目覚めた力

第1話

「それじゃ、蓮司はお父さんのことが嫌いなのか?」


「うん、だってまた僕との約束破ったんだよ」


 蓮司はふてくされながら、目の前にいる青年、斯波正臣に向けて自分の思いをぶちまけた。


「この前だって、お父さんと一緒に釣りに行くって約束したのに、お仕事でダメになったし、昨日だって一緒に天体観測しようと僕寝ないで待ってたのに、帰ってこなかったんだよ」


 父のことが嫌いなわけではなかった。だが自分と一緒に遊んでくれないことに不満もあるが、それ以上に約束を破ったことが許せなかった。


「約束は守らなきゃだめだって言ってたのに、僕との約束を破っちゃったんだよ。お父さんは僕のこと嫌いなのかな?」


 立て続けに約束を破られたことへの怒りと共に、約束を守ってくれないのは、自分が嫌われているのではないかと蓮司は思っていた。


 嫌いだから、約束をしても破られてしまう。大切に思っていないのは嫌われているから、だから自分も嫌いになるしかないのではないかと蓮司は思うようになったのだ。


「そんなことはないと思うよ」


 サングラス越しに正臣は蓮司にやさしく語りかける。


「だったらなんで約束を破るの?」


「確かに約束を破るのは悪いことだよ。だけど、世の中にはやむを得ない事情というか、仕方なく破るしかないことがあるんだ」


「でもでも、だって……」


 納得していない蓮司に正臣は力づくで蓮司を抱える。強制的に家に連れ戻されると思った蓮司は暴れるが、そんな蓮司に顔を蹴とばされても、正臣は怒らず平静なままに蓮司を肩車した。


「蓮司、この景色が見えるか?」


 父である蓮也よりも巨漢の正臣の肩車は、迫力があって蓮司の友達たちにも人気がある。

 

 だが、今日は一段と迫力ある光景が蓮司の目の前に広がっていた。


 光る海、青く透き通るほどの空の間に大きなビルがいくつも並び立つ光景は、幼い蓮司の心をわくわくさせるほどの絶景だった。


「どうだい、良い景色だろ?」


「うん、初めて見た」


 この街にずっと住んでいた蓮司も、高い場所から見下ろせる場所から眺めるのは初めてだった。


「この街に住んでる人達のために、蓮司のお父さんは毎日お仕事をしているんだ。ここには蓮司の友達のお父さんやお母さんも住んでいて、同じくお仕事をしている。そして、蓮司のお父さんはその人たちを守るために戦っているんだ」


「そうなんだ……」


「蓮司のお父さんがいなかったら、今はこんなに綺麗な景色も、滅茶苦茶になっているかもしれないんだ。確かに、約束を破るのは良くないことだよ。だけど、蓮司のお父さんも破りたくて蓮司との約束を破っているわけじゃないんだ」


 穏やかに、蓮司を諭す正臣の言葉に、蓮司は複雑な気持ちになった。この景色が見れるのも、自分の父である蓮也のおかげであると思うと、途端に自分が単なるわがままを言っているだけではないかと。


「確かに、蓮司のお父さんが約束を破るのは悪いことだと思う。だけどそれは、俺たちのせいでもあるんだ」


「どういうこと?」


「俺たちにはまだ、蓮司のお父さんほど強くない。蓮司のお父さんほど賢くもないし、みんなを守れるだけの力無い。だから、蓮司のお父さんが頑張らなきゃいけなくなる。俺たちにもっと力があれば、蓮司が悲しい思いをすることも、蓮司のお父さんが約束を破るようなこともしなくていいはずなんだよ」


 自分に力が無いことを土下座して詫びる正臣に、蓮司は何も言えなくなった。力がないのは自分も同じだ。

 だけど、自分よりもずっと体も大きく力もある正臣が、ずっと小さい自分に謝っていることに蓮司は複雑な気持ちになる。


「僕が我慢すればいいのかな?」


 ふと出てきた気持ちに、正臣は優しく首を振った。


「それは違う。俺も昔は蓮司と同じ気持ちになったことがある」


「マサ兄も?」


「ああ、俺も父さんがいつも仕事で忙しくて、一緒に遊んでもらえなかった。だから、蓮司の気持ちも分かる。それがとってもつらいことなのかもよく分かるよ。でも、我慢することとはまた別のことなんだ」


 自分が我慢すればいいと思ったが、それは違うと否定されたことに蓮司は困惑した。


「俺も小さい頃は蓮司と同じ気持ちになった。そして、今は大きくなって俺の父さんや、蓮司のお父さんの気持ちも分かるようになった。約束を破るのはな、蓮司だけじゃなくて蓮司のお父さんもつらいことなんだよ」


「じゃあ、どうすればいいの?」


 我慢することが違うなら、果たして自分はどんな気持ちになればいいのだろう。


「俺たちを頼ってほしい。今はまだ、蓮司のお父さんの手助けはできないかもしれないし、蓮司はお父さんと一緒に遊びたいと思う。本当なら、俺たちが蓮司のお父さんと同じくらい頑張ればいいんだけど、まだそれはできない」


