第7章 会席料理

 翌月の昼前。

 利津子は大阪地下鉄・西梅田駅の改札口付近で待っていた。出口専用の改札で、列車が到着するたびに大勢の人が下のホームから上がってくる。休日でキタへ遊びに来た人もあれば、阪神電車やJRに乗り換えようとする人もいる。

 待ち合わせ時間の数秒前になって、エリーゼが現れた。いつもながらのスリーピーススーツだが、色は黒、ネクタイはシャンパンゴールドだった。

「グーテン・ターク、リッちゃん。まるで主賓のような姿ですね」

「そうですか? この時期のお呼ばれに適切な服装をしてきたつもりなんですが」

 利津子が着て来たのはネイビーブルーの刺繍レースドレス(膝下丈)にベージュのノーカラージャケット。ネックレスはパール。社会人らしい「会社の関係者」「ちゃんと見え」を意識したつもり。しかしエリーゼの服装とは対照的で、とても連れには見られないだろう。

「ところで、新しい職場には馴染ましたか?」

 歩き出しながら、エリーゼが話しかけてくる。

「とても楽しいですよ! 仕事をするのは初めてで、慣れないことばかりですけれど、みんなが優しく教えてくれるんです。でもいつまでも甘えていないで、早く一人前のことができるようになりたいですね」

 利津子が働き始めたのは、ドイツ総領事館。愛理の件の解決に協力したことでブルーノに評価され、推薦された、ということもあるが、元々、日本人事務員を募集していたからでもあった。ドイツに興味を持ち、ドイツ語を少しでも話せることが条件とあって、利津子にはぴったりだった。ただし、当面は非常勤職員として週に3日勤務。それでも、ほぼ無給の鳳凰寺財団理事よりやりがいのある仕事だ。

「ところで、愛理さんの件というか、黒鷲団と桑名さんの件って、結局どうなったんですか? 愛理さんやブルーノさんとは何度かお話をしたんですが、まだ全部片付いてないっておっしゃって、詳しいことを教えてくれないんです」

「おやおや、リッちゃんの貢献がなければ解決できなかったのに、何とフリジンなこと」

「理不尽ですか? それとも不義理かしら」

「ホップラ! 日本語はやはり難しいです。とにかく、そんな状況なら、私の方からお話ししましょう。でも知りたいのなら、もっと早く言ってくだされば」

「すいません、愛理さんたちが『そのうちに』『早いうちに』とおっしゃるのを真に受けて待っていたんです。それに仕事のことで勉強が多くて忙しかったので、エリちゃんに連絡する時間もありませんでした」

「そうして素直に忍耐強く待つのがリッちゃんのいいところです。さて、リッちゃんがまだ知らないことがいくつかあるはずですが、まず鳥羽の別荘のお皿がいつ盗まれたか」

「そうですね。愛理さんが行った後になくなったんでした。だから一瞬、愛理さんが盗んだのかと思ってしまいましたけれど」

「そんなことはありえませんよ」

「もちろん私もそう信じましたよ。でも鳥羽で写真に撮った名簿には、岡田利津子や鳥羽太郎がもう一度泊まりに来たことにはなっていませんでしたし」

「あそこは泊まるだけでなく、昼食だけの利用もできるのですよ。あの後、電話してシェフに思い出してもらいました。そうしたら3月頃に、トバ・タローらしき男が一人で昼食を摂りにきたのがわかったのです。お昼時の終わり頃で、食事の後も男は景色を見ると言って別荘の周りをうろうろしていました。厨房に人がいなくなった頃に忍び込んで、お皿を盗んだに違いありません」

「なるほど。でもきっと証拠は見つからないようにしたんでしょうね」

「もちろん、指紋を残すようなことはないでしょう。しかしこういう場合、いくつかの事件に対して、ある人物が、そのどれも実行することができた、ということがわかればいいのです」

