蛇姫の意志

第1話

「ずいぶんな姿になっちまったな」


 金翅鳥王剣を構えながら、蓮司は変わり果てた幼馴染の姿にそう呟く。


 人に言えたことではないが、蛇姫アムリタとなった沙希には未熟な蓮司にも分かるほど、昨日戦った時以上の殺気がオーラのようにまとわりついていた。


 それが気に障ったのか、無言のままに沙希は蛇王から渡された魔剣を蓮司に向けて振り下ろす。


 刀身のどす黒さと、禍々しく紅蓮に染まったオーラを纏う魔剣を、蓮司は父から受け継いだ金翅鳥王剣で受け止める。

 

 かつて共に剣道をやっていた頃は、鍔迫り合いになっても逆に蓮司が吹っとばしていたほどだが、蛇の一族となり、ジャガーノートとなった沙希の力は蓮司に勝ると劣らぬほどに強化されていた。


「やるじゃんか」


 軽口を交えながら、蓮司は蛇姫アムリタとなった沙希の剣撃を受け流していたが、沙希の攻撃は決して止まることはなかった。


「死ね!」


 怒気を孕んだ叫びと共に、八相に構えた魔剣を振り下ろす。しかし、蓮司は紙一重で見切りながら、沙希の胴を薙ぐ。


「しまった!」


 反射的に胴を打ったことを後悔するが、苦しみながらも、ゼノニウムに覆われた装甲に防がれ、致命傷にはならずにいたことに蓮司は安堵する。


 だが、お返しとばかりに沙希は右腕より光輪を放った。


 殺意が込められた光の回転ノコギリを、蓮司は避けると共に金翅鳥王剣にて捌くことで回避したが、この時点で蓮司は自分の劣勢を悟った。


「参ったねこりゃ」


 剣術と体術だけならば、蛇姫アムリタと化した沙希であっても蓮司は勝てる自信がある。剣術と体術において、蓮司は一度も沙希に負けたことがない。また、鳥王ガルーダとなったことでもともと得意とする見切りと、回避と捌きが強化されている。


 だが蓮司が持つアドバンテージはそれだけでしかない。


「なんで死なないのよアンタは!」


 再び沙希は光輪を放ち続けた。岩や木がまるで粘土のように切り裂かれていく光景の中で、蓮司は金翅鳥王剣を片手に捌き、回避を繰り返す。


『苦戦しているな』


 この状況で聞きたくない声が聞こえてきたことに、蓮司は思わず舌打ちした。

 

「今お前と話している場合じゃないんだよ」


『そりゃ残念だ。やっぱり、あの時ぶっ殺しておけばよかったのによ』


 内なる自分、金色の鳥王ゴールデン・ガルーダが蓮司にそう囁いた。


 あの時、蓮司の体を乗っ取った鳥王ガルーダは、沙希を一方的に痛めつけた上で完全に息の根を止めようとしていた。


『お前はいつだって甘いんだ。敵に情けなんかかけて何になる』


「あいつは敵じゃない」


『敵じゃなかったら何なんだ? あの野郎は俺たちを敵と認識しているんだぜ。しかも殺す気満々だ。面を見ればわかるだろ』


 鳥王ガルーダが呟く中で蓮司の目の前には、魔剣を片手にむき出しの殺意を持ち、ゼノニウムの鎧とアストラル粒子で武装された蛇姫アムリタの姿があった。


『あいつの心はとっくに死んでいるのさ。お前が大好きな沙希ちゃんじゃねえ。薄汚え、蛇の一族のバケモンだ。ぶち殺さなければこっちが殺される』


 鳥王ガルーダの指摘に蓮司は思わず歯を噛み締める。


 蛇姫アムリタとなった沙希には魔剣と剣術だけではなく、ヴェーダという厄介な力があった。


『お前も使えばいいだろう。お前の力ならあんな化け物を殺るなんて、造作もないことだ』


「うるせえ!」


 反発するかのように、剣撃で蛇姫アムリタが放つ光輪を捌くも、鳥王ガルーダの言葉に蓮司は耳を貸そうとはしなかった。


「お前はあいつを殺すつもりだろう、そんなことが出来るか」


 こいつは結局、相手を叩き潰したいだけの存在だ。その為なら手段を選ばないことは一度体を乗っ取られた時点で理解している。


『つれないねえ、お前は俺なんだ。お前が死ぬことは俺も死ぬことを意味する。それが嫌だからお前に助言しているだけだ』


「ちゃち入れてるだけだろ。お前のやり方なら簡単だ。何も苦労なんてしねえ」


 鳥王ガルーダが口にするように、ただ倒すだけならば簡単なことだ。跡形もなく吹き飛ばすだけならば、何の苦労もいらない。


 だが、それを選ぶことは沙希を殺すことを意味している。


『都合よく簡単にいくなんて甘いこと考えてんじゃねえよ。あいつは敵だ。しかも、お前を殺そうとしているんだぜ。それを救うなら、ひと思いにぶっ殺した方が慈悲深いってもんだぜ』


「そうかもな!」


 愛刀を片手に、蓮司は背後の岩を蹴り上げて一気に蛇姫アムリタとの距離を詰め、すり抜け際に再び胴を薙ごうとした。


「無駄よ」


 沙希の周囲に青白く光る障壁が展開され、蓮司は金翅鳥王剣ごと弾き飛ばされてしまった。


「バリアか……」


 アストラル粒子を攻撃に転用するだけではなく、沙希は防御にまで応用してきた。戦うごとに強さ、というよりもヴェーダを使いこなしていることに蓮司は背筋が凍った。


 ヴェーダを使いこなすどころか、まともに使うことすらできない自分に彼女を助けることなどできるのだろうか?


