第3話 一緒

 何事もなく過ごしていけたらいいなと思っていたけれど、今日も息子の様子がおかしい気がする。

 早起きなのはいつもの事だけど、今日は起きているのにベッドの中から出ようとしなかった。私が起きるのを待っていたらしく、私の目が開いた時に抱き着いてきていた。一緒に顔を洗いに行ったのだけれど、息子は珍しく一言も言葉を発しなかった。

 お弁当を作っている時も朝食をとっている時も、息子は一言も話をしなかった。いつもは元気にうるさいくらいなのに、体調でも悪いのかと思っておでこに触れてみても、熱があるような感じではなかった。


 まるで別人になったかのように大人しくなっている息子が気になってはいたけれど、何を聞いても答えようとしなかったので、そのまま幼稚園に行かせてもいいのか迷っていると、タイミングよく旦那から電話がかかってきた。電話の向こうの旦那も息子の事を相談すると心配してくれて、一度会社に寄ってから帰宅する予定だったのを直帰に変更してくれた。私が病気になった時もそうしてくれていたので、旦那は本当に家族思いの良い父親だと思う。


 息子は病院には行きたくないと言っていたのだけれど、幼稚園には行きたいと言ってきかなかった。旦那に伝えた時も、本人が平気なら幼稚園に行かせた方が良いし、先生に説明しておいて何かあった時はすぐに駆け付けるようにしておきなさいと言ってくれた。

 お弁当をカバンに入れている時も、息子は早く幼稚園に行きたいのか私を急かしていた。何をそんなに急いでいるのかはわからないけれど、とにかく早く幼稚園に行きたいらしい。


 幼稚園に向かう途中も初めのうちは無言だった息子も、もう少しで幼稚園に着くといった時に急に話し始めた。


「僕はママを守りたいけど、僕じゃ守れないかも」

「陽ちゃんはママを守ってくれないの?」

「守りたいけど、僕は無理かも」

「陽ちゃんは怖い夢でも見たのかな?」

「見たけど夢じゃないよ」

「夢じゃないのに何を見たの?」

「わかんないけど、怖いやつだった」


 私も小さい時に何かを見たような気がするけれど、はるか昔の事なので何も思い出せない。息子も似たようなものを見たのかもしれないけれど、私と違って恐怖を感じているのは少し気になった。昨日貰った名刺の人に相談してみようかと思ってみたものの、名刺には連絡先が一切載っていなかったので、連絡のしようがなかったと思う。

 幼稚園に着くころには息子も普通にしゃべるようになっていて、友達を見つけた時には駆けだしていた。幼稚園の先生には息子の様子が少し変だったことを伝えて、何かあったらすぐに連絡を貰えるようにお願いをしておいた。元気に走り回っている息子の様子を見ている先生は納得はしていないようだったけれど、何かあった時には連絡をくれると約束はしてくれた。


 家に帰って洗濯をしていると、客間の扉が少しだけ空いているのが目に入った。昨日の夕方に入ったきり出入りはしていないし、息子も近付いていた様子が無かったので不思議に感じていたが、中をそっと覗いても変わったところは無いようだった。

 一応、押し入れやタンスも確認してみたけれど、変わったところは何もなく、旦那がどこからか買ってきた大量の守り神も昨日と変わらずに正面を向いていた。

 ちょっと不気味な感じもしているけれど、旦那が家族のために買ってきてくれたものだし、邪険に扱うのは申し訳ない気持ちになってしまう。せっかくなのでと部屋の掃除をしていると、入る時には閉めていない扉が完全に閉まっていた。閉じ込められたのかと思って扉を開けてみると、拍子抜けするくらい簡単に開いてくれた。この部屋だけ何だか嫌な感じがしているけれど、あまり気にせずに普通に過ごしていくことにしよう。


 一通り家事を終えてから貰った名刺を見てみると、やはり連絡先などは書いていなかった。何となくではあるけれど、『草薙式研究所』で検索してみると、名刺をくれた人が載っているホームページが見つかった。

 名刺をくれた人は研究所の所長のようで、記載されている住所は東京ではないのだけれど、どうして近所の公園にいたのかが気になった。連絡先は何かないかと思ってみていると、メールフォームがあったのでメッセージを送る事にした。


 昨日○○公園で名刺を頂いたものですが、息子の事で気になる事があったのでお話を聞いてもらいたく連絡しました。といったような事を書いて送ったのだが、返事は物の数分で返ってきた。

 返事を要約すると、今日は時間が取れないので直接話を聞きに行く事は出来ないが、来週の火曜日なら時間は取れるとの事だった。旦那に相談してから決めたいと伝えると、来週の火曜日の午後は明けておいてくれることになった。旦那の答え次第では相談に行けないかもしれないが、その際はよろしくお願いします。といったようなやり取りをした。


 少し遅めの昼食をとっていると、玄関が開く音がして一瞬身構えてしまったのだが、入ってきたのが旦那だとわかると、一気に安心して力が抜けてしまった。


「午後一の新幹線で帰ってくる予定だったんだけど、午前中の仕事が思っていたよりも早く終わったからすぐに帰って来たよ。幼稚園からは連絡こなかったのかい?」

「それはお疲れ様です。幼稚園からは連絡きていないので大丈夫だと思うけど、これを見てもらってもいいかしら?」


 私は先ほどまでパソコンで見ていたホームページを開いて旦那に見せる事にした。そのページを見た旦那の眉が一瞬動いたような気がしたけれど、すぐに私の方を見て軽くうなずいていた。そのままホームページを一通り見た後に私に優しく話しかけてくれた。


