焼却炉の炎

逢雲千生

焼却炉の炎


 私の学校には、古びた焼却炉が残っている。


 お母さん達の時代であれば当たり前だったらしいけれど、私が生まれた頃には使われなくなったみたいで、もう何十年もそこにあるらしいのだ。


 最初は何だろうと思ったけれど、先生が焼却炉だと教えてくれたので、私は入学してすぐに行ってみたことがある。


 古いもの好きなお父さんに似たからか、古いだとか使われなくなっただとか、過去を思わせるものに興味が湧くからだった。


 学校の焼却炉はかなり大きくて、私が手を広げてもまだ大きい。


 腰くらいの高さに、取っ手付きの鉄扉があるのだけれど、私一人ではとても動かなかった。


 煙突も大きいし、幅もあったので、相当大がかりな焼却をしていたのだと思う。


 近くに校内用のゴミ収集場所があるため、たまに通りがかると男子生徒がふざけて遊んでいて、そのたびに先生達が怒っているのだけれど、それでも遊ぶ人は減らなかった。


 私もたまに見に来るけれど、触ったりするよりも、ただ見ているのが好きだった。


 それくらいなら先生達も見逃しているようで、何度も見つかっていながら、私が怒られたことは一度も無かった。


 三年生の春だった。


 今年は受験だと気を引き締めだした頃、学校で噂が広まった。


 例の焼却炉で行方不明になった生徒が出たらしく、一緒にいた生徒達によると、ほんの少し目を離した隙にいなくなってしまったというのだ。


 怖いもの見たさに行く人もいたけれど、彼らは何も無かった。


 先生達も協力して行方不明の生徒を探していたけれど、見つからないまま一ヶ月が過ぎた頃だ。


 私は焼却炉の前に立っていた。


 別に何をするでもなく、ただ扉を見つめていた。


 取っ手はびているし、長年の汚れがこびりついた扉は汚く、煙突は真っ黒にすすけている。


 すでに興味は失せていたのに、どうして自分はここにいるんだろうと顔を上げると、キイ、という甲高い音が聞こえた。


 音は焼却炉の扉から聞こえ、よく見るとかすかに開いている。


 ゆっくりと甲高い音をたてながら開いていく扉は、大人が三人がかりで開けるような重さだ。


 男の先生達が開けているのを見たけれど、それでも簡単には開かないほど錆び付いていたはずなのだ。


 それなのに、扉は軽々開いていく。


 なめらかな動作で弧を描く扉を見つめ、暗闇の内側に視線を移すと、そこには何もない。


 焼却炉とは距離があるので、中を覗くことは出来ないけれど、扉がひとりでに開いたのだ。


 内側から誰かが開けたのかと思ったのに、開いた扉の内側には何もない。


 ぽっかりと空いた扉の中を見つめた瞬間、私は目を覚ました。


 嫌な汗をかきながら起き上がると、階段を駆け上がる音に気がついた。


 すぐに開かれた部屋の扉から、焦った様子のお母さんが、電話を片手に言った。


「学校で行方不明だった生徒さんが、今朝見つかったんだって……」


 学校の連絡網で回ってきた話によると、今朝早く、学校に来ていた先生が焼却炉の扉が開いていることに気がついた。


 まさかと思い、中を覗くと、そこに行方不明の生徒が入っていたというのだ。


 幸いにも生徒は生きていたが、衰弱がはげしく、今は病院で治療を受けているところらしかった。


 学校には警察が来ていて、今日の授業は休みだと言うクラスメイトの嬉しそうな声を聞きながら、私は電話を切った。


 次の人に連絡網を回すと、私は今朝見た夢を思い出してみた。


 なんてタイミングで見たのか、いや、それよりも、どうして私はあの夢を見たのだろうか。


 嫌な気持ちを抱えながらリビングに行くと、出勤前のお父さんが、お母さんと話していた。


 いつもなら新聞を読んでいる時間なのに、珍しいと思ったけれど、聞こえてきた話で納得してしまった。


「……やっぱり、あの焼却炉は人をさらうのね」


「まあ、彼の最期を考えれば、そう簡単には許せないだろうからな」


 二人は私の通う学校の卒業生だ。


 大人になって再会して、それから結婚したらしいのだけれど、焼却炉の話だけは、いつも途中で止められていた。


 いったい何があったのかと聞いたのに、二人は答えてくれなかった。


 何かあったことだけは確かなのだろうけど、壁に体を隠して二人の話を聞くと、あの焼却炉の謎が解けた気がした。


しろくんだって、自分からあんな最期になったわけじゃないわよ。あれは、当時の先輩がしたことだけれど、事故で終わってしまったからこそでしょう。そうじゃなかったら、彼だって……」


