第5章 疑問点 (前編)

 咲洲さきしま東側の湾岸探偵事務所にて、とある土曜日の昼下がりのこと。

 エリーゼから連絡を受けて、御剣真衣が再び訪れてきた。前回と同じく、部屋の中をきょろきょろと見回している。なぜか落ち着かない感じ。

 エリーゼがコーヒーをテーブルに置く。その横に、桔梗の鉢植えがあった。薄紫の、星型をした花が四つほど咲いている。真衣の視線はそこへも行ったが、留まらず、あちこちとさまよっている。

 向かいに、エリーゼが笑顔で座った。背をしゃんと伸ばしているので、胸の大きさが強調されている。今日も紺のベストに紺のスラックス。ただしブラウスは白地に黒のピンストライプだった。

「電話では教えてもらえませんでしたが、結局、犯人って見つかったんでしょうか?」

「電話でお伝えしたとおり、今日は中間報告、あるいは途中経過と言うべきものですよ。まだ聞き取りが残っているのです」

「誰に聞き取りするんですか」

「真衣様、あなたです」

「私ですか?」

 真衣は驚いて背筋を伸ばし、目をぱちくりとさせた。

「でも、知ってることは全部話したと思いますが……」

「いくつか質問しますので、それに答えていただくだけなのですよ。その前に、聞き取りをした二人のことをお話ししましょう。城島実果みか様と大江有香理ゆかり様です」

 エリーゼは一昨日実果、昨日有香理のところを訪れ、聞いてきたことを話した。主に二人が鳥毛と付き合い始めたきっかけ、そして事件があったと思われる土曜日の行動。

「きっかけまで聞く必要があったんですか」

「二人の性格を知るために必要だったのですよ」

「私は話してませんけど、それを今から言うんですか」

「後で伺います」

「そうですか。とにかく、何がわかったんでしょう。二人とも、土曜日にどこにいたかはっきりしないということしか……」

「そうです。だから警察が疑っているのは真衣様だけではなく、実果みか様も有香理ゆかり様も疑っていると思うのですよ」

「私よりも疑いが強いんですか?」

「それはわかりません」

「その他の人が犯人の可能性は?」

「もちろん、あると思いますね。例えば鳥毛様の会社の同僚です。金曜日に飲みに行ったとき、土曜日に遊びに来るよう誘ったかもしれません。特に女性に」

「じゃあ、その人たちにも聞きに行かないと」

「でも他の被疑者は実果みか様と有香理ゆかり様だと、あなたがおっしゃったのですよ。有香理様のお名前はご存じありませんでしたが」

「それはそうですが……」

「二人とも犯人でないとわかったら、会社の人も調べます」

「そんなにゆっくりしていていいのでしょうか」

「そうでもありません。疑問点が解決したら、すぐにでも犯人を指摘できると思っているのです」

「疑問って?」

「すぐにお教えします。その前に、真衣様が鳥毛様とお付き合いを始めたきっかけを教えてくださいますか」

「どうしても言わないといけませんか?」

「話していただけないほど複雑な事情なのですか?」

「そんなことはありません。簡単です。合コンで知り会いました」

 一年半ほど前の合コンのことを、真衣は話した。ただし、鳥毛の方は会社の同僚と一緒だったが、真衣は短大の友人の会社のメンバーに混ぜてもらっただけ。一人ドタキャンが出たために呼ばれたのだった。暇があると思われたからだろう。

「暇ですか。真衣様はお仕事をお持ちでないのですか」

「今は持ってません。時々アルバイトしています。主に友人の伝手で。合コンしたときもアルバイトしていました。正式にどこかへ就職することも考えましたが、親が別に仕事をしなくてもいいと言うので」

「ご両親が資産家なのですか」

「そうですね、まあまあです」

「まあまあというのがわかりにくいですが、働かなくても一生過ごせるくらいでしょうか。それとももっと余裕がありますか?」

「あると思います」

「鳥毛様も真衣様に仕事をしなくていいとおっしゃいますか」

「はい。いつも家にいる方がいいと」

「お掃除やお洗濯やお料理をして欲しいと」

「料理の手伝いはたまにしますが、洗濯や掃除はしません。お手伝いがやってくれるので」

「鳥毛様のお部屋ではどうですか?」

「料理はします。洗濯は、私がいるときは二人分まとめてやって、彼一人のときは彼が自分でやっていると思います。掃除は……めったにしません。何と言うのか知りませんけど、粘着の、コロコロ転がすのでたまにするくらいで」

「私のこの事務所はル○バが掃除をしてくれるのですよ」

「私もそれを買ったらと彼に言ったんですが、床とラグの段差を乗り越えられないから、ダメだと」

「掃除の前にどけてしまえばいいのではないですか」

「でもソファーの下までいてありますから」

「ああ、家具を全部動かさないといけないのですね。了解です。さて、次の質問です。この花は何かご存じですか」

 テーブルの上に置いてあった鉢を、エリーゼが真衣の前に動かした。

「知ってます。桔梗ですね」

「よくご存じですね」

「だって部屋で育ててますから。それに事件のときは、これがちぎられて、ばら撒かれてたって説明したじゃないですか」

 質問がずっと続いているので、真衣は少しイラついてきたようだ。

「では真衣様もこれをちぎってくださいますか」

「……どうして?」

「犯人のちぎり方と違えば、真衣様が犯人でないという証明になるからですよ」

「……でも私、どんなちぎり方なのか知りません。偶然一緒になったら困ります」

「同じだから犯人と言うつもりはありませんよ。単なる参考です」

「本当に?」

「本当です」

「でもせっかく綺麗に咲いてるのに、ちぎりたくないですが……」

「お気になさらず。このために買ってきた、とても安いものです」

「そうなんですか」

 納得した様子でも、真衣はまだ迷っている感じだったが、断る方が印象が悪いと思い直したのか、鉢に手を伸ばした。

 左手で鉢を押さえ、右手で花びら全体を摘まんで引っ張る。すると桔梗はすっぽりと土から抜けてしまったのだった。

 予想外の事態だったのか、真衣は「ひっ!」と小さく悲鳴をあげ、目をいっぱいに見開いて驚いている。

「なっ、何ですか、これ!?」

「申し訳ありません、言うのを忘れていましたね。それは鉢植えではなく、切り花を土に挿しただけなのです。ですから鉢ではなく茎を持って下さらないと、そうなるのですよ」

「先に言ってくれればよかったのに。びっくりしました……」

 真衣は抜けてしまった茎を、土に開いた穴に挿し直すか考えていたようだったが、それはやめて左手に持ち替え、右手で花を引っ張ってちぎった。もちろん花は、付け根からもげた。

「他の三つもちぎるんですか?」

「お好きなだけちぎっていただいて結構ですよ」

「そうですか。でもやっぱりちぎるのは好きじゃないので、これだけにします」

 真衣が言うと、エリーゼはデスクからティッシュを一枚取って来てテーブルの上に広げ、花をそこへ置くよう指示した。そして真衣から茎を受け取ると、鉢の土に開いた穴へそれを挿し、根元の土を指先で少し直した。桔梗は三輪だけ、再び鉢植えのように咲くことになった。

「それで、これは何のために……」

「疑問が一つ増えてしまいました」

 しかし言葉に反して、エリーゼは笑顔を保っている。真衣はまた目を少し見開いた。

「何が疑問ですか」

「真衣様は、現場で桔梗の花がどのようにちぎられ、どのようにばら撒かれていたか、ご存じないのですよね?」

「そうです。さっき言ったとおりです」

「実は私も知らないのです」

「……そうなんですか? でもさっき、犯人のちぎり方を知ってそうなことを言ってたような……」

「ですから、想像したのですよ。ただし私一人では実際と違っている可能性があるので、他の人にも花をちぎってもらいました」

「他の人にも?」

「言い直しましょう。花をちぎる、と聞いて、どんなちぎり方をするか、友人10人に試してもらったのです。そうすると、10人とも真衣様と同じちぎり方をしたのですよ」

「そうなんですか。じゃあみんな想像することは同じなんですね。でも犯人は……」

「ところが実果様と有香理様は違うちぎり方をされたのですよ。実果様はこうです」

 エリーゼは鉢にまだ残っている三つの花のうち、一つの花びらを両手で摘まむと、星型のくぼんだところから付け根に向かって裂いた。そして、どうですか?と言いたげに真衣を見る。

「……ずいぶんと地味なちぎり方ですね」

「私もそう思います。そして有香理様はこうでした」

 エリーゼは左手で茎を持ち、残り二つのうち一つの花びらを右手で摘まんで、ゆっくりと引っ張ってちぎった。やはり目で真衣に感想を促す。

「花の一部だけがちぎれてしまいそうですが」

「全くそのとおりです。ちょっと普通ではないですね」

「では二人のうちどっちかが犯人と同じなんですか?」

「違うと思いますね」

「なぜですか」

「真衣様はおっしゃいましたよ。『花がちぎられて、ばら撒かれてた』と。そうですね?」

「はい」

「では例えば、このような状態はどうお思いになりますか?」

 エリーゼは鉢に残っていた二つ(一つは一部が裂かれている)の花をちぎると、他の二つと共に鉢の周りに並べた。

「……どういうことでしょうか」

「こういう状態は、『花が落ちていた』と表現するのではないですか」

「あ……そうですね。これだと、ちぎられたとは、さすがに……」

「そして真衣様にジジョーチョーシュした刑事は、その表現どおり質問したのですよ。正確に再現しましょうか。『部屋の中に桔梗の花が落ちていた。鉢もあったが、家の中に以前からあったのか』」

「そう……でしたか?」

「そうですよね、アユミ様」

 エリーゼはそう言って、天草の方を見た。真衣の視線も、そちらへ移る。真衣の目は、あたかもそこに歩美がいたことに、初めて気付いたかのようだった。

 たぶん彼女のような資産家の令嬢は、「付き添っているだけに思えるような人」は最初から目に入らないのだろう。

 城島実果も同じだった。城島家の応接室に、エリーゼと並んで歩美が座っていても、「どなたですか」と聞こうともしなかったのである。あたかも社長に付き添う秘書の存在が、普通に無視されるかのように。

 大江有香理のところへ行ったときは、談話室の中の、少し離れたところでエリーゼと有香理の会話を聞いていた。歩美は入院患者でも見舞客でもなかったのに、有香理はエリーゼの目立つ姿に気を取られて、見逃したのに違いない。

「はい、エリーゼさんのおっしゃるとおりに、実況見分調書に書かれてます」

「お聞きのとおりです」

 エリーゼが言うと、真衣はそちらへ視線を戻した。歩美の存在が、消えてしまったかのように。

「それで、それがどういう……」

「実際はこんな感じだったと思うのですよ」

 エリーゼは花を一つ(一部が裂かれているもの)手に取ると、花の他の部分も、くぼみのところから裂いていった。花は五つの破片になった。

 そして他の三つの花も、同じように裂いた。全部で20の破片ができあがった。エリーゼはそれらを掌に載せると、上に放り投げた。破片は桜吹雪のように舞い散り、テーブルや床の上に落ちた。

「これですと、『花がちぎられて、ばら撒かれてた』ということになるでしょう」

「はあ……それが、どういう……」

 真衣が「まだわからない」と言いたそうに聞くと、エリーゼはソファーの上で居住まいを正した。(、座り直し、胸を張った。胸の大きさが更に強調された)

「真衣様、あなたは刑事から『桔梗の花が落ちていた』と聞いただけのはずです。それなのにどうして私に『花がちぎられて、ばら撒かれてた』と説明されたのですか?」


(続く)

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