いや、恨んでるとかではないんですよ。ずっとあのときのことは覚えてますけどね……

 

「お前にはわからぬだろう。

 深い森の中で一度でも迷ってみろ。

 その恐ろしさがわかるはずだ。


 ああいうときは、ともかく森を出たいとしか考えられぬのだ」


 理性はない、とラロック中尉は言う。


「森の中では突然、危険なケモノが現れて、突進してくることもあるしな」

とラロック中尉をかばうように王子が言った。


 その危険なケモノがイラーク様のパンを食べたのでしょうかね、と思いながら、アキたちは森の中に入り込んでいった。


「あのー。

 で、なんでまた、我々はその危険な森に入っていってるんですか?」


 迂回路うかいろがあるのなら、そっち通ったらどうですか、と言ってみたのだが。


 王子は、

「なにを言うっ。

 此処を通れば近道なのに、避けて通るとかっ。


 なにやら負けた気がするであろうがっ」

と言い出した。


 ラロック中尉もその言葉に同意する。


「そうですっ。

 最初から迂回しては、なにやら負けた気がしてしまうではないですかっ」


 兵士たちも深く頷いていた。


 ……うーむ。

 男というのは困ったイキモノだな、とアキは思う。


 いどみたいのだろうな、こう、強大な敵的なものに。


 いや、ただの迷いやすい森のようなんだが……。


「そういえば、迷路は右手で壁を触りながら進むと出られるとか言いますよね」


 アキは子どもの頃、本で読んだウロ覚えな知識を語ってみたが。


「壁がないだろうが」

とあっさり王子に言われる。


 そうでしたね……。


「あっ、では、木を触りながら進んでみたら――」

と言いかけて気づいた。


 その場をぐるぐる回ってしまいますよね……。


 それぞれが手近な木の幹を右手で触り、木の周りをぐるぐる回ってしまう自分や王子たちが頭に浮かんだ。


「でもそんなにみんなが迷うのなら、森の中に道路標識とかつければいいのに。

 あっち出口とか」

とアキは言ったが、


「それで出られても、なにかロマンがないだろう」

と王子が言い、みんなが頷く。


 ……わかったぞ。


 必ず迷うけど、さほどの危険はない森なんだな。


 危険なケモノというのも、命に関わるほどのものではないのだろう。


 男というのは、なにかに挑みたがるイキモノのようだ。


 適度に危険ななにかに……と思うアキに王子が訊いてきた。


「ところで、道路標識とはなんだ?」


「安全に道を進むために、みなが守らねばならないものです」


「それがあれば、みんな、そこに書いてあることを守るのか?

 ずいぶんと聞き分けがいいんだな、お前たちの世界の人間は」

と感心したあとで、王子は言う。


「それとも、そのドウロヒョウシキとは絶対的な力が宿っているモノなのか?

 その前に立ったら、曲がりたくなるとか、真っ直ぐ進みたくなるとか」


「……一時停止したくなるとかですね。


 そうですね。

 絶対的な力と権力を持ったものらしいですよ、警察的には」


「警察とはなんだ」

と王子は訊いてきたが、アキはブツブツと呟いていた。


「そう。

 絶対的なモノらしいんですよ。

 だって、ちょっと止まる時間が短かっただけで、七千円とられましたからね。


 すぐに払いに行って、郵便局でわあわあ言ってたら、

「わかりますーっ」

と受付のおねえさんも同意してくれましたよ」


「……なんだかわからぬが、お前のその警察とやらへの深い恨みは伝わってきたぞ」

と多少呆れ顔で王子が呟く。


 いやいや、警察全体に恨みはありませんけどね、と思いながら、アキは王子の馬上から上を見た。


 太陽の位置を確かめるためだ。


 もう迷っているのか。


 まだ迷っていないのか。


 かなり濃い緑の葉が空を覆っている。


 ゆっくりと警戒するように進む馬上で、王子が片手でグッとアキの肩を抱き寄せた。


「……来るぞっ」

となにかの気配を追うように前を見て言う。




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