第27話 久住さんvs牧原

「ど、どうぞ……」


「わぁ~、ひろ~い♡」

「まさかウタくん先輩の家が、こんなに大きいとは思いませんでした!」


 緊張で震える手でリビング前のドアをゆっくり開けると、初めて俺の家に訪れるお二人さんはご満悦の様子。二人とも、宝箱を開けたときのように目を輝かせていた。


「ウタくんのご両親って、どんなお仕事してるの?」


 久住さんは興味津々な様子で聞いてきた。そりゃ広い家見たら、気になるよな。

 でもあんなビッグなキャリア、簡単に打ち明けられないよなぁ……。


「ウタの両親はすごいぞ? なんせお父さんが国家公務員で、お母さんは海外を飛び回る凄いお医者さんだろ?」

「あっ、あぁ」


 すると颯人が即座に答えた。もちろん俺のためについた嘘だ。

 久住さんと牧原はあっさり納得し、なんとか誤魔化せたみたいだ。


「ありがとうな、颯人」

「なぁに、いつものことだろ?」


 俺が小声でそう言うと、颯人は小さく親指を立てる。

 こういうときに強く思わされる。長年の親友はいいな、と。


「そういえばウタくん先輩って、お姉さんいませんでしたっけ?」

「あぁ、姉なら……」


 牧原にことねぇのことを触れられ、俺は「OLだよ」と嘘を伝えようとしたのだが……


「忘れ物、忘れ物~」


『ガチャ』と、扉の開く音が聞こえた。振り向くとそこには──


「あっ」

「あつ」


 お姉さん帰ってきちゃったぁぁぁぁぁ!!!!


 変装用の眼鏡のレンズを拭きながらリビングに入ってきた琴ねぇは、久住さんや牧原の前で素顔を晒している。もうこれ、詰みっすね。


「あー! もしかして、モデルの藤澤琴奏ふじさわことか!? なんでウタくん先輩の家に!!?」


 姉の顔を見て、牧原はすこぶる興奮してピョンピョン跳びはねる。

 JKの間で話題のファッション雑誌の超有名な専属モデルである姉だからか、牧原は感動のあまり目に涙を浮かべていた。


「あぁ、紹介するよ。ウチの姉さん」

「どうもぉ〜」


 こりゃ誤魔化せないな。俺は諦めて姉のことだけ打ち明けた。


「お姉さん、お邪魔しております」


 けれど久住さんは何一つ興奮した様子を見せず、ペコリと丁寧に頭を下げる。

 久住さんはどうやら、琴ねぇのことを知らないみたいだ。


「てか、なんで帰ってきたの!?」

「いやぁ、忘れ物したから仕事の合間に戻ってきたの。てことだから、あとはごゆっくり~」


 忘れ物を取ると、ニヤリと笑みを浮かべながら家を出て行った。


「ウタくん先輩のお姉さんが……かりしゅまもでる……はぅぅぅぅ」


 ほんの二分ほどの有名人の登場に、牧原の興奮はしばらく冷めることは無かった。



 〇



「久住さん、ここ教えてくれないかな?」

「ん? どれどれ?」


「颯人先輩、ここなんですけど~」

「おっ、どれどれ……。そうそう、そんな感じ!!」


 突然のカリスマモデル登場イベントがあったものの、しばらくすれば三人とも、何事も無く俺の部屋で勉強──ではなく、ヒロインによるイケメン主人公の取り合いが勃発していた。

 ハーレム状態の颯人。対する俺は黙々と勉強しようとしているが、何の面白みも無い自分の部屋に美少女が二人もいることに終始緊張して勉強に集中できない。

 そもそもは久住さんのせいだ。久住さんが俺の部屋に入る前に「良いニオイだね♪」なんて言うからぁぁ……。


 ──それにしても颯人、羨ましいやつだなぁ。


 二人の美少女の間に座る颯人を、俺はぼーっと眺めていた。

 そして、あまりにも羨ましいので──


「久住さん、俺も教えてもらっていいかな?」


 つい俺は颯人から久住さんを遠ざけようと考えてしまった。ごめんね、久住さん。


「はぁ~い♪」


 だけど久住さんは何一つ残念そうな表情を見せず俺のところに寄ってきた。


「ここなんだけど……」

「ん? どれどれ?」


 ちょっ、久住さん近すぎ! 肌が密着してますよ!?

