第1章 姉による鑑定依頼 (後編)

「品質はもちろん、それを活かすカットも素晴らしい。研磨師の名前まではわかりませんが、どれも超一流の仕事です。真珠を除いて、一人の研磨師の仕事でしょう。オパールはカボションなので確実なことは言えないが、遊色を最大限に引き出すように切り出す工夫にカッティングとの共通性が見られるので、おそらくそれも同じ研磨師の仕事でしょう。リングの彫金も見事で、カットの特長をよく活かしている。これも全て一人の仕事でしょう。あるいは研磨師と同一人物かもしれない。もっとも、これは今回の鑑識とは関係ないかもしれませんが」

 真希は言葉に詰まった。全て本物、というのは自社の鑑別士と同じ結論だった。ただ、自社の鑑別士たちは、これらが全て一人の研磨師の仕事だとは気付かなかった。というのも、カッティングの形が全て違うからだ。

 宝石にはその特長を活かすための色々なカットの仕方がある。例えばダイアモンドならブリリアントカット。ここに持って来た宝石はそれぞれ、ルビーはオーバルカット、サファイアはクッションカット、エメラルドはエメラルドカット、トパーズはマーキーズカット、紫水晶はペアカット、瑠璃はラウンドカット、そしてオパールは渡利が言ったとおりカボションカットだった。

 カボションというのは中世フランス語で“頭”を意味する言葉で、楕円球を半分に割ったような形に磨き上げる。つまり、他のカットと違って上部に“面”を作らない。それは他のカッティングの特徴と見分けにくいことを意味する。

 面を作るカッティングでは、原石に対していかに適した方向に切り出すか、いかに綺麗な平面に仕上げるか、いかに稜(平面と平面の接合面)や頂点(二つ以上の稜の交点)を綺麗に合わせるかでその質が決まる。カボションではそれがわからない。曲面を綺麗に加工する技術とは比較することができないからだ。だから渡利は「確実なことは言えない」と言ったのだろう。真珠はもちろん、カッティングとは無縁だ。

 しかし、異なるカッティングを見ただけで、同じ研磨師の仕事であるのを見抜くなんて信じられない。というより、真希の感覚ではあり得ないことだった。もしかして、こちらがわからないと思って、いい加減なことを言っているだけではないだろうか?

 それに、その研磨師は2ヶ月ほど前、解雇された。退職ではなく、解雇だった! 理由は不明だが、父からの直接の指示によるものらしい。まだ若手で――といっても真希よりは年上だったが――業界紙でも取り上げられたことがあるほどの腕前で、将来はデザイナーとしての活躍も期待されていた。

 父の指示で解雇されたということは、父に対して何か裏切り行為があったのだろう。男性として憧れを抱いていたこともあるだけに、真希自身の期待も裏切られた気がして、今はその男のことを考えるだけでも腹立たしい。

「ところで、宝石を本物か偽物か鑑別するという依頼でしたが、全て本物であるというのが今のところの結論です。他に何か鑑別すべきことがありますか?」

 渡利が紙に何かを書きながら言った。あの紙は、鑑別書のつもりかもしれない。

「……この中に一つ以上の偽物があるはずなのです」

「いや、全て本物です。どれも一級品です。産地まで特定できます。リングのデザインはBAN-YAバンヤの商品と同じ傾向があります」

「しかし……」

「真希さん、鑑別の趣旨を詳しく説明すべきですよ。渡利君は普段、そういうことは聞く必要がないと言ってくれますが、今回のは普通の真贋鑑別や品質鑑別とは違うのでしょう?」

 天川が口添えしてきた。確かにそうかもしれない、と真希は思った。今回の依頼は事前に依頼書を記載し、“真贋鑑定”としたが、父からの指示は別の言葉が書いてあった。それを説明すれば、あるいは別の鑑定結果が出せるかもしれない。

 しかし、この男に言うのが気に入らない。個人的に、気に入らないのだった。皆まで言うべきかどうか……

「……この八つの宝石を、本物とそうでないものに分ける、というのが趣旨です。そして私と妹がいずれかを選びます。最初の選択権は私にあります。私がどちらかを選び、残りは妹のものになります」

「つまり、誰か別の人からの指示ということですか」

「ええ、父からです」

「『宝石を、本物とそうでないものに分ける』というのは正確な表現ですか」

「ええ、もちろん」

「しかし、全て本物です」

「それはわかっています。私自身もそう鑑別しましたし、我が社の他の鑑別士も同じでした。しかし、それを父に報告し、私が全てを選択すると言うと、それは違うと言われたのです」