「それが一人しかいなければ、その人が犯人ということになるんですね。後は別件から証拠を見つけるんですか」

「そのとおりです。リッちゃんはなかなか優秀ですね。助手として雇えばよかったですよ」

「じゃあ、パートタイマーでお願いします」

「機会があればそうしましょう。そうそう、シェフには羽仁琴絵の容姿も説明して、クワナと一緒に来たのは確かに彼女だったと確認できましたよ」

「やっぱりその人が岡田利津子を演じてたんですね。ところで、岡田利津子さんは実在するんですか?」

「いいえ、架空の人物ですよ。でも調べれば実在すると思えるようになっているのです。そこはティナちゃんのいる海東探偵事務所の優秀なところですね。クワナにもすぐには見破られませんでしたし、だから彼はそれを逆利用しようとしたのでしょう」

「なるほど。じゃあ次は鳳凰寺私設博物館ですか。館長代理の玄葉さんにも、羽仁琴絵さんの容姿を説明したんですか?」

「そのとおりです。羽仁琴絵で間違いありませんでした。玄葉様にも、岡田利津子は架空の人物だと説明しましたが、大変驚いてらっしゃいましたよ」

「調べたキュレーターさんが騙されたんですね。もしかしてその人も桑名さんの仲間だったんでしょうか?」

「その行方がわからないので、仲間だったかどうかは不明です。しかし、女性だということですから、クワナがうまく騙したのでしょう」

「女性を利用するのが本当に得意なんですね」

「リッちゃんも気を付けた方がよいですよ」

「そうですね。結婚願望が強いと騙されやすいらしいので、気を付けます」

「さて、クワナが昔の資料を盗んだときの手口です」

「それ、私が言っても構いませんか?」

 玄葉に資料を取りに行かせ、鍵が開いている隙に……という、美術館で考えた手口を説明する。

「ヴンダーバー! ますますリッちゃんに助手をして欲しくなりました。しかし今はまだ稼ぎが少なくて雇えません。この前も、昼食代と旅費しか出せませんでしたからね」

「あのときは遠出ができて楽しかったから、お手当なんていりませんよ。後は、そうですね、桑名さんがいつ、愛理さんが暗号のことを調べていると気付いたか、ですね」

「私はそれをアイリちゃんから直接聞きましたよ。彼女は海東探偵事務所を使ってクワナの連絡先を調べ、直接交渉をしようとした、と言うのです。もちろん、総領事館の書記官であると正直に名乗って」

「まさか! それってとっても危ないじゃないですか」

 利津子はエリーゼの手引きで桑名に会いに行ったときのことを思い出した。女性をたぶらかす悪い男と聞いていたのに、とてもそうは見えなくて、優雅な物腰の、粋人としか思えなかった。予備知識がなければ、エリーゼよりも彼のことを信じていただろう。

「そうなのですが、彼女は責任感が強いのと、事件を大きくしたくなかったのとで、そうしようと思ったのですね。しかし、クワナは何も知らないと言って相手にしてくれませんでした。それだけでなく、アイリちゃんのことを調べて、住所に盗難品の勲章が送られるようにしたのです。ところが、それが決め手になりました」

「どういうことですか?」

 利津子が聞くと、エリーゼが突然立ち止まった。梅田地下街の西の端に近いところで、人通りは少ない。もうあと少し先の階段を上がれば、今日の訪問先がある。

「勲章は、国際小包で送られました。送り先は元々クワナのところだったと思われます。ですが彼は、住所と名前をアイリちゃんに書き換えて、彼女の自宅の宅配ボックスに入れたのです。送り状には番号が付けられて、それで誰から誰に、いつ送られたのかがわかるようになっているのですが、偽造されていました。これは黒鷲団がいつも使う手口らしいので、手がかりとして追うことはできません。しかし、箱に匂いが残っていたのですよ。クワナの手の臭いが」