 久住さんは何故か俺にも颯人と同じ、いや、それ以上距離感で迫ってきた。もう興奮で頭が真っ白になりそうだ。


「そ、そうだ。そろそろお腹空いてない??」


 俺は迫る久住さんから逃げるように言った。

 ごめんね、久住さん。溢れんばかりの興奮に耐えられませんでした。


「ふっふっふっ……、そうですね……」


 すると牧原が笑いながらゆっくり立ち上がった。


「久住先輩、勝負しましょう」

「はいはい、いいですよ~」


 そういえば二人とも、料理対決するんだった。何事もなく終わってくれればいいんだけど……。


「ルールは簡単。颯人先輩に『おいしい』って思ったほうの勝ちです!」

「は~い」


 びしっと人差し指を向ける牧原に対し、久住さんは緩い笑顔。その表情は「余裕すぎて相手にならない」と言わんばかりのモノに見えてきた。


「へぇ~、俺が審査員かぁ。ウタもやる?」

「いや、俺は二人の料理を食べるだけでいいよ」


 ここでモブの評価はいらないだろ。俺はそう言って戦場から足を引いた。


「じゃあ、どっちから作る?」

「まずは先輩からどうぞ?」

「ふふっ、ありがと」


 こうして二人の料理対決は、両者が火花を散らしながら開幕した。



「はい、召し上がれ♪」


 今回の対決は『オムライス』の出来で優劣を決めるとのこと。

 久住さんが持ってきたのは、ケチャップライスの上に大きな卵の塊の乗ったものだが……、これ、オムライスなのか?


「二人とも、ナイフで卵に切れ目を入れて広げてみて?」


 久住さんにそう言われ、俺達は執刀医がメスを入れるように卵を広げてみた。するとだ。


「「おぉぉぉぉ…………」」


 中のふわとろ~っとした部分にケチャップライスが覆われていく。その様に俺達は感嘆として声を上げた。


「おぉぉぉ…………」

「ん?」

「はうっ!!!」


 後ろでは牧原も声を上げていたが、すぐさま両手で口を押えた。これもう、勝負あったのでは?


「あとは仕上げに、デミグラスソースをかけて完成です♡」


 久住さんが俺達のオムライスにソースをかけると、食欲をそそられてヨダレが出そうになった。


「「いただきます!!」」


 ……うまっ!!