「番屋社長は本物はいくつあると言っていましたか」

「何も言っておりません。しかし先日、全てが本物だと報告したら『そうではない』との返答だったので、偽物が少なくとも一つ以上あるのでしょう」

「“そうでないもの”と“偽物”では意味が違うのではないですか」

「何ですって?」

 本物でなければ偽物に決まっているではないか。この男は言葉遊びをしているのだろうか。

「番屋社長からの指示は口頭ですか」

「いいえ、手紙でした」

「それは今ここにありますか」

「ありません」

「手紙での指示を正確に再現していただけますか」

「先ほど言ったことが全てです。念のためにもう一度言いましょう。この八つの宝石を、本物とそうでないものに分ける、です」

「そうであれば、鑑識結果は先ほどと同じです」

「そのようですね。来るだけ無駄でしたわ」

 真希はテーブルの上のケースの蓋を閉めながら、アタッシェケースの中に戻していった。やはり最初から思っていたとおりだった。こんな若い男に、何もわかりはしない。私よりも目が利くはずがないのだ。

「鑑識料は8千円です」

 渡利は紙を差し出しながら言った。やはり鑑別書だったらしい。八つの宝石の鑑定を、あっという間に書き終わってしまった。しかしそんなものは真希にとって、もはや不要だった。

「請求書は我が社の経理部へ回してください」

「後払いはできません。即金でお支払い願います」

「では、カードで支払いますわ」

「いいえ、現金のみです」

「現金なんて持ち歩きませんわ」

 もうここ何年も、真希は現金で支払いをしたことがなかった。全てクレジットカードかICカードだ。それで支払いができない場合などあったためしがない。見かねたか、天川が口を開いた。

「では、こちらでいったん立て替えておきましょう。渡利君、法律事務所への請求に積んでおいてくれますか。今週締めの分で。名目は依頼書に記載したとおりで」

「了解しました」

「真希さん、後で御社への請求に回します」

「ありがとうございます、先生」

 真希は言うが早いが立ち上がっていた。天川も立って渡利に礼を言っていたが、真希は礼を言う気になれなかった。真希は出口へ向かったが、天川も一緒に来ていると思ったのに、後ろから話し声が聞こえてきた。

「渡利君、これはやっぱり、例のところに頼むべきなんかなあ」

「例のところでなくても、頼んでみるべきでしょう」

「しかし、他のところではこんなな依頼は……」

 エレベーターの中で真希が待っていると、天川がようやく出てきた。ドアが閉まってから真希は訊いてみた。

「天川先生、さっきの話は何です?」

「ああ、鑑識結果だけで問題が解決しない場合は、探偵に調査を頼むんですよ。いつものことです」

「探偵なんて必要ありませんわ。これ以上はやはり我が社で調べますから」

「そうですか? しかし……」

「何か気になることでも?」

 エレベーターが1階に着いた。ドアが開いてから建物の外へ出るまで天川は黙っていたが、ビルの玄関を出た後で、囁くように言った。もとより、周りには誰もいない。

早理さりさんには探偵を紹介したんですよ。今日、依頼に行ってるはずです」

「早理に?」

 妹が、探偵に何を依頼しに行ったのだろう? どんな調査結果が出ようと、最初の選択権は私にあるのだから、黙って待っていればいいのに、また余計なことをして。

「あの子を止めてくださいませんか、先生。費用と時間の無駄ですわ」

 運転手に電話をかけて車を呼びながら真希は言った。妹は世間知らずだから、テレビドラマのように探偵が何でも物事を解決すると勘違いしているのだろう。探偵というのは素行調査をするだけなのだ。他人のプライバシーを侵害しようとする下衆な輩でしかない。

 もっとも、取引相手の調査を探偵に頼むことがあるので、それなりに役立つのはわかっている。しかし、自社の中の問題まで相談したら、弱みを握られるようなものではないか。

「まあまあ、早理さんも自分で調べてみたかったようやし、自分のポケットマネーから依頼料を支払うと言うてましたから、好きにさせてあげればええんやないですか」

「そんなことをしていないで、もっと経営の勉強をしたらいいと思うのですけど」

 天川もあまり頼りにならない、と真希は思い始めていた。特に早理には甘い。あの子なんて、名目上の社員でしかないのに。天川は父が特に懇意にしていたから関西の顧問として起用しているけれど、今後私が日本法人を仕切るようになったら、何か理由を付けて整理した方がいいのではないかしら。

 もちろん真希は、そんなことはここではおくびにも出さなかった。


(続く)

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