第4話 再会
「ねえ、隣のクラスに編入生来てるって」
休み時間、絵里子が私の席に来てこそっと言う。
私は首を傾げた。
「もうすぐ五月なのに。うちって外部生受け入れてないよね?」
「特例じゃん? たまにいるよ。早く見に行こ」
絵里子の興奮が伝染し、私も席を立つ。
ずっと同じメンツで四年目ともなれば、互いの顔を見飽きてくる頃。
そこへ学年初の編入生の話。
高等部に上がっても変わり映えしない学校生活を送っている私達にとっては、好奇心を満たす格好の的だ。
窓から覗こうとしたら、既に人だかりができていた。
見えないね、とか言いながら背伸をすると、黒板に書かれた名前が目に飛び込んできて、私は心臓が止まるかと思った。
……嘘でしょ。
そんな珍しい同姓同名はありえない。
私は無我夢中で人ごみをかき分けた。
必死に割り込み、ようやく抜けて目にした彼は、すごく背が伸びていた。
私より小さかったはずなのに、今じゃ周りより頭一つ抜けて大きい。
今、私はどんな表情をしているだろう。
多分目玉が転げ落ちそうになっている。
ちょっと里紗、という絵里子の声が耳に届いたのか、早速部活の勧誘を受けて困り眉で笑っていた彼は、ハッと顔を上げて、こっちを見た。
五年ぶりに見た彼の顔。
鼻筋のしっかり通った精悍な面立ち。
すっかり大人びていても一目で彼だと分かったのは、目が変わっていないから。
銀世界に反射する太陽の瞳。
その目で真っ直ぐ見られた私は、プールサイドの時と寸分違わず固まった。
「委員長、だよね」
彼は目を見開き、確かめるように言った。
声変わりしてる。
当たり前か、高校生だもん。
きっと私だって色んな物が変わっているはず。
……けど、覚えていてくれた。
私は胸がいっぱいになった。
「とーま。久しぶり。びっくりした」
言い切ってから、自分で自分にびっくりした。
とーま。
一度も口にしたことがない、羨ましくて堪らなかった呼び名を、気付けば私は口にしていた。
とーまは一気に目元を緩めて笑顔になった。
「オヤジに引っ越し先が群馬の高崎って聞いてさ、真っ先に委員長のこと思い出した。でも、まさか同じ学校とは思わなかったよ」
「お父さんの仕事でこっちに? 」
私が訊くと、とーまは首を横に振った。
「オカンが前橋の医療センターに入院することになって、家族でこっちに来たんだ。色々急だったからさ、手続きとかバタバタしてるうちに始業式に間に合わなくなっちゃって」
そういえば、とーまのお母さんは病気がちで、参観日はお父さんが来てたのを思い出した。
前橋の医療センターって、群大のだよね。
こんな遠くまで遙々来るなんて、容態そんなに深刻なのかな。
そもそも何の病気なの。
訊きたいことは山ほどあるけど、気付けば私達は完全に注目を集めている。
言葉を探す私に、とーまは明るく言った。
「俺、転校なんて初めてだからさ、実はこの一ヶ月ずっと張り詰めてたんだ。委員長がいてくれるなんて、俺本当にツイてる」
屈託の無い笑顔を見上げて、ツイてるのは私だと思った。
「私、中等部からずっとここだから。何でも聞いてね」
チャイムが鳴った。始業五分前。
「ねえ、委員長。後でもっと話したい。クラスどこ? 放課後空いてる?」
直球の誘いにドキドキしながら、私は必死に平静を装う。
「Aクラ。私部活は入ってないから、空いてるよ」
「ちょっと待った! 山崎さんが空いてても、刀麻君は空いてないからね!」
痺れを切らしたように割り込んできたのは、
先週のスケート部の新歓、欅坂メドレーでセンターを務めてた子。
「僕は嫌だ!」で氷上バク宙を披露して、バカ受けしてた。
あの霧崎君が脇役で群舞に収まってるのも可笑しかった。
スケート部は榛名学院の花形だから、男子も女子も役者揃い。
「あ、ごめん、ちょっと他のこと考えてた」
「だから刀麻君は、僕と先約があるの!」
阿久津君は頬を膨らませて、とーまの学ランの袖をぎゅっと引っ張った。
女子も真っ青なあざとさに、ちょっと引く。
「スケート部、高等部は今日リンクの割り当て無いんじゃなかったの」
とーまにこそっと言われて、阿久津君は、うっ、とたじろいだ。
「……でも、陸トレあるもん。設備とかも見てってほしいよ」
阿久津君は何としてでもとーまをスケート部に引き込みたいんだろう。
男子部員、少ないから。
「俺、受験の時に一度はるなリンクは見てるんだ。だから、今日は委員長と帰るよ。積もる話もあるし。……心配すんなって。俺、絶対スケート部入るって決めてるからさ。この学校選んだのも、あのリンクが決め手になった」
その言葉に、阿久津君は幾分ホッとしたみたい。
関東一円見渡しても、スケートリンクを併設している学校はうちだけだ。
榛名学院を勧めてくれたお母さんに、三年越しに感謝する。
あの時中学受験をしなかったら、私はとーまには会えなかったんだ。
ボタンの掛け違え一つで、二度と交差することは無かったかもしれない運命。
「……とーま、今もスケート続けてるんだね」
私がしみじみ言うと、
「俺からスケート取ったら何も残らないからな」
とーまはいたずらっぽく微笑んだ。
私は胸が熱くなった。
とーまがスケートを続けてる。
とーまの一番とーまらしいところは変わってない。
嬉しくて泣きそうだ。
「ちょっとどういうこと! かっこよすぎる!」
廊下を歩きながら、絵里子がそわそわ言う。
「えぇ? そうかな?」
とぼけつつも、騒ぐ気持ちは分からなくもない。
だって実際、とーま、かっこよくなってる。
きりっとして、逞しさすら感じちゃうほど。
「スケート部かあ。霧崎君と人気を二分しそうだわ。……でも、あれだけ見せつけられちゃったら、誰も手出せないね」
絵里子はニヤニヤ笑って私の脇腹を小突いた。
「……ただの、幼なじみだよ。それもたった二年だけ」
ぼそりと私は言った。
本当は、幼なじみという言葉を当てはめていいのかすら微妙。
「委員長って呼ばれてたね」
「うん、小四の時学級委員長やってたの」
そう言って、私はふと思った。
とーまって、私の名前覚えてるのかな。
記憶を手繰る限り、私は一度もとーまに名前を呼ばれたことがない。
なーんだ、呼ばれたことがないなら、仕方ないじゃん。
そう自分に言い聞かせつつも、小さなシミが心に残った。
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