二人旅

平中なごん

二人旅(一話完結)

 出版社の若い担当と喫茶店で打ち合わせをしていた時の話なんですが、彼がふと、テーブルの上に置かれたお冷や・・・のコップをじっと見つめながら、何か感慨深げに黙っちゃったんですね。


「なに? どうしたの? 何かあったの?」


 心配してそう尋ねると、彼は「いやあ、ああいうことってあるんですねえ」って、自分でもまだ信じられないような様子でこんな話をしてくれました。


 一月くらい前のことなんですが、その頃、人間関係でちょっと疲れていた彼は、そんな煩わしさから逃れようと、有給休暇を使って海辺の町に旅行へ行ったんだそうです。


 都内からもそう遠くない場所で、交通の便もいい所なんですが、それほど観光地化されてるってわけでもなく、なんというかな、ほどよく田舎の残っている、のんびり旅をするにはいい漁師町ですよ。


 季節は初夏の頃ですし、爽やかな海風に吹かれながら、疲れた心を癒すにはいいと思ったんでしょうね。


 ところがですね。その旅行は初めから奇妙な出来事のつきまとうものになってしまったんだそうです。


 そのはじまりは、最寄りの駅まで電車で行って、タクシーを拾おうとした時のことです。


「――港までお願いします」


 タクシーは駅前に並んでいたんですぐに捕まったんですがね。そのタクシーの後部座席に乗り込んで行き先を告げたんですが、一向にタクシーは発進しないどころか、開けてくれたドアもずっと開いたままなんです。


「あ、あの、港まで……」


「……え? ああっ! すみません! こっちの勘違いでした。今、参ります……」


 もう一度、改めて催促してみると、バックミラーに映ってる運転手は一瞬、ポカンとした顔になってから、忙しなく頭を下げて車を発進させるんです。


 いったい何を勘違いしたものか? 少々気にはなったんですがね。まあ、この時はまだ一回目のことでしたし、特に追及することもなく、そんな些細な出来事はすぐに忘れてしまったんだそうです。


 港に行くまでに通ったどこか懐かしいレトロな街並みや、海岸沿いの道から見える雄大な海の景色なんか見ていたら、確かにそんなこと気になんかしなくなりますよ。


 ですが、港に着いて、そこから出ている遊覧船に乗ろうとした彼は、またしても不可解な対応をとられることになったんだそうです。


「あのお、すみません。もうお一方のチケットは……」


 券売所で買ったチケットを船の搭乗口でスタッフに見せて、いざ乗り込もうとした彼だったんですが、ものすごく申し訳なさそうな顔をしたそのスタッフに、そう言って呼び止められたんだそうです。


「もう一人方? いや、僕一人ですけど?」


 もちろん、彼は悠々自適な一人旅ですからね。連れなんかいやしませんよ。


 当然、首を傾げながらそう答えたんですが……。


「…? ……あ、すみません! てっきりお二人連れかと。どうぞ、お乗りください!」


 スタッフは一瞬、やっぱりポカンとした顔で間を置いてから、さっきのタクシー運転手同様、慌ててペコペコと頭を下げるんです。


 ああ、そっか。別の客を自分の連れだと勘違いしたんだな……。


 まあ、常識的にそう推理して、納得した彼は周りを見回してみたんですがね。どういうわけか、自分の近くにそれらしき他の客の姿は見当たらないんですよ。


 他にも乗船客はもちろんいたんですが、みんな離れた場所にいるんですね。


 あれえ、おかしいなあ? じゃあ、スタッフは誰を見て間違えたんだろう?


 なんだか狐に抓まれたような心持ちで、ちょっと気味悪くも思ったそうですが、それでもただそれだけのことでしたし、これと言った実害があるわけでもないですからね。先程のタクシーともども気にするのはやめて、せっかくの気ままな一人旅を楽しむことに彼はしたんだそうです。


 天気も快晴でしたし、遊覧船の展望デッキに出て、爽やかな海風を受けながらのクルージング……多少変なことはありましたが、疲れた彼の心もだんだんに癒されていきました。


 でもですよ。同じような出来事はさらに続いたんですねえ。


 たとえば、遊覧から帰って来るともうお昼時になってたんで、ちょうどお腹も空いてきたし、「地元の海鮮料理でも食べたいなあ」なんて思って、漁港にある食堂に入った時のことです。


 けして大きくはない小さな食堂ですが、地元の人が普段通っているような、安くてうまいもの出してくれそうなお店ですよ。


 そこの娘さんですかね? テーブルの一つに座ると、水色のエプロンと三角巾をした若いお姉ちゃんがお冷や・・・を持って注文を取りに来たんですが、なぜかお盆に乗ったコップとお手拭きは二つなんですね。