 どこか歯痒そうに、情けなさを隠さずに正臣はそう言った。いつもは堂々としている正臣らしくない言い方ではあるが、それだけに蓮司は正臣が心からそう思っていることを吐き出しているように思えた。


「だから、今はせめて蓮司の役に立てるようにしたい。辛くなったり、寂しい時は俺たちを頼ってくれ」


 自分は子供であることを蓮司はいつも自覚していた。周囲の大人たちはみんな賢く、大きく、そして強い。

 

 今の自分は賢くも無ければ小さく、そして弱い。


 そんな自分に対して、強い男が約束をしてくれることに、蓮司は胸が熱くなった。


「分かった。僕、我慢しないよ。だから、遊びたくなったらマサ兄たちを頼ればいいんだよね」


「分かってくれたか?」


「うん」


 にっこりと笑った蓮司の頭を正臣は優しく撫でた。


「ありがとう。でも、いつかきっと蓮司のお父さんが蓮司の約束を守れるようにもするからな。男と男の約束だ」


「約束だね」


 めったに笑わない正臣がぎこちなくも笑ったことで、蓮司は先ほどまでの不満や悲しさが消えていくのを感じ、同じく笑顔になり、もう一度街並みを見下ろしていた。


 この景色を蓮司は絶対に忘れないようにし、そして自分もいつかは父や正臣たちのようになりたいと思ったのであった。


******


「また夢か」


 懐かしい小さい頃の記憶と共に、蓮司はゆっくりと起き上がった。


 多忙な父が、自分との約束を破ってしまったことで、蓮司は一度家出をしたことがある。

 

 約束は守らなくてはならないという父や母の教えに対して、それを言った当人たちが破ってしまったことに幼い頃の蓮司はすべてが嫌になり、大人が知らない隠れ家に逃げてしまった。


 約束を破ったことが嫌だったのではない。


 破ってはいけないと教えられたはずが、当の本人たちから破られるという矛盾に無性に腹が立ったからだ。


 自分はどうでもいい存在で、だからそんな適当なことを言ってもいいと思われているのではないか。


 それはつまり、自分のことが本当は嫌いなのではないかと蓮司は子供ながらに思ってしまった。


 そんなことを考えながら、隠れ家にて一晩経過した中で、蓮司は今更家に戻れないと思ったが、そこにやってきたのが父の教え子であり、もう一人の兄貴分であった斯波正臣だった。


 子供しか入れないような場所に、巨漢の正臣がやってきたことに蓮司は驚いたが、正臣は蓮司を叱ることなく、蓮司の心境を理解し、そして、自分たちが不甲斐ないからこそこんなことになったことを謝罪した。


 そんな正臣の姿に、蓮司は父や悠人とは違う別の意味での憧れを持つようになった。


 とてつもなく強いにも関わらず、どんな相手でも、対等に接し、相手の心を理解しようとする優しさを持つ。


 そんな男になりたいという思いを抱いていたが、そこで蓮司は自分が夢を見る前の記憶がフラッシュバックする。


 力を暴走させ、学園を破壊し、そしてしまいには守るべきはずだった沙希を自分の手で殺してしまいそうになった。


 死ななかったとはいえ、沙希は自分では立てないほどの大けがを負っていたが、それよりも沙希は自分がいたからこそ、おじさんやおばさんが死んだことを非難し、憎悪をむき出しに蓮司を睨みつけていた。


「沙希を俺はもう少しで殺すところだった……」


 例えそれが、魔獣軍団や蛇の一族の薄汚い陰謀であったとしても、そうなるほどに追い詰めてしまったのは自分の愚かさが招いたことだ。

 

 一体どうすればいい。どうすれば、沙希を取り戻すことができるのだろう。

 

 そして……


「沙希に本当のことを、伝えることができるんだ……」


 自分以外は誰もいない自室で蓮司はそう呟いた。誰もいないからこそ、余計にその一言が反射してくるかのように蓮司に突き刺さっていく。


 部屋に籠ったところで得られるものなど何もないと、ゆっくりと起き上がった蓮司はとりあえず何かを食べたいと思った。


 ドアを開けようとすると、その瞬間、何か柔らかい物とぶつかり、蓮司は思わずよろけてしまい、膝をついていた。


 すると、蓮司の目の前にバスタオル姿のグラマラスな美女が立っていた。


 自分と同じくらいの背丈で、髪はウェーブがかかったプラチナブロンドのロングヘアで、肌は沙希と同じかそれ以上に白く、眼はエメラルドか翡翠のような深い緑色をしていた。

 

 だが、それ以上に特色なところは、圧倒的なバストサイズを持つ胸部だろう。


 沙希もメロン並みに大きいが、目の前にいる美女は沙希と比較すると、一回り大きいスイカ並みにでかい。


「あ、あのね、えっとね、汗かいたからお風呂借りたの。それから、蓮司君が大丈夫かどうか様子を見ようと思ったの……」


「も、もしかして……凛姉?」


 こんなにいろいろなところがでかい美人は、自分の知る限り人しかいない。そう思って出てきた言葉に、感激したのか、彼女はうれしそうに笑顔を見せた。


「よかった~! 覚えててくれたんだ! 忘れてたらどうしