第2話

「久しぶりねザッハーク」


 三つ首の蛇の怪物の中でも中心に位置した蛇が、アジィとダハーカの主であるザッハークに対等の口調でそう言った。


「私としても不本意ではあるよイブリース。君を呼び出すつもりなどは無かったのだがな」


 少々大げさにお手上げであるとゼスチャーを取るザッハークに、イブリースと呼ばれた蛇はため息をついた。


「あなたたちがついていながら、ずいぶんと情けないことになってるようね」


「申し訳ございませんイブリース様」


「返す言葉もこざいません」


 お調子者のアジィと無口なダハーカすら、イブリースに対してはザッハークと同じように畏まっていた。


「イブリースとはまた、神話の世界から出てきやがったもんだぜ」


 すでに蛇王ザッハーク、そしてアジ・ダハーカという怪物を前にしている中で、やや呆れ気味に悠人はそう言った。


 イブリースとは、ザッハークに簒奪をそそのかして父王を殺害させ、両肩に蛇を生えさせた悪魔の名前だ。


「イスラム教では、キリスト教のサタンに匹敵する悪魔の王だが、なるほど確かに悪魔らしい」


「失礼なことを言うわね、黒金のジャガーノート」


 正臣の皮肉に、イブリースは不機嫌そうに答える。だが、全身から触れ出るほどの威圧感と邪気と妖気、禍々しさなどはザッハークと同等かそれ以上のものを放っている。


「悪も善も全ては表裏一体。それを区別してくだらないおしゃべりにうつつを抜かすのは堕落でしかないわ」


「悪の根源様は言うことが違うね、有難くて反吐が出る」


 そう言い捨てると、悠人は再びシャクラを放つ。地を穿つ太陽の弾丸よりは威力は低いが、それでも高温のエネルギー弾はイブリースこと、アジ・ダハーカの体を焼き焦がした。


「流石というべきかしら? 久しぶりに傷らしい傷を負ったわ」


 焼き焦げた箇所を瞬時に再生させながら、イブリースは些かも怯んでなどいない。


「イブリース、君は獅子王をお願いできるかな?」


「あなたの頼みならば仕方ないわね」


「ちょっと待てや」


 二体の怪物に対し、悠人は異を唱えた。


「何勝手に決めてやがる。逆だろ、お前らが俺たちの相手をするんじゃねえ。俺たちがお前らの相手をするんだ。選ぶ権利があると思ってんのか?」


 茶化しがない口調に、正臣は久しぶりに悠人が怒っているのを悟った。


「ということで、マー君すまねえな。俺はこの三つ首の蛇野郎をぶちのめす」


「分かった。俺はザッハークを叩く」


 互いに相手と対峙しつつ、イブリースは不適にほほ笑む


「些末ね。これだから人間は嫌い。くだらないことに対して無駄に時間をかけるくせに死ぬんだから」


 人間の寿命の短さをバカにしているのは、同時に百年生きている者ですら若造扱いされる蛇の一族らしい侮蔑だ。


「こうやって対峙してると、つくづくお前らがイカレてると実感するぜ。無駄に長生きして、命を奪って生きてる奴らに言われたかねえよ。そんな生き方するぐらいなら、俺はセミやホタルぐらいの寿命でぱっと命を使い果たして死にたいぜ」


「ならば、お望み通りにしてやろうじゃない」


「やれるもんならな」


 アジ・ダハーカとの戦いを開始した悠人に対し、ザッハークは深くため息をついた。


「君たちも哀れなものだ。それなりの強さを持つからこそ、簡単には死ぬことはない」


 憐れみとは程遠い口調に正臣は苦笑する。


「楽に死ねれば、苦痛も無い。苦しみ、痛みを覚えれば人はやがて恨みを抱く。その憎悪こそが、我々の原動力ではあるがね」


「だからこそ、あの子にお前は苦しみと絶望を与えたというわけか」


 正臣の指摘にザッハークは残忍な笑顔を見せた。


「彼女は蛇の一族であり、ジャガーノートでもある。ちっぽけな人間の枠に収まるような存在ではないのは君も知っているはずだ。我々は、彼女にとってふさわしい道を与えてやったのだよ」


 高らかに笑うザッハークの顔面に、正臣は渾身の正拳突きを叩き込む。高速で放たれた正拳突きは、顔を含めた頭部を吹き飛ばしていた。


「ふさわしい道か。なるほど、彼女は蛇の一族だ。蛇の一族として生きるのが道理だということか?」


「それだけではない。彼女はその中でも選ばれた蛇姫アムリタだ。君たちと同じジャガーノートであり、その力は無限大とも言える。だからこそ、君たちはジャガーノートを名乗っているのではないのかね?」