「だが、学校だってお祓いはしたはずだ。それでも駄目ならばもう、本人を連れてくるしかないんじゃないのか。当時を知る人はまだいるから、行方探しだけでも手伝ってもらおう」


 後日、新聞の隅で過去の事件について記事が載っていた。


 私が通う学校では、何十年も前に事故があった。


 当時二年生だった男子生徒が焼却炉に入っていて、用務員のおじさんが彼に気づかず、そのままゴミを入れて火をつけてしまったというものだ。


 学校にある焼却炉はとても大きく、たくさんのゴミを集めても充分入ったため、生徒が一人くらい入ってもまだ余裕があった。


 彼は両開きの扉の片方だけを開け、閉じた方の奥に隠れていたらしいのだけれど、当時は男子学生のふざけた行為が問題視されただけで、不審な点は見逃されていたらしい。


 彼は大やけどで焼却炉から出されたが、間もなく死亡。


 事故として処理されたらしいのだけれど、記事ではそれが否定されていた。


 死亡した田代さんはいじめを受けていて、彼は自分から焼却炉に入ったわけではない。


 いじめていた生徒達が無理矢理彼を閉じ込め、人が来るまで出て来るなと命じたらしいのだ。


 焼却炉には生徒も来ていたけれど、ほとんどは用務員のおじさんが使用していた。


 当然、おじさんはゴミを燃やす役割を持っていたので、大量のゴミを慣れた手つきで中に入れると、すぐに火をつけてしまったというわけなのだ。


 彼の悲鳴は反響し、信じられない力で鉄の扉を押し開けたというのだが、出て来た彼は火だるまで、おじさんは最初、人だとは思わなかったのだという。


 しかし悲鳴を聞いて気がつき、慌てて灯を消したがすでに遅く、彼はか細い息でしばらく呼吸をすると、救急車の到着を待たず亡くなったのだそうだ。


 いじめっ子達の様子を見ていた生徒は大勢いたが、誰もが冗談で終わると思っていた。


 しかしこの事故がきっかけでいじめは無くなり、同時に、共犯者となってしまった目撃者達は口をつぐんだ。


 それからというもの、焼却炉が使われるたびに人が消えるようになり、しばらくすると中から出て来るということが起こりだした。


 最初は誰かのいたずらだと考えられたが、被害者達が口をそろえて、焼け死んだ男子生徒の姿を見たと言ったため、焼却炉は使用禁止にされたというわけだ。


 それから後に、ダイオキシン問題で焼却炉が使われなくなったため、今ではその怪談を知る人もいなくなっていたらしい。


 事件となった例の件で、加害者の一人を任意同行したというが、当然証拠は無く、彼はすぐ家に帰された。


 亡くなった男子学生の家族は遠くに引っ越していて、今ではもう連絡のとりようもないらしい。


 事件のことを知っている両親は、私が登校するたびに複雑な顔をするけれど、あの焼却炉が壊されると知ると笑顔になっていた。




 月が高い時間帯に、一つの影が動いている。


 影は閉まりきった校門を乗り越えると、誰も居ないことを確認しながら敷地を足早に横切り、焼却炉の前までやって来た。


 男は数十年前に起こった焼死事件の加害者で、昨日家に帰されたばかりだった。


 事故として処理されていた件で、何を今さらという気持ちがあったが、警察は彼を厳しく追及した。


 すでに殺人犯とされていたため、男にとって予想外のことだったのだろう。


 証拠不十分で返された後も、大きな怒りと苛立ちで家族に当たり、こうして鬱憤を晴らそうと母校に来たというわけなのだ。


「ったく。だいたい、勝手に死んだのはてめえの方だろうが。俺を巻き込むんじゃねえよ」


 苛立ちながら焼却炉を蹴るが、当然反応など返ってこない。


 二、三度蹴って少し満足すると、焼却炉の扉に勢いよく腰かけ、持って来た酒を飲み出した。