「君は時々だけど不思議な体験をしていたって言っていたし、それがどんな事なのかは僕にはわからない。でも、それで悩んできたことがあるのは知っているよ。もしかしたら、それが陽一にも遺伝しているのかもしれないね。この研究所がどんなものなのかは正直わからないけれど、ここにメールフォームがあるから連絡してみたらどうかな?」

「ありがとう。実はそこにメールをしてお返事もいただいているの。来週の火曜日なら予定が入っていないってことなので、あなたさえ良ければ私は相談に行ってみようかと思っているんだけど、行ってもいいかな?」


 私の言葉を聞いた旦那は少し考えているようで、いつもならすぐに答えてくれそうなのに、今回は答えを出すまでに結構な時間をかけていた。


「正直に言うと、僕はその人を見たわけでもないし信用していないと思うんだ。そんなよく知らない人のところに君を一人で行かせるわけにはいかないと思うんだよね」

「そうよね、私もちょっとおかしなことがあったから変になっていたのかもしれないわ。相手の方にはお断りしておくね」

「いや、ちょっと待って。僕は君を一人で行かせたくないと言っているんだよ。来週の火曜日なら買い付けは僕の担当じゃないし、共同経営者の一人なんだから多少は時間を作れると思うよ。だから、君が行くなら僕も一緒について行くよ。それが夫婦ってもんだろ」


 旦那は私と息子の事を本当に愛してくれているんだと実感した。今までも無理をして時間を作ってくれたことはあったけれど、今回ほど嬉しいことは無い。客間で会った不思議な事を旦那に話すべきか迷っていたけれど、息子を迎えに行く前に話しておいた方がいいだろうと思い、旦那が帰ってくるまでに起こった不思議な事を一通り説明した。


「僕が買ってきた守り神がいつの間にか移動してたってことだよね?」

「そうなの、今までそんな事はなかったんだけど、もしかしたらあの部屋でしちゃったからかな?」

「そんなわけはないと思うけれど、神様の中には嫉妬深い神様もいるかもしれないし、あの部屋ではしない方がいいかもね」


 私が体験したことを説明している時に旦那は私の肩を抱いてくれていたのだけれど、それが無ければ思い出すのも怖い気がして説明出来なかったかもしれない。夜にはいなかった旦那が近くにいるのが頼もしく思えて、今はすぐに触れられる距離にいるのだと思うとより安心してしまった。

 私はそのままキスをしてしまった。旦那は驚いていたけれど、そのまま優しく抱きしめてくれた。その流れでソファーに押し倒されてキスを繰り返し何度もしていたのだけれど、横を向いた時に客間の扉が少しだけ空いているのが目に入ってしまった。旦那は気付いていないようで、私はそのまま服を一枚ずつ脱がされていったのだけれど、先ほどまで開いていた隙間は完全に閉じていた。私はそれを確認した後に旦那を受け入れていた。


 冷めた昼食を温めなおすついでに旦那には新しい食事を出すと、もう少しで息子を迎えに行く時間になっていた。草薙式研究所とのやり取りは旦那がしてくれることになったので、私はどのような感じで相談に行くのかわからなかったけれど、旦那が決まったことを教えてくれた。


「来週の火曜日の午後にアポを取ったよ。ここからだと新幹線で行かないといけないんだけど、そうなると陽一を迎えに行くことが出来ないと思うんだよね。それなんで、来週の月曜の幼稚園が終わってから前乗りして一泊して、火曜日は幼稚園を休ませて一緒に行くことにしよう。会う場所は研究所じゃなくて喫茶店にしたんだけど、僕はあった事のない相手を信用することは出来ないんでそこは理解してもらえるとありがたいな。で、途中で陽一も飽きちゃうと思うんで、ある程度話を聞いたら僕か君が陽一を連れてその辺を散歩なり遊び場所を探すなりして時間を潰そう」

「私はそれでもいいんだけど、あなたはお仕事大丈夫なの?」

「大丈夫と言いたいんだけど、さすがに土日を休みにして月火も休みにするのは厳しいかもね。それなんで、土日は仕事をしてくるけど大丈夫かな?」

「私なら大丈夫よ。あなたが一緒に相談に行ってくれるなら心強いもん」


 息子を幼稚園に迎えに行く時間になったので準備をしていると、旦那はちょっと一人で家の中を確認しておきたいと言うので、私は一人で迎えに行く事にした。もともと一人で迎えに行く予定だったので良いのだけれど、旦那は一人で大丈夫だろうか?


 幼稚園に着くと息子は元気よく駆け寄ってきて、私に飛びついてきた。今日は私の作ったお弁当をちゃんと全部食べてくれたようだ。旦那が作ったものだけでなく、私が作ったものも完食してくれて嬉しかった。

 帰宅途中も息子は相変わらず元気なようで、朝と違って家の近くでも話を続けてくれた。


「あのね、夜と朝は怖かったけど、今は大丈夫」

「そうなのね。太陽さんが出てるからかな?」

「違うよ。パパがいるから」


 息子はそう言ってニコニコしていたけれど、旦那が帰ってきている事は教えていない。どうして旦那がいることがわかったのだろうか?

 もしかしたら、夜に帰ってくるという事を息子なりに表現していたのかもしれないけれど、それは違ったようだ。


「お家に帰ったら、パパと一緒に悪いやつをやっつけるんだ」


 息子はどういうわけか、今から帰る家に旦那がいることを知っているようだ。悪いやつとは何なのだろうか。息子が見ていたものは何なのだろうか。私はこれから帰る家がたまらなく怖く感じてしまったけれど、旦那が待っていると思うと少し安心していた。

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