 顔をぬぐいつつ、ザッハークは念動力で周囲の岩石を弾丸にし、正臣に向けて一斉に放つ。

 ライフル弾と同等以上の速度で放たれた数十発の岩石弾に、正臣は些かも怯むことなく両腕で岩石の弾丸を全てはじき返した。


「何か勘違いしているようだなザッハーク」


「何をかね?」


「俺たちの持つ力は確かに強大だ。だが、それを理由に俺たちはジャガーノートを名乗っちゃいない」


 岩石弾のお返しとばかりに、正臣は再び五指連弾を放つが、ザッハークは岩の障壁にてそれを防御する。


 しかし、その防御を読んだ正臣はさらに追い打ちをかけるかのようにザッハークの岩の障壁へと回し蹴りを放った。


 五指連弾を囮にした回し蹴りに、ザッハークの岩の障壁はあっけないほどに脆く打ち砕かれ、その後ろにいたザッハークの腹部を貫き、再び蛇王は宙を舞っていた。


「……これだけの力をもちながら、人間などに加担していられるのか、私には理解しがたい」


 血反吐を吐きながら、ザッハークはそう呟く。


「人間だけに加担しているつもりはない。俺たち自身が人間ではないからな。人間にしても、お前ら同様ろくでもない奴がいる」


「その割には人間へと味方していることの方が多いと思うがね?」


「たまたまだ。意思疎通が取れ、平穏を選ぶ人達に対して人間も獣人も吸血鬼も関係ない。俺は差別が嫌いなんだ」


「ならば、我々と手を結ぶことも可能ではないか?」


 不気味にほほ笑みながら右手を差し出す蛇王に、正臣は右手を取った瞬間、体を引き寄せ、全身を抱えたまま跳躍し、まるでブーメランのように地面へと投げつけた。


「金剛双輪拳……風車投げ」


 風車のように回転しながら相手を投げ飛ばし、末端の四肢や首にダメージを与えるのがこの技の真骨頂だが、決して道場稽古では使われない禁じ手を正臣は容赦なく使ってみせた。


「無駄な攻撃ではあるが、君が我々を憎んでいるのかが伝わる技だったよ」


 地面にめり込んだ体を起こしながら、ザッハークは正臣の怒りを感じ取っていた。


「お前たちは気まぐれに命を生み出し、それを捨て去った。そして、北条さん達は捨てられていたはずの命を見捨てずに自分の子として守り、育てた」


「ずいぶん偏りのある見解だな。彼らが我々の蛇姫アムリタを……」


「黙れ!!!」


 冷静沈着な正臣らしからぬ怒声に、流石の蛇王も畏まった。


「彼女を蛇姫アムリタと呼ぼうが、お前たちは彼女を自分たちで生み出しながら捨てた。ジャガーノートとしての実験体として生み出しておきながら、お前たちはあの子を捨てたんだ!」


 謹厳という名の服を着ているような正臣だが、あえてザッハークに向けて沙希を文字通り捨てたことを強調した。


「貴様らのように、命を一方的に作りだし、無残に捨てるような命をもてあそぶ輩を俺は絶対に許さん。覚悟しろ蛇王」


鋼鉄の王虎ケーニヒス・ティーゲルは謹厳実直と聞いていたが、実態は慇懃無礼だったということかな?」


「貴様らのような外道に容赦しないだけだ。敵相手に容赦をするほうがどうかしている」 


 そう呟くと、正臣の右腕が赤銅色に染まっていく。

 

「メーザーアーム!」


 溶鉱炉から出鋼された鋼のように、触れたもの全てを燃やし尽くしてしまうほどの高熱を放っていた。


「それがどうした!」


 負けじとばかりに、ザッハークは自らの能力で作りだした巨岩を放って見せるが、熱したナイフでバターを切り裂くが如く、メーザーアームと化した正臣の右腕は容易く巨岩を切り裂いてしまった。


 それでもあきらめずにザッハークは巨岩を放ち続けるも、どんな名刀よりも切れる刀と化したメーザーアームの前には無意味に切り裂かれていくばかりであった。


「これまでだ蛇王」


「勝負はまだ決まっていないよ」


「諦めが悪いようだな、仮にも王を名乗る癖に」


「君も意外に教養がないな。勝負は下駄を履くまで分からないものさ」


 ザッハークが教養をひけらかすと同時に、遠方より急に巨大な爆発音が聞こえてきた。


「どうやら、始まったようだね。蛇姫アムリタ鳥王ガルーダとの戦いが」


「そのようだな」


 先ほどまで見せていた激情を抑えるように、正臣はメーザーアームを展開したままにそう言った。


「無残な戦いになるだろうが、彼女は勝つさ。鳥王ガルーダと違い、彼女には力がある。憎しみという途方もない力がね」


 正臣が切りかかろうとするも、ザッハークは周囲に石柱を展開させてこれを防いだ。


「ずいぶんな自信があるんだな」


「憎しみほど強い力は存在しない。君とて、あの夫妻の敵討ちの為に力を我々に向けて使っている。彼女はそれを、あの鳥王ガルーダに使っているんだ。流石の彼女も、君たちに勝つのは難しいが……」


 指を鳴らすと同時に、正臣の背後から巨岩が飛んでくるも、正臣はメーザーアームで再びこれを一閃するが、同時にザッハークはさらに距離を取って見せた。


「あの少年ならばどうかな? 彼はまだ若く、そして未熟だ。ましてや、彼女と非常に親しい関係にある。それ故に、彼は彼女にトドメをさせなかった」


 自らの姦計を自慢するかのように、ザッハークは語ってみせた。


「確かに蓮司にあの子を倒すことはできないだろうな」


「ならばなぜ彼女と戦わせたのかね? いくら、君の相棒がいたとしても形勢は不利だ」


「俺はあいつに戦えと言ったつもりはない」


「では何のためかね?」


「決まっている、あの子を救いに行くためだ!」


 赤銅色に染まる右腕にて拳を作り、正臣は全力でザッハークの石柱めがけて正拳突きを放つ。


 クッキーかビスケットが散乱したかのように、石柱が砂となり、砕け散っていった。


「お前たちはゼノニウムやアストラル粒子を単なる兵器と勘違いしているが、この力はそんなチンケな代物の為にあるわけじゃない」


 かつての師であり、蓮司の父である一条蓮也から教わった言葉が、正臣の脳裏に渦を巻くように思い出されていった。


「この力は、命と心を守るために存在する。その意味を理解しない限り、お前たちには絶対にこの力を引き出すことはできない」


「ならば、引き出して見たまえ。君の言う甘い思想を私が打ち砕いてくれよう」


「望むところだ」

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