第4章 探偵依頼 (前編)

 アヴェンダドールをゆっくりと走らせ、咲洲トンネルへ向かいかけたとき、その手前に臨海署があったことに麗羅は気付いた。最初に偽筆のことを報告に行った警察署だ。応対してくれた刑事からは、いろいろと示唆をもらった。顔は刑事らしくなかったけれど。

 ここで捜査はやっていないだろうが、大阪府警の情報くらいは聞けないだろうか。それが向こうの迷惑にならなければいいが……

 麗羅は車を転回させ、臨海署の駐車場に乗り入れた。受付で「門木刑事さんを」と言ったが、「お休みです」と言われてしまった。

「では……名前を忘れてしまったんですけど、生活安全課の、若い女性の刑事さんで……」

 田名瀬ですね、と言われ、呼び出してもらった。頼りなさそうだが、もしかしたら口が軽くて、何か話してくれるかもしれない……という期待があった。

 しばらくしたら田名瀬刑事がやって来て「うわ、ほんまや!」と言った。名前を言わなかったのは一応心遣いだろうか。たまたまかもしれないが、前回と同じ部屋に通された。

「うわー、羽生先生やー。また来てくださってありがとうございますー。こないだの個展、見に行きましたよー。どう言うたらええんかわからへんけど、感動しましたー」

「……それはどうも」

 ここは警察なのに、また来てくれてありがとうとはどういうことか。それに、麗羅は個展開催中はけっこう長く会場内にいたのだが、彼女を見かけた憶えがない。

 それはともかく、今回の件で警察はどんなふうに捜査するのか教えて欲しい、と頼んでみる。

「んーとね、私はそういう捜査したことないし、詳しいことは教えられへんのですけど、とにかくひたすら訊き回るんです。書画骨董の世界って、情報屋みたいな人がおらへんから、お店とそこで買った人のところを訪ね歩くんです。それだけです。情報くれへん人がたまにおるんですけど、そういうときも諦めんとしつこく訊くだけなんです」

「はあ」

「それで、怪しい人がおっても、潜入捜査とかできないんですよ。最近の偽札とかもそうですけど、書画骨董って基本的に個人で贋作してるはずなんです。拳銃とか麻薬やったら組織があるから、密売人のふりして潜入するとかできるんですけどね」

「なるほど」

「例えば、ある書家の人が怪しい、ていうことになっても、その家のお手伝いさんの口なんかめったなことでは空いてへんやろし、身分を隠して書道教室に通ったとしても、他の生徒さんと話せるようになるのだけでだいぶ時間かかるやろし」

 最後のたとえが適切なのかはわからないが、やはり地道な捜査しかできなくて、時間がかかる、というのは理解した。だから垂井刑事が言うように、贋作をしていそうな人を絞る方が、捜査が早く進むのだ。

「わかりました。教えてくださってありがとうございます」

「いいえー、とんでもない。捜査に時間かかってて、すいません。私も、ニセモノ作ってる人を、はよ捕まえなって思ってるんです。そうせんと、羽生先生の作品が、この先しばらく売れんようになりますから」

「そうですね。いや、私も、本物であることを確実に保証するような証明書について、考えているところです。以前に発行したのも全部取り替えたいくらいです」

「ああ、それいいですね。最近のお札みたいな、偽造防止の技術使って。でも、そっちにあんまりお金や時間かけんのもおかしいし、大変やろし、難儀ですねえ」

 それはそのとおりだ。本義的には証明書ではなく、書道紙の方に偽造防止の何かを仕込むべきだろう。しかしそれも「麗羅専用紙」を作ることになるわけで、大仰になるだけだ。他に方法があればいいが……

「渡利さんに何か訊かはりました?」

「え? ああ、そ、相談してみましたよ」

 他の方法、を考えたときに、頭にふっと渡利鑑識のことが思い浮かんだ。ちょうどそこへ田名瀬刑事が渡利の名前を出したので、思っていたことが顔に出てしまったのかと、焦ってしまった。

 誰かが臨書したものなので、その人の他の書を渡利が見ればわかる可能性があることを、田名瀬刑事に話した。

「何かもっとええ方法思い付いてはらへんのかなあ。でも、そういうときはエリちゃんに相談するのがええんちゃうかなあ」

「エリちゃんというのは?」

 同僚の刑事のことかと思ったら、探偵らしい。この近くに事務所があると!

「エリちゃんは渡利さんの能力に詳しいから、すごいこと思い付くかもしれません。相談だけでもしてみます? 私の名刺持っていったら、2時間くらいはタダで話聞いてくれると思うんですけど」

「そうなんですか。この近くなら少し寄ってみても……」

 渡利の能力に詳しい、と聞いた瞬間、なぜか胸が苦しくなった。今のは何だろう? とにかく、その探偵のところへ行ってみることにする。何もしないよりましだ。

 田名瀬刑事が名刺をくれたが、右肩に「エリちゃんへのご紹介」と手書きしてある。名刺を悪用されないために書かねばならないそうだ。


 警察を出たその足で、麗羅は探偵事務所へ向かった。しかし、教えられた住所に建っていたのは、白い2階建ての、どう見ても中小企業の事務所ビルだ。

 とりあえず駐車場に車を入れ、正面玄関を見る。貼り紙に「裏口へ」とあったので、それに従って非常階段を登る。ドアの中から現れた女性も、部屋の中の内装も、予想と全く違っていた。

 特に女性、すなわち探偵の芝居っ気は一体どういうことか。

「私が当探偵事務所の所長で調査員のエリーゼ・ミュラー、別名三浦エリでございます!」

「こちらが、探偵業届出証明書!」

「これが、従業員名簿!」

「身分証明書! マイナンバーカードと国際運転免許証!」

「ご認識のとおり、臨海警察署員ご推薦、信用度第一の探偵です」

 歌舞伎の『白浪五人男』の名乗りではあるまいし。しかも外国人。これで日本語がカタコトだったら、相談せずに帰るところだ。

 一応、麗羅も名刺を渡して自己紹介したが、探偵は「もちろん、存じておりましたとも」と言う。

「羽生麗羅様ほどの有名人を知らなくてどうしますか。残念ながら私は漢字を書くのはいまだに下手ですが、他の人が書いた漢字を見て、それが美しいかどうかを鑑賞するくらいはできますよ。現に、数週間前のあなたの個展も拝見したのです」

「……それはどうも」

 目の前の探偵は、スリーピース風のベストにスラックス姿だ。こんな目立つ格好をして会場に来たら、麗羅が気付かないはずがない。あるいは麗羅が控え室に下がっている間に来て、帰っていったのだろうか。

 先ほどの田名瀬刑事も憶えがないし、どうも見逃しが多い。やはりあの時は落ち着いていなかったのに違いない。

「さて、どういったご用件でしょうか。お電話では、今日は相談とだけ伺いましたが」

「個展をご覧になったのなら、贋作が話題になったのをご存じでしょうか?」

「そういえば、個展が始まってからしばらく何か話題になっていましたね。しかし、ニュース記事に私の読めない漢字が含まれていたので、詳しいことは知らないのです。察するに、フェルシュンク……日本語ではニセというのですか。そういうものでしょうか」

「そうです」

 麗羅は偽筆が見つかった経緯や、警察に依頼した内容を探偵に説明した。ただし、渡利のことは言わなかった。その上で、贋作者ニセモノをつくったひとを調べる方法はないか、と訊いてみた。

「今までに見つかったニセの数はいくつ? 20くらいですか、それは多いですね。一人で作ったと考えられるのですか?」

「それは……そう思いますが……」

 そんなに何人もの贋作者がいるとは思っていない。しかし、確かめることもしていない。確かに数が多いので、もしかしたら二人とか三人とかいう可能性も考えられる。

 どうして今まで気付かず、誰も指摘しなかったのだろう。それとも、警察の言っていた「絞る」は複数の贋作者も想定してのことなのだろうか。

「確かめた方がよいと思いますね」

「すると、私がもう一度、偽筆を全部見て、そこに贋作者による違いがあるかを調べるということになりますか?」

「それでもいいですが、違う方法もありますよ」

「何です?」

「私が存じている、世界で最も優秀な鑑識人様に依頼するのです。その方は、他の人が書いた文字すらも、全て鑑別することができるのです」

 それはもしかして渡利のことだろうか。いや、間違いなくそうだろう。しかし、彼には偽筆を全て見せた。何か気付いていたのなら、教えてくれてもよさそうなものだ。

 あるいは、真贋の鑑定ではなく、贋作者の分類を依頼すればよかったのだろうか?

「わかりました。方法は私の方で考えます。それで、贋作者が一人か、二人か、それとも三人か、わかったとしましょう。すると次に、どんな調査が考えられるのですか?」

「まず、あなたに関係する人の書道の作品を全て集めます。それと、ニセの筆跡を比較するのです」

「しかし、私の筆跡に似せて書いてあるのに、比較してわかるのですか?」

「ニセであるとわかるのは、違いがあるからですよ。その違いは、書いた人の癖として現れるはずなのです。さらにそれは、普段の筆跡にも現れるのです」

 もしかして、探偵が言っていることは、渡利が言っているのと同じなのだろうか。だとしても、麗羅に関係する人の作を全て集めるのは、探偵よりも麗羅の方がやりやすいのではないか。

「その癖を見つけるのは……」

「先ほど私が言いかけた、世界で最も優秀な鑑識人様ですよ」

 やはり、そうなのか。しかし麗羅にとって、彼に依頼することがあるのは、とてもうれしく感じる。彼に、麗羅自身のことをもっと理解してもらうために……

 いやいや、違う。そんなことが目的ではないと、さっき悟ったばかりなのに。おかしい、私は彼のことを、どう思っているのだろう?

 それにこの探偵は、彼のことをとてもよく知っているような口ぶりだ。もちろん、実際によく知っているのだろう。一体どういう関係で……

「その人のことはまた別の機会に伺うことにして、他に何かありますか?」

「すぐには思い付きませんが、一晩考えてみることにしましょう。連絡先を教えていただければ、思い付いたことをご連絡することもできますよ」

「それには依頼料が必要とか……」

「そこまでは無料相談のうちに含めておきましょう。フジエちゃんからのご紹介ですからね」

 フジエというのは田名瀬刑事のことだろう。名刺には「田名瀬不二恵」とある。連絡してもらえるなら午後から、できればメールで、と頼むことにした。


(続く)

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