 呆然としながらそんな思いが過ぎったころに、漆黒の魔剣が蓮司に迫ってくる。


 死神の鎌にも似た死そのものが降りかかってくるかのようであったが、その一撃は蓮司に届くことはなかった。


「何なのよ!」


 怒りに混じった沙希の声に、蓮司は自分は彼女の剣撃を受け止めていること気づいた。


 反射的に距離を取るも、すかさず沙希は光輪を放ってくるが、蓮司はたじろぐことなく全ての光輪を金翅鳥王剣にて捌いてみせた。


「俺、今どうやって動いていた?」


 速さと剣術は確かに、自分の方が上であることを蓮司は理解していた。だが、明らかに命中するであろう攻撃をも瞬時に防御し、その攻撃も全て捌いたことに蓮司は自分の行動が理解できなかった。


 再び蛇姫アムリタとなった沙希が、怒りに任せて光輪を放ってくるが、その一発一発全てが先ほどよりも微妙に遅くなっていることに気づく。

 

 すかさず蓮司は金翅鳥王剣ではなく、構えを解いて位置はそのままに全ての光輪を回避してみせた。


「なんだ、これ?」


 決して遅くはない攻撃ではあるが、蓮司は立っている場所から移動することなく体を多少動かすだけで避けることができた。


 見切りというレベルではない。相手の動きを意識するだけでスローモーションのように見え、同時に自分の動作が相手よりも早くなっている。


 蓮司はふと、父である蓮也が似たようなことをやっていたことを思い出す。


 正臣や悠人が蓮也と共に武道の稽古をしていた時、蓮也は二人の攻撃を最小限度の動きで回避し、時にはすかし、時にはカウンターを入れるなど、二人の動作を見抜いているかのように動いていた。


 その動きがあまりにもスムーズであり、まるで瞬間移動しているかのように思えたが、あれもまたジャガーノートの力であれば、自分も同じことができるのではないだろうか。


「いい加減に死んでよ!」


 怒りに任せながら振るわれる死の一閃が、蓮司に迫る。しかし、魔剣は蓮司をすり抜けてしまった。


 文字通り、空を切ったことに戸惑う沙希だが、背後霊のように沙希の後ろに回っていたことに気づく。


「やれるもんならやってみろ!」


 沙希が気づくと同時に蓮司は叫び、彼女の背中を全力で蹴り飛ばし、沙希は岩へと叩きつけられた。


 考える前に動いた結果に、蓮司は思わず呆然とする。父と同じことができたことへの喜び、そして、父が見たらなんと言うかという思いが胸にこみあげてきた。


「やってくれたわね……」


 岩にめり込んだ沙希が、怒りのままに光輪を乱射する。


 しかし、蓮司は金翅鳥王剣でいなすことも捌くこともなく、全ての攻撃を回避した。


「この!」


 攻撃が当たらないことに苛立つ沙希は光輪を乱射する。しかし蓮司には掠りもしなかった。


 蓮司は相手の動きを見切り、最小限度の動きで回避できるコツを掴んでいた。


「無駄な攻撃はやめろ」


 気づけば蓮司の中にあった恐怖は消えていた。どれほど強力な攻撃力を有していても、当たらなければ意味がない。


「調子に乗るんじゃないわよ!」


 怒声と勢いに任せた魔剣を振るう沙希だが、蓮司は身をひるがえし、彼女の足を払いのける。


「やめておけ、勝負はついている」


 沙希の首元に金翅鳥王剣を突きつけ、蓮司はそう呟いた。


「俺にはお前の動きが全てわかる。お前がどんなに強い力を使ったとしても、俺には当たらない」


 どれほどの破壊力を秘めた攻撃も、どれほど威力を持っていようとも、命中しなければそれは無駄な攻撃に過ぎない。


 沙希の動きを全て見切れる蓮司は、戦う前まであった恐怖心が消えていた。


「バカ言ってんじゃないわよ」


「勝負はついている。お前のやってることは全部無駄なんだ」


「無駄なんかじゃないわ。私は力を得た」


「俺も力を得た。だけど、そんな力が何になるっていうんだ?」

 

 相手を倒すだけしか使えない力に振り回されていただけに、蓮司はそれがいかに無意味であることを知っている。


 自分をリンチしようとした先輩たちを半殺しにした時、鳥王ガルーダに乗っ取られて沙希を殺しかけた時も、何とも言えない虚しさだけがあった。


「俺を殺しても、おじさんもおばさんも蘇られない。お前は奴らに騙されてるんだよ」


 戦っている時は全力で相手を倒そうとする蓮司だが、戦い終わった後はその反動からか、今は冷静さを取り戻していた。


 だからこそ、蓮司は沙希を説得しようとした。


「だからなに? それが一体なんなの?」


 蓮司の言葉など全く意に介さないように、沙希の闘志、というよりも憎悪が炎のように燃え上がっていた。


「あんたは敵なのよ。あんたがいたから、みんな死んじゃう。だから、今すぐ消えてよ!」


 怒りの咆哮と共に沙希は再び魔剣を振るう。禍々しいオーラと、蛇姫アムリタとして持つアストラル粒子の力が合わさり、蓮司は防ぐだけで精一杯となった。


「沙希、お前……」


 正気を失っているのは間違いない。だが、それとは違う何かを蓮司は感じた。


 果たして、どうすれば彼女を止められるのか、いや、救えるのだろうか?

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