 俺はあまりの美味しさに目を見開いた。さすが久住さん。調理実習のときにも感じたが、料理が上手すぎるんだよなぁ。


「……じゃ、じゃあ次は私の番ですね!!」


 久住さんの実力に怯む牧原。エプロンを身につけ、腕の袖を捲ってキッチンへ向かった。


「なぁ颯人、もう一度聞くけど……」


 そんな牧原を見て、俺は念押しで颯人に聞いてみる。


「ホントに牧原、大丈夫なのか?」

「大丈夫だって。アイツ、『家庭科学科』だから」


 颯人が言う『家庭科学科』とは、ウチの学校にある学科の一つで──名前の通り『家庭科』に特化した学科である。

 そりゃもちろん家庭科だから調理実習もやるわけで、卒業生で料理が出来ない劣等生なんていないわけだが……


「いや待て。まだアイツ、入学して一ヶ月くらいしか経ってないぞ!」


 俺がそう言うと、颯人は「あっ」と声を上げて顔を青ざめさせる。


「見ててくださいね? 今から家庭科学科の華麗なる包丁さばきを──」

「「ちょっ、牧原。猫の手!!」」

「はっ! 私としたことが……」


 俺達は牧原の危なっかしい包丁さばきに恐怖した。その後心配になった俺達はキッチンで牧原を見守ることに……。


 牧原が家庭科学科に入学したのには二つの大きな理由がある。

 一つは颯人と同じ学校に入るためだが、俺達と同じ『普通科』には実力が届かないから、入学のハードルを下げるため。

 そしてもう一つ。それは牧原本人いわく──颯人のための、立派なお嫁さんになるため。これが主な理由である。


 だが牧原は、料理や洗濯などの家事が全般的に残念であり、立派なお嫁さんどころか、一人で生きることすらままならないのだ。


「あちっ!」

「あー、卵がぁぁぁ」


 その後、キッチンで牧原の嘆く声が何度か響いた。牧原には申し訳ないが、これはもう勝負決まったかもしれないな。




「で、できました……」


「「おっ、おぉ……」」


 数分後、牧原が持ってきたのは卵が破裂して中身のライスが漏れたオムライスであった。

 ケチャップは♡を描いていたが、どうもそこに目をつけられないくらい他の部分が悲惨なことになっていた。


「おっ、お疲れ。牧原」

「それじゃウタ。食べよっか?」

「おっ、おぉ」

「牧原、いただきます」


 俺たちは作り笑いを浮かべてみるが、それを見抜かれたのか、牧原の表情が暗い。

 俺たちは何も言えないまま、オムライスを口に運んだ。


「おっ、美味しい。なぁ? ウタ」

「あぁ、美味しい。美味しい……」


 こんなこと言ってもすぐ見抜かれるから無駄だと言うのに……。それでも俺たちはこうするしかないと考えた。

 特に颯人が素直に言ってしまえば、牧原に深い傷を負わせることになるからな……。


 けれどこんなことで、牧原の気持ちが晴れるなんてことがあるわけなく──


「私、帰ります」


 牧原は顔を俯かせたまま、リビングに置いてあるカバンを取りに行った。


「ちょっ、待てって牧原。まだ勝負は──」

「どうせ勝敗なんか決まってます! だからもうおしまい!!」


 自分の敗北を悟り、牧原はヤケになっていた。

 そして震えた声でこう続ける。


「……それに私、バカでした。勝てもしない相手に……、ホント、バカみたい……」


 顔を俯かせていてわからないが、彼女は泣いていた。

 牧原の涙声が胸に刺さり、喉の奥が痛む。


「ウタくん先輩、颯人先輩。今日はありがとうございました……」


 牧原はトボトボとした足取りで久住さんの横を通り、玄関へ向かおうとした──そのときだ。


「逃げるの?」


 久住さんが何かを囁いたのか、牧原は久住さんの横でピタッと足を止めた。


「じゃあ颯人くんは、私のモノだね?」


 そして久住さんは悪い魔女のような微笑を浮かべ、小声で何かを言ったみたいだ。

 なんて言ったのかわからないが、牧原の心を深くえぐる言葉だったのかもしれない。牧原は小刻みに震えていた。


「……いや」

「じゃあ、もう一回やる?」

「…………さいあく」

「おい、牧原!」


 久住さんがいつものようにクスリと笑うと、牧原は玄関へ駆けて行った。

 俺は即座に追いかけようとしたが──


「待て、牧原!」

「……颯人、先輩?」


 なんと颯人が俺よりも素早く牧原の元に追いつき、牧原の手首を掴んだのだ。

 振り向くと彼女は涙で顔がぐしゃぐしゃ。それでも颯人は驚くことなく、優しい声をかけた。


「帰るのか?」

「……はい」

「……そっか。だったら待っててくれ。俺も一緒に帰るから」

「……別にいいです──」

「夜に一人で帰るなんて、危ないだろ?」


 颯人の優しさが心に染みたのか、牧原は進むのを止めた。


「それに料理対決……だっけ? また久住さんに挑戦すればいいじゃん??」

「そんなの、どんだけ頑張っても無理ですよ……」

「どんだけって、どれくらい?死ぬまで?」

「それは……」

「わからないよな?」

「……」

「じゃあ大丈夫。無理って言える度合いがわからないなら、まだ頑張れる証拠だ!」

「先輩……」

「そうだろ?」


 颯人の言葉を聞いて思い出した。

 そういえば中学の頃に初めて颯人が牧原に話しかけた時、試合で負けて泣いてた牧原にかけた言葉と同じだったっけな。


 颯人が腕を離すと、牧原は手をぶらんとさせて立ち止まったまま。どうやら逃げるように帰るのを止めたみたいだ。


「久住さんも一緒に帰る?」

「ううん、私はもう少しここに残っておく。私はウタくんに送ってもらうから」


 こんな状況でも鈍感な颯人クオリティの優しさ。

 けれどさすがに空気を読んだのか、久住さんはニッコリ笑って断った。

 なんか自然な流れで俺と帰るハメになってるみたいだけど?


「それで、どうする?牧原さん」


 そして久住さんが牧原に声をかけると、服の袖で涙を拭い、赤くなった目を向けて──


「……わかりました。久住先輩、もう一度勝負しましょう!」

「ふふっ、いいよ?」

「場所は学校の調理室。時間は金曜日の放課後で!!」


 そう言うと牧原は颯人の手を引っ張って帰ろうとした。

 颯人は「じゃあな」と手を挙げて、牧原を送るべく駅へ向かった。


 それにしても久住さん、一体牧原にどんなひどい言葉をかけたのだろう──。

 そう思ったが、今は……


「……がんばれ」


 柔らかな表情を浮かべながら、また小声で何かを呟いていた。

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