白明シリーズ

戸 琴子

音のない村

 その石は息をするようにぱくりと割れた。白い胞子が舞う。いちど舞った胞子は写真の中のように、空中のその場に長くとどまり、気長に見つめていると、ようやく落下しているのがわかる程度の速度で、ふわふわと地面へと降りてゆくのであった。石は胞子に侵食され、粘菌が這うような白い線をその中に行き渡らせている。またどこかで小さな破裂が起こった。今度は朽ちた木が割れたのだ。胞子が影のように、空気にへばりつく。


 胞子、と便宜上呼んでいるが、実際この、空から降ってくる白い綿みたようなものがいったい何であるかは、いまだに解明されていない。が、この胞子は、ほんの一週間で村を殺した。



——雪が降ってきたよ。

 と、はじめ子どもらは空を見上げて飛び跳ねた。


 けれど、それが雪でないことは、すぐに知れた。質量の感じ取れない空っぽの白いその落下物は、雪の結晶とはおおよそちがう、いびつな形をしていて、雪よりももっと遅い速度でふっていた。

 胞子は村につもる。村を覆う。非常に、非常に少しづつ。


 最初に鼠の死骸を発見したのは六歳の子ども。坊やは初めて見る小さな生き物の、その死骸を見たとき、それを生き物と認識しなかった。それは、石灰のように白く固まっていたのだ。


 そのうち、犬や、鶏も、同じような死に方をしはじめ、草むらにいる虫も、石灰化してるのが見つかるようになった。

 村の大人たちが不審に思い始めた頃にはもう遅かった。村人たちは、次々にあの鼠のように、犬や鶏のように、白く固まり、息を止めた。村は日ごとに白くなって行った。この一週間、空は胞子を降らすのをひと時としてやめなかった。



 すっかり命の色のない村の真ん中を、タイヤの大きい二人乗り四輪車が走る。

 車輪に跳ねあげられた胞子は、まるで花を咲かせるように空中に浮かぶ。わだちに沿って胞子の壁ができる。これらは、また元の白い面に戻るまで、何時間もかかるのだろう。しかし、車はそんなことには気もかけずに、ぶろぶろと進んでいた。

 中には運転席にひとり。白明だけが乗っている。身体に分厚な防護服を着ている。それによって指も大きくなり、いかにも運転しずらそう。


 車は、村の中央にあった過去の英雄の石像を通り過ぎた。村の端まできた頃に、車はゆっくりと速度を落として、ついには停まった。白明は隣の座席に置いてある硝子のヘルメットを頭にかぶる。完全な防護となった。まるで宇宙服。彼は車のドアをあけて、地面へ飛び降りた。


 手首に取り付けられたパネルを見る。それは電子画面になっており、この村の地図を写していた。緑色の四角や、赤いばつ印がある。これらは、白明がこの村の中の、確認し終えた場所と、まだしていない場所を表していた。白明は順番に、まだ見ていない家を巡っていかなければならない。


 どの扉も、手を触れただけでたやすく崩れてしまう。それは、壁も、窓も、何もかもがそうだった。家の中に、白い胞子に蝕まれた食器や衣類や、書物、ぬいぐるみ、写真、楽器など、死に纏われた生活の残骸がいたるところに寝転んでいる。そして、白く固まった人の死体も、ときおり見ることがあった。が、白明はそういったものには見向きもせずに、生存者を探した。

 そうである。彼は生存者を探しているのだ。

 今日で四日目。今まで六人だけ見つけた。そして、この探索をもって最後となる。あと残す家屋は数軒だった。


 いくらか巡ってついに最後の一軒となった。

 白明は中に入る。玄関、居間を通り抜け台所へ来たとき、手首のパネルの角についている赤いランプが、ピピ、と光った。見るとそこには身体の至る所を白く侵蝕された、まだ十くらいの少年が横たわっていた。


 白明は背中から、網を出す。背中に上手く取り付けられたポケットに仕舞われていた網。これはラン王女の発明である。

 救助網といった。細く強い特殊金属糸の網目にシャボンのような膜がある。彼は少年を救助網で巻いた。中に胞子が極力入らないよう、空気を入れてしまわないように密に巻く。その作業が終わると、腰のあたりから出たチューブを引っ張り、網についてある口に差し込む。そして最後にボタンを押して清潔な空気を中に流し込んだ。

 シャボンのような透明な膜は膨れ上がる。

 卵形に膨らんだ網の中に、少年は白く目を閉じて、そっと寝転んだままだった。白明はそれを大事そうに抱えると、車へ戻った。

 やはり一足ごとに、胞子は空中に伸びて浮かんだ。少年を安全に荷台へ置きシェルターをかけると、白明は運転席へ乗り込む。そして村を出る。


 森を抜ける間に、徐々に胞子はなくなってゆく。

 もうすっかり、胞子は見られなくなった。見上げてもただの空。ただの森である。



 白明は城へ戻ってきた。

 門番は車と防護服姿の白明を洗浄する。

 城では女王が待っていた。十九歳の若い女王。白明が助けこんだ少年をすぐに治療室へ送ると、彼女は白明に礼を言い、彼を別棟へ案内した。


「まったく、天災としか言いようがないけれど、あれは何なのでしょうね。研究部にも究明を急がせているのだけれど、まったく見当もつかない状況なのよ」

 彼女は心労でかなり疲れているようだった。


 広間へ到着した。建物の一画とは到底思えないくらい広い部屋で、荘厳な窓、装飾の多いアーチ型の天井が絢爛である。床にはこの部屋専用にしつらえられた巨大な敷物が敷いてあった。しかし、それ以外には何もない。空っぽの豪奢な部屋だった。


 部屋にはレイがいた。机に本を開いて、静かに読んでいた。読んでいないのかもしれない。が少なくとも、到着した白明の方を見向きもしなかった。


 王女が言う。

「あのキャラバンの修理も終えました。本当にこの度はありがとうございます。白明くん、今回の依頼に際しての謝礼ですけど、後で、使用人の方から渡るようにします。それと、……もう、帰るのですか」


「ええ、もうやることもないので」


「城内を見て行ったりは、」


「大丈夫です」


「それでは、ヘリコプターを用意してありますので、そちらでお送りします」


 女王は「ハルゴー」と使用人の名を呼び、白明を案内させた。最後に彼女は、「本当にありがとうね」と白明に言い手を振った。それからレイにも「お疲れさまでした」と頭を下げた。

 二人はヘリコプターに乗って城を出た。行き先を聞かれ、白明は「適当に」と答えた。

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