンヘルの吐息が笑った。僕は彼の喉の眩しさから目を逸らす。アイーシャとヨアンに撃ち殺されたふたりの死体が見えた。

 鎖を引きずったアンヘルがワンボックスカーに吸い込まれていく。僕はまだ、アイーシャと大佐の前から動けなかった。

「これから」女の白い手が、僕の肘に触れた。「あなたは歌手になるの。学校でたくさん勉強して、世界でも稀有な存在へと成長するの。もう、人を殺さなくていいのよ」

 女の手が、いつの間にか僕からカラシニコフを取り上げる。大佐の強引な腕が奪っていったのかもしれない。僕はまだ、舌に残る甘さに酔っていた。襲撃前に仲間と分け合った、銃弾の火薬トルエンの味だ。敵の弾に命中あたらなくなるおまじないの名残だ。

 弾にはあたらなかった。僕はまだ生きている。おまじないは効いているのだ。アンヘルはアルビノではなさそうだけれど、天使というのはたとえ自称であっておまじないの効果を高めてくれる存在なのかもしれない。

 カラシニコフを奪われた僕は、女に促されるままワンボックスカーに乗り込む。ガラスのはまっていない窓越しに、ヨアンと視線が合った。泣きじゃくるアイーシャの肩に手を置いて、僕を睨んでいる。

 ふたりを捨てていく僕を憎んでいるのだろうか。けれど仕方がない。僕らは大佐の所有物なのだ。自動小銃と濁ったダイヤモンドで売られた以上、どうすることもできない。そう自分に言い聞かせて、俯いた。



 ワンボックスカーに吹き込む熱せられた砂雑じりの風は、しばらくすると冷え冷えとしてきた。太陽はとうに沈み、夜の気配が滲んでいる。

 夜の闇を、前照灯を点したまま走るなど自殺行為だ、と僕は眉を寄せる。強盗は往々にして夕方から夜に出るものなのだ。僕らだって、そうやってたくさんのものを奪ってきた。

 大佐に奪われたカラシニコフを求めて無意識にシートを探っていた手が、生温かく柔らかいものに触れた。アンヘルの手だ。どちらからともなく指を絡ませて、手をつなぐ。

 僕は夜の闇を見つめることを止めて車内を見回す。夜に同化して、後ろの席に二人の子供が座っていた。別の部隊で買われた女の子だ。助手席には自動小銃を抱えた男がいる。赤茶けた肌の色が夜に浮かぶ細い月のようだった。

 僕らを買った白人の女は運転席のすぐ後ろの席に着いている。無防備な姿勢から、銃ひとつ持っていないであろうことが知れた。本当に自殺願望でもあるのかもしれない。

 ぼんやりとアンヘルの白い肌と金の髪が光を放っているようだ。同じ白人でも、僕らを買った女はくすんでいる。頭からかぶったスカーフのせいだろうか。

 武器を奪われた僕は、到底凶器になりそうもないアンヘルの手を握ってワンボックスカーに身を任せる。僕たちのような強盗が襲ってこないことを祈りながら、天使の名を持つ少年と手をつないで眠りに落ちる。

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