第四章 Sprinter 荻島雷

第1話 神様ヒーロー

「冬はいいよな。空の下でスケートができるから」


 辺り一面が雪景色になり、校庭にスケートリンクを造る季節になると、いつもシバちゃんの言葉を思い出す。


 でも、外のリンクってそんなに良い物かな?


 去年の全十勝、初めて屋内400mトラックで滑った時、僕は感動した。

 だって、氷があまりに滑らかだったから。

 外のリンクは、いくら丁寧に整氷されれてるとはいえ、風に吹き晒されているから結構凸凹が多いんだ。


 だけどシバちゃんは、そういうのも氷の機嫌の一つ、それを読むのも楽しいって言う。

 わけが分からない。

 確かにリンクコンディションを見るのも、レースのうちだけど……。


 それに、外で滑ると風の影響を受けるだろ?

 追い風ならタイムが伸びると思われがちだけど、あまりに強いと背中や太ももの裏がざわざわしていつも通りに滑れないんだ。

 向かい風なんてもってのほかだよ。


 けれど、シバちゃんは風の中で滑るのは気持ちいいから、たとえ強い向かい風の日でも、やっぱり外で滑りたいんだってさ。


 シバちゃんの考え方は、僕とは違うものが多い。

 例えば、ダブルトラック形式でのスタート。

 普通なら皆インスタートの方が好きと言うし、もちろん僕もそうだけど、シバちゃんは一人だけ、どっちでもいいと言っていた。

 インでもアウトでも関係ないらしい。

 顔を見ても強がりで言っているようには見えない。


「確かにコーナリングではインが有利だけど、アウトなら相手に張りつけば、バックストレートで一気に追い抜いて加速できる。いわゆるスリップストリームってやつ」

 

 スリップストリームの話は何度か耳にしたことがあるけれど、まさかシバちゃんの口から出るなんて驚いた。

 けど実際、シバちゃんがタイムを更新するのはアウトスタートの時が多いんだ。

 シバちゃんはスタートダッシュでタイムを稼ぐ派だけど、アウトスタートではバックストレートで一気にストライドが伸びる。

 あれはきっと、そういうことなんだろう。


 そういえば、去年の全道でシバちゃんがタイムを大幅更新した時も、アウトスタートだったな。


 去年の全道は、僕にとってもシバちゃんにとっても特別な大会だった。

 僕は初出場だったし、シバちゃんは500mの部で二位に入って全国大会への出場を決めた。


 まだ予選の段階なのに、緊張でおにぎりも喉を通らなくなってしまった僕を見て、シバちゃんは、とっておきの秘訣を教えてやるよと言った。


「スタートの時は、氷を見るんだ。ピストルの光が映るから」

「そんなの見えるの? 僕、見ようと思ったこともないよ」

「見える。音より光の方が絶対速い」


 そう言って指で、あの辺だよ、と示してくれた。


 でも、どれだけ氷面に目を凝らしても、僕には何かが映っているようには見えなかった。

 だから結局いつも通り音を聞いてスタートすることにしたんだけど、かえってそれが良かったように思える。

 一度違う方法に目を向けたことで、肩の力を抜くことができたから。

 結局、僕は決勝には進めなかったんだけどね。



 シバちゃんとはスポーツ少年団からの付き合いだから、知り合ってもう九年になる。


 小一の時に、近所のスピードスケートの少年団に入ったら、シバちゃんのお父さんが監督をしていた。

 シバちゃんはお父さんに付いて三歳から練習に参加していたらしい。

 正確には、お父さんが教えてる傍ら、ひたすらリンクで遊んでいたみたいだけど。


 でも時々お父さんだけがいて、シバちゃんがいない日があって、そういう日はお母さんに付いて行っている日だった。

 シバちゃんのお母さんは帯広と釧路でフィギュアスケートのコーチをやっていて、そっちはそっちで、お母さんが教えている間シバちゃんはずっと遊んでたんだって。

 だから、シバちゃんはスピードもフィギュアも両方滑れる。


 僕にとってシバちゃんは洒落でも冗談でもなく、氷の神様。

 それはもう、とびっきりのヒーローなんだ。

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