「あれ、女の人と一緒じゃありませんでした?」


 さらにそのお姉ちゃんは、テーブルに1人で腰かけている彼を見て、驚いたようにそう言うんだそうです。


「女の人? いや、僕一人だけですよ。入って来る時も一人だったでしょ?」


「ああ、どうもすみません! こちらの勘違いでした!」


 今度も訝しげにそう答えると、お姉ちゃんは慌てて頭を下げて謝ってくれるんですが、注文をとって帰ってゆく後姿を見ていると、彼女も不思議そうに首を傾げているんですね。


 これで三度目ですよ。さすがに彼も、これはなんだかおかしいなあ…って、ぼんやりながらも不気味さを感じ始めたんだそうです。


 ま、その食堂でもそれだけのことで、それからおいしく地元の漁師料理をいただいて、お腹もいっぱいになったし、いい気分でさらにあちこち回ってから予約していたホテルに泊まったんですがね。


 極めつけはその翌朝、ホテルをチェックアウトする際のことですよ。


「お客さん、一人部屋なのにああいうことされると困るんですけどねえ。そういう場合はちゃんと二人部屋をとってもらわないと」


 なんて、ベテランらしきフロント係のおじさんが、渋い顔を作って苦言を呈してきたんだそうです。


 ですが、突然、そんなこと言われてみても、なんのことだか彼にはさっぱりわかりません。


「え? ……どういうことです? もっと丁寧に説明していただけませんか?」


 そこで、今回はさすがに詳しく話を訊いてみると、そのフロント係の言うことには、どうも昨夜、買い物に出た彼が女性と一緒に帰って来て、その女性を自分の部屋へ連れ込んだらしいんですね。


 もちろん、そんなことまったく身に覚えありませんよ。昨夜は少々部屋でお酒も飲みましたが、そんな記憶が飛ぶほど酔っぱらってなんかいませんし、若いお姉ちゃんがいるような、そういうお店にも行ってはいません。


 あらぬ言いがかりをつけられ、さすがにカチンと来た彼は、「その連れ込んだ女性ってのは、いったいどんな容姿の、どんな服装をした女性だったんですか?」と、強い口調でさらに詳しく問い質したんだそうです。


 もしかしたら、またそのフロント係の勘違いで、他の宿泊客と間違えてる可能性だってありますしね。


 すると、フロント係は自信満々に「ほら、ピンクのワンピース着た、長い黒髪にクリクリと大きな目のカワイイ娘ですよ。お客さんの腕にぴったりくっついてたんだから見間違いようもないですよ」なんて、ますます抗議の眼を彼に向けながら、そう答えるんですね。


 無論、それを聞いても、やはり彼には身に覚えがありません。


 でもですよ。その事自体に身に覚えはなくても、そのフロント係の言った女性の風貌については、少なからず心当たりがないわけではなかったんです。


 ていうのはですね、その女性の特徴っていうのが、つい先日別れたカノジョにそっくりだったんだそうです。


 別れた理由は、いわゆる〝重すぎる〟ってやつですかね。その元カノは一日に何度も電話やメールをしてきたり、仕事以外の時は常に彼と一緒にいなきゃ気が済まないような、とにかく彼を拘束したがる女性だったんだそうです。


 それでさすがに耐えられなくなって、彼の方から別れを切り出したとのことですが、もちろんカノジョは「はい。わかりました」なんてすぐには納得しないでしょうし、大揉めに揉めたらしいですよ。


 じつは、彼が人間関係で疲れていたっていうのも、その大半はカノジョのことだったりしたわけなんですけどね。


 フロント係から女の容姿を聞いた瞬間、彼はさあ~っと、全身から血の気が引いていくのを感じたんだそうです。


 反面、それととともに「ああ、なるほどな。そういうことだったのか…」と、それまでに起きた不思議な出来事についても納得したそうです。


 おそらくは、彼にまだ未練のある元カノの生霊が、ずっと彼について一緒に旅行してたんでしょうね。


 その姿が、行く先々の人々の目には見えていたっていうわけですよ。まあ、言ってみれば「知らぬは本人ばかりなり」っていうことですね。


「今回のことで思ったんですが、死んだ人の霊よりも、が現在進行形な分、生きてる人間の霊の方が恐ろしいかもしれませんね」


 テーブルの上に置かれた二つのコップを見つめながら、彼は最期に、しみじみとそう言ってこの話を結びました。


                            (二人旅 了)




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