「桑名さんの? あっ、じゃあ、もしかして、すみれさんの事件の時に手に入れた、小説原稿の匂いと比べたんですか? 渡利さんが?」

「ヤー・ゲナウ! そのとおりです。リッちゃんには全てを説明しなくてもいいからとても助かりますよ」

「褒められて嬉しいですけど、どうして立ち止まってるんです?」

 利津子が聞くと、エリーゼは軽く息をついてから、ゆっくりと歩き始めた。

「アキラ様の素晴らしい手際を思い出したので、感動で足が動かなくなっていたのです。よくあることなので、気にしないでください。さて、箱にも彼の匂いが残っていましたが、勲章にも同じ匂いが残っていました。箱を開けて、一度中身を確かめたのですね。クワナの手の臭いと、4711オーデコロンの匂いを足したものでした。どうやらクワナが最近使っているようなのですが、黒鷲団の指定にあるのかもしれませんね。おや、もしかして4711のことは、まだリッちゃんには説明していませんでしたか?」

「エリちゃんの事務所でブルーノさんと一緒にお話を聞いたとき、4711の名前は出ましたけど、詳しいことは聞いてませんよ」

 そこでエリーゼは、勲章を渡利鑑識で調べたときに、盗難品であること、特徴的な傷があること、4711の匂いが付いていたことを説明してくれた。それから、イレーヌが最近、4711ポーチュガル(日本の商品名としてはこの発音になる)を使っているので、ブルーノが早とちりしかけたことも。

「渡利さんはやっぱりすごいですね! 私も鑑定してほしい骨董がいくつかあるんですが、大阪に出る機会がなかったので、まだ頼めていないんです」

「ウメダからでも少し遠いですから、時間が取れないのは理解できますよ。でもアキラ様が日本にいらっしゃるうちに依頼してください」

「あら、じゃあ、どこか外国へ行かれるんですか?」

「遠からずそういうことになるでしょう」

「じゃあ早めに依頼に行きます。それで結局、桑名さんは捕まったんでしょうか? ニュースではそういうことを目にしませんけれど」

「それなのですが、どうやら外国へ行ったようなのですよ。海東探偵事務所が突き止めたのです。私が事件を解決しようとしたので、気付いて、逃げたのだと思いますね」

「あら、残念ですね! 羽仁琴絵さんも連れて行ったのでしょうか?」

「そのようです。ただ、クワナがもっといい女性を見つけたら、彼女を捨ててしまうでしょう。可哀想ですが、悪人に騙されたのですからしかたありません。おや、ここが会場ですね」

 地下道の西端の階段を上がったら、ホテルの目の前だった。正面入り口横の「歓迎」看板の一つに、「ドイツ総領事館親睦会ご一行様」とある(ご丁寧なことにすぐ隣にドイツ語でも書かれていた)。今日の料理は「ドイツの素材を使った和風料理」と聞いている。会費を取るが、利津子とエリーゼだけは無料!

 そして親睦会、とあるが、実際のところは総領事館の職員二人の、婚約発表を祝う場だった。その二人とは、もちろん……

「本当に、めでたいことですね。長い間、ドイツと日本に離れていた二人が、ようやく結ばれるなんて! 私も総領事館で働き始めた機会に、いいお相手を見つけたいです」

 ホテルのフロントで、会場の部屋の位置を教えてもらった後で、利津子が言った。

「ぜひそうしてください。日独友好のためにも」

「相手がドイツ人とは限らないんですけどね。日本人の職員も多いですから。そうそう、エリちゃん、最後に一つ教えてください」

「何なりと」

「桑名さんの協力者が、羽仁琴絵さんだというのは、どうやって確認したんですか? 彼女の写真はないって言ってたと思いますけど」

「もちろん写真を入手したのですよ」

「どこからですか?」

「彼女がかつて勤めていたところです」

「天保山美術館ですか? でも、仕事を辞めたんですよね? そんなところから、よく入手できましたね。個人情報なのに」

「エス・トゥト・ミア・ライト! 申し訳ありません、これ以上詳しくは言えないのです!」

 どうやらエリーゼは、目的の物を密かに入手する技術を持っているらしい。それはいったいどんな技術だろう? とても気になったが、利津子は敢えて聞かないことにした。知らずにいろいろと想像した方が、楽しい場合もある……


(第10話 終わり)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る