友情への応援コメント
説明も見ずに中身を読んで、イスラム教関連の文章かと思ってたら、散文詩なんですね。恥ずかしながら、この作品も作者も全く存じませんでした。「結婚」や「子ども」に関しての含蓄深い内容を読むと、アラビア文学として高く評価されているという話にもうなずけます。しかし、ハリール・ジブラーンがこれの草稿を十五歳で書き上げていたというのは、そのン倍の年齢になる自分としてどう捉えたらいいものやら。
この文章はこのまま「価値が分かる人だけ読みに来ればいい」といいスタンスでもよろしいかと思いますが、素のままだと戸惑う読み手が大半だと思いますので、解説編とか超訳みたいなもので、布教と言いますか、仲立ちをお考えになってもよろしいのでは、などと差し出がましいことを考えました。あと私自身は、一応翻訳本も出ているこの作品に対し、なぜあえてご自身で翻訳を始められたのか、その事情なども伺ってみたい、などと思ったりもします。
ご迷惑でなければ、ですが。
作者からの返信
湾多珠巳さま
お返事がかなり遅くなり申し訳ありません。拙訳お読み頂き、ねんごろにご感想まで賜り大変ありがとうございます! そうなんです、私も最初この詩を知った時は、タイトルからしてイスラーム関係の文章だと思っていました。ジブラーン自身はキリスト教徒ですが、詩中の語り手ムスタファーは、特定の宗教の預言者というわけでもなさそうです。
いかにも、15歳の少年がこの詩の草稿を著すだなんて、とんでもない早熟さですよね……。人生を達観するのが早すぎる……。
「愛」の章は、正直よく理解できず、だいぶ変な和訳になってしまいました。「結婚」「子ども」は本当に素敵ですよね。レバノンに限らず、全世界で家父長制が当たり前だった100年以上も前の時代に、妻そして子どもも、独立した人格を備えたひとりの人間として尊重するよう諭している。当時としてはかなり進歩的な考えだったと思います。
アドバイス頂きありがとうございます。いかにも、この詩をまったくの解説なしで読むのはわかりづらいですよね。近いうちに前書きとして、作者の紹介、そしてこの作品のあらすじを書こうと思います。
まさにおっしゃる通り、この作品にはいくつか邦訳が出ています。私が調べてみた限りでは、それらはいずれも英語版からの和訳でした。アラビア語版からの邦訳は、その存在を確認していません。アラビア語版からの邦訳もあった方が新規性があって面白いと思ったのが、和訳を始めた理由のうちのひとつです。
もちろん内容面は両言語版でほぼ同じなのですが、一文一文に目を向けてみると、両言語でかなり言い回しが異なっています。また、アラビア語版にはもう一文あるのに、英語版にはそれに相当する文言がない、という場合もあります。概して、ジブラーンの母語であるアラビア語版の方が表現が豊かで、かたや英語版はコンサイスにまとめた言い方になっているように思います。
その他の理由としては、
・某外国語大学でアラビア語を専攻していたが、卒業してからめっきり使う機会が減ったので、せっかくだし文学作品を訳読してみようと思った。
・私自身20代後半に入り、これからの人生について迷うことが増えてきた(結婚、仕事、親、お金のことなど)。先哲の教えにあやかりたい、人生への指南が欲しいと思った
という理由もあります。
更新は不定期になるかと思いますが、今後も和訳・投稿し続けたいと思います。ぜひともよろしくお願いします。
死への応援コメント
毎回の地道な翻訳作業、ご苦労様です。今回も歯ごたえのある文章ですね。日頃軟派な日本語ばかり書いてるもので、こういう修辞だらけの散文詩は頭にすんなりとは入ってくれませんが、漠然とながら、この「死」は、若い人が宇宙の果てに思いを馳せるような意味合いでの「人というものが死ぬことの意味」について語っているような印象かありますね。何となく、特養ホームで暮らしてるじいさまばあさまたちにこういう話をしても喜んでもらえないような気が 笑。そういう意味では、やはりごく若い詩人の語る、一種理想化した概念としての「死」のイメージなのかなあと、興味深く読みました。
作者からの返信
湾多珠巳さま
こんにちは、お返事遅くなってしまい大変申し訳ございません。今回も拙訳をお読み頂き、ねんごろにご感想を頂き大変ありがとうございます! とても励みになります。
いえいえとんでもないです、お読みになる方の頭に入りにくい和訳になってしまっているのは、およそ私の訳語チョイスがまずかったり、私自身の理解が追い付かず、噛み砕けないまま直訳していたりするせいですので……笑。
仰る通り、個別の人の死というよりは、かなり概念的な死ですよね。王さまが勲章を授けてもてなしてくれる、すなわち、その人の人生の完成・完遂を「よくがんばりました」とたたえてくれる、という考え方が良いなあと思いました。こんなふうに、唯一絶対なるものの存在を想定している点はキリスト教的ですが、裁きに遭うとか天国に入るとかいう話が書かれていないのは、ジブラーン独特の考え方だなと思いました。
また、この章の最初のほうの、死とは何かを知りたければ、むしろ生の方に目を向けよという考え方は、岸本英夫氏の『死を見つめる心』という闘病エッセイの考え方とよく似ているなあと、図らずも思いました。洋の東西を超えて、賢者はよく似た結論に達するものなのだなあと。