タイトル【キメラ】

齋藤 龍彦

第壱話【赤いシャツを着たかの邪智暴虐の王】

 坊っちゃんは、単純な男であった。単純故に必ずかの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意していた。

「赤シャツめ——」坊ちゃんは口の中で小さく呟いた。


 『赤いシャツを着たかの邪智暴虐の王』、それは常識的に考えて誰だかさっぱり分からぬ正体不明の者であった。本来坊ちゃんはそんな者に遭遇するはずはなかったのである。なぜなら坊ちゃんは普通に日本人だからであった。


 坊ちゃんは別に坊ちゃんではなかった。実家は名門ではなく名士でもなくただ単に髪型が坊ちゃん刈りだから坊ちゃんなどと呼ばれていた。ただし親戚の内限定で。

 しかしもう歳は二十五、その半ばも過ぎ『坊ちゃん』も卒業間近であった。坊ちゃんが執拗に、この歳の割に妙な髪型に拘ったのは老いに対する抵抗であるかもしれなかった。

 二十四くらいまでは街で制服姿の女子高生を見ても何も感じるところの無かった坊ちゃんである。それが二十五が終わろうとしている今、己と彼女たちの間に目には見えないしかし厚く冷たい壁ができていることを突然直感したのである。

 客観的な根拠などは無い。二十四の坊ちゃんが制服姿の女子高生と交際できていたのかといえばそんなことはなかったし、二十だって、それどころか十八の坊ちゃんも交際できてはいなかった。しかし歳をたったひとつ重ねただけで鬱の気が翕然きゅうぜんとして集まってしまったのだった。むろんこの手の気分が自己を襲撃してくることはこれまで何回かはあった。十一から十二、十四から十五の間など。しかしこの気分はこれまで体験したどの場合よりも重く深く深遠な意味があるように思われた。

 要するに坊ちゃんは近頃現実逃避したかったのである。


 かといってさすがの坊ちゃんも『赤いシャツを着たかの邪智暴虐の王』に目の前に現れて欲しいとまでは思っていなかった。ただ、その人物は現実から逃避するのに十二分すぎるほどの圧倒的な存在感があることだけは間違いがなかった。ここは紛うこと無く現実ではない。

 坊ちゃんが『かの邪智暴虐の王』のいる、このおかしな世界に飛ばされる前、その身にいったい何が起こったのであろうか。

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