【短編集】Cool & Sensible 湾岸探偵局!

葛西京介

プロローグ ~だけど解決編 その1

「この暗号を解いた者に遺産の半分を与える。

『S49-40 112 30 39 29 141 18 200 34 11 12 32 91 99

 20 35 64 138 82 98 152゛120 200 44 25 208 61』」


 祖父が亡くなったときに発表された遺言が、それだった。もちろん、これはほんの一部であって、他にも条件がいろいろあったけど、私はあまり興味がなかった。遺留分としてもらえる「相続財産の12分の1」で十分だと思ってたから。

 それでも、遺言発表から1ヶ月後の確認会には呼ばれた。相続人の出席は、相続の絶対条件だった。場所は祖父の家。その応接室。

「本日はお忙しい中お集まりいただきまして、まことにありがとうございます。それではただ今から、故・田之倉恕安じょあんさまの遺言に関する確認会を開催いたします」

 場を仕切っているのは、祖父の顧問弁護士だった天川あまかわ先生。ただし、実際に遺言を取り扱ったのはその事務所の弁護士のうま先生。天川先生はだいたい60歳くらいで、馬下先生は30歳くらい。

 次に天川先生が出席者を確認する。弁護士の二人以外には、5人。そのうち一人だけは親族じゃなく、もちろん相続人でもない。何をしに来たのかはだいたいわかるけど。

 みんなソファーに座って天川先生の言葉を聞いていた。

「親族の皆様はもちろんお互いにご存じとは思いますが、会の内容を録音して議事録にいたしますので、お名前をお呼びさせていただきます。それと一人、皆様にご紹介したい方もおりますので……」

「誰が呼んだんでっか?」

 これは伯父の発言。伯父は、その一人――とても美人の外国人女性――が天川先生たちと一緒に部屋に入ってきたときから、うさん臭そうに見ていた。

「それは申し訳ありませんが、会の進行上、もう少し後とさせてください。では、出席者の確認です。まず、故人の配偶者の田之倉めぐみさま」

 私の祖母に当たる。82歳。この屋敷に一人で住んでいる。お手伝いさんは通い。

「故人の長女の木林さま」

 私の伯母に当たる。60歳。もちろん結婚していて、子供は二人。専業主婦。

「故人の長男の田之倉恕一じょいちさま」

 さっき発言していた人。56歳。結婚していて、子供は二人。祖父の興した会社で働いているが、役員にはなっていない。定年間近の中間管理職。

「故人の次男の故・田之倉ちゅうさまの実子でいらっしゃいます、田之倉さとさま」

 私。20歳。大学生。父と母は、昨年事故で亡くなった。その場合、私が祖父の遺産の相続人の一人になるらしい。代襲相続人というのだそうだ。

「それから暗号を解読された、探偵のエリーゼ・ミュラーさま」

「おや、そちらの名前で紹介するのですか。まあ、どちらでも構わないのですがね。皆様、初めてお目にかかります。エリーゼ・ミュラーと申します。職業は探偵でございます」

 エリーゼ・ミュラーさんはソファーから立ち上がり、手に持っていたブリムハットを胸に当てながら、いかにも優雅にお辞儀をした。外国人なのに、驚くほど日本語が上手だ。多少、外国風の訛りはあるけど。

 ミュラーという名前だから、きっとドイツ人だろう。白人。髪は濃い茶色のショート。背はそれほど高くない。服はスリーピース風の紺のベストにピンストライプの白ブラウス、そして紺のスラックス。胸がとても大きく、脚が長い。入ってきたときから笑顔だったが、何となく「不敵な笑み」に見えなくもない。何歳くらいだろうか。外国人の年齢というのはわかりにくいが、きっと20代前半だろう。

「だから、誰がその子を呼んだんでっか? 部外者に解読を依頼するときは、相続人全員で合意してから天川さんか馬下さんに連絡するて、遺言に書いてあったでしょうが。少なくとも俺はそんな合意した憶えないで」

「はい、それはそのとおりのようですな。ですので、これから遺言の中の条件を確認して、各相続人の配分を決めようというわけです。すぐにわかることです。10分か15分ほどお待ちいただければ」

 天川先生はベテランらしく巧みな言葉遣いで、伯父の気勢を削いでしまった。伯父の言うとおり、暗号解読に部外者が絡むと相続額が少し減ってしまう。けど、全体の金額からすればそんなにたいしたものじゃないのに、どうしてあんなに機嫌が悪いんだろう。

「では、確認を始めましょうか。遺言状は既に一ヶ月前にご披露いたしましたので、今回は要点のみを説明いたします。馬下の方から」

 天川先生が言うと、さっきからずっと緊張した顔だった馬下先生が、軽く咳払いをしながら口を開いた。

「はい、では、説明いたします」

 ちょっと声が震えている。書類を持つ手も震えているように見える。彼が相続するわけじゃないから、緊張することないのに。

「既に皆様ご承知のとおり、相続財産のうちの半分は、法律に定められた遺留分のとおりに各相続人に配分することになっています。一応、配分割合を申し上げますと、被相続人の配偶者であります田之倉恵さまが2分の1、被相続人の実子あるいはその代襲相続人であります3人の皆様が6分の1ずつです。これらはそれぞれ、相続財産の4分の1、及び12分の1に当たります。そして相続財産の残り半分が、遺言状に記載された暗号を解読した方に贈られるということになっております。さて、その但し書きについてですが……」