「だいたいよお、俺が何したってんだよ。むかつく奴をらしめて、何の役にも立たねえから消しただけじゃねえかよ。それなのに、なんで今さらしょっぴかれんだっての。仕事はクビになるし、家族はつめてえし、やってらんねえよ」


 酒を一気にあおり、缶の底を扉にぶつける。


 ガンガン、カンカンと、音が中で反響しているのか、かすかな余韻が聞こえてきた。


 空いた缶を遠くに放り投げ、もう一缶を開けた時だ。


 お尻の下で、かすかな振動を感じた。


 気のせいかと一口飲むが、振動はだんだんと大きくなっていき、ついには体が動くほどの大きさになった。


「うわあああああ!」


 男は悲鳴を上げて扉から落ちると、振り返った先にある扉は大きく動いていた。


 まるで中から、ものすごい力で叩いているような動きように、男は血の気が引くのを感じた。


 まさか、と思いながら立ち上がると、跳ねるように動いていた扉がピタリと止まったのだ。


 静まりかえる周囲に音はない。


 耳が痛くなるほどの静寂に、男の喉が鳴った。


 ここから離れようと一歩引いた時、扉が一気に開く。


「ひいっ」


 引きつった悲鳴の後で、男の声はくぐもり、大きな音がした後で再び静寂に戻った。




 私が学校に着くと、校門の前には人だかりが出来ていた。


 みんながみんな真っ青な顔をして、何かを話し合いながら、吐きそうな素振りをみせる人までいる。


 何かあったのだろうかと中に入ると、校舎脇から生徒達が出て来る姿を見つけて、そちらへ行ってみた。


「人が燃えてるんだって!」


 誰かがそう言った。


 私は校舎脇を通り過ぎて、裏の方に行くと、そこには見慣れない煙が立ちこめていた。


 うっすらと広がるような煙は、焼却炉の方から漂ってくるようだった。


 怖いもの見たさか、それとも反射的になのか、嫌な予感がしながらも近づいていくと、嗅ぎ慣れない香りがかすかに鼻をかすめる。


 視線の先には先生達がいて、吐いているのか、く声まで聞こえてきた。


 数人の生徒は震えながらうずくまっていて、だんだんと不快な香りが濃くなっていく。


 いったい何が――。


 そう思いながら、一歩一歩近づいていくと、人の間から焼却炉が見えた。


 そして私は見てしまった。


 口元を押さえながら、必死に込み上げるものを我慢するが、そらせない視線の先にあるものによって押さえられなくなってきた。


 すぐにでも目をそらし、トイレに駆け込みたいのに、初めて見た光景に驚いてしまったのか、足も体も動いてはくれなかった。


 気がついた先生が私に近寄る。


 慌てて目を覆ってくれたが、焼き付いた光景が消えることは無かった。


 そして、私の後から来た生徒が現実を教えてくれたのだ。


「人が焼け死んでるぞ! うわっ、もしかしてあれ、生きて外に出ようとしたのか?」


 次々と来る生徒達の対応に向かった先生の手が離れ、私は再びあれを見た。


 見てしまった。


 真っ黒に焼け焦げながら、焼却炉の中から這い出ようとする人の姿を……。




『本日の朝、地元の学校で焼死体が発見されました。発見したのは同学校の教師で、近いうちに取り壊される予定だった焼却炉に火がついているのが見え、確認するために近づいたところ、内側から扉を叩く音が聞こえたそうです。数人の教師を集めて鉄の扉を開けたところ、火に巻かれた男性が飛び出してきましたが、火の回りが早く、男性は間もなく力尽きたとのことで、詳しい状況や死亡原因などは、現在捜査中とのことです――』








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焼却炉の炎 逢雲千生 @houn_itsuki

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