 もちろん、誰が解いてもいいというわけではなくて、基本的には相続人あるいはその家族に権利がある。ただし、遺言状の発表から1ヶ月以内に解けなかった場合、つまりこの会が始まる前までに解けなかった場合は、「残り半分」は祖父が指定した慈善団体に寄付することになっている。私たちは遺留分しかもらえない。

 もちろん、私たちだけで解けない場合は、誰かに委託してもいい。つまり助っ人を頼むことができる。しかし、それには4人の相続人で合意して、弁護士の先生のどちらかに了承を得なければならない。伯父がさっき言ったとおりだ。

 ただ、助っ人に頼んで解いてもらうと、全体の金額が減る。「残り半分」から助っ人への報酬を引いて、それをさらに半分にして、相続人4人で均等に割る。つまり各自「残り半分」の8分の1未満だ。そしてその残りはやはり、慈善団体に寄付する。

 助っ人への報酬は「全体に対して法外に高くはない」と天川先生は言っていた。それは今日これから発表する「暗号の解答」と一緒に記載されているらしい。

「さて、合意がないままに、単独で外部に委託した場合、その人は暗号に関する相続財産の相続権を放棄しなければならない、ということになっておりました。そして、エリーゼさんに委託したのが誰かということになるわけですが……」

 馬下先生がエリーゼさんの方を見た。

「私が発表せよということですね。結構ですとも。それは、田之倉恵さまであります。このとおり、探偵に対する依頼書がございます」

 エリーゼさんがベストの内ポケットからたたんだ書類を取り出して、馬下先生に渡した。馬下先生はなぜか、それを渡されてちょっと戸惑っているように見えた。段取りと違ったのかもしれない。天川先生がそれを受け取って、広げて、みんなに見せた。

「このとおり、田之倉恵さまの名前が直筆で記載されております。この筆跡については、信用できるに依頼して、間違いなく恵さまのものであると確認できております。ですから、恵さまは相続権を放棄していただかなくてはなりません。その場合、他の3人で均等割りとなります。もちろん恵さまは、遺留分は相続可能ですのでご心配なく」

「おおかた、探偵には遺産のことは何も言わんと依頼して、解けたら自分で思い付いたことにして、独り占めしようとしたんやろ」

 伯母が指摘し、伯父もそうだろうという顔をしている。私は意見を保留したい。

「私はあんたらより取り分が多いから、自分の分はなくなってもええ、あんたらの取り分が増えたらええとおもて依頼したんや。解かれへんかったらみんな1円ももらわれへんのやで。私のおかげであんたら、もらえるようになんねん。私の親心に感謝しいや」

「ほんでも依頼する前に私らに相談したらええやないの。あかんかったらあかんって言うわ。その上でお母はんが独断で依頼するんやったら、私らは文句ないねんから」

「そや。黙って依頼すんのは余計な疑い招くだけやろが。何が親心や、下心やろ」

 伯母と伯父が祖母を責める。私はやはり意見を保留したい。

「えー、ご静粛に願います。まだ、エリーゼさんが暗号を正しく解読したとは確定しておりません。もし間違っておったら、皆様は相続できず、全額寄付になるということを思い出していただきたい」

「そんなん、わかってまんがな。ところで探偵、依頼料なんぼもろたんや? 解読が間違っとっても払う契約になっとるんか?」

「おや、なぜそれをここで発表せねばならないのでしょうかね。それに、私はまだ前金しかいただいていないのですよ。解読が間違っていたら、それも返すのが契約なのです」

「そうか、ほな安心やな。どうせちごうとるわ」

「寄付がお好きなようで、大変結構なことです」

「えー、もう一度申し上げますが、ご静粛に願います。それでは、エリーゼさんの解読結果をお聞きしましょうか。皆様に一応お断りしておきますが、私も馬下も正しい解答を存じ上げません。今日お持ちしました、この手提げ金庫」

 そう言って天川先生は鞄の中から小さな手提げ金庫を取り出してきて、テーブルの上に置いた。

「この中に故人がお作りになった解答が入っております。これは今朝まで銀行の貸金庫に預けておりました。遺言状が作成されてから、これが開けられたことは、一度もございません。銀行の担当者と、馬下と私が保証いたします。それでは、エリーゼさん、あなたの解読結果を発表してください」

「結論からでしょうか、それとも解読の過程からでしょうか?」

「どちらでもお好きなように」

「では、好きにさせていただきましょう」

 エリーゼさんはいかにもうれしそうな笑顔で、ベストの内ポケットから一枚の紙を取り出してきた。それが解読結果か、と思ったら、違った。暗号文が記載されているだけだった。


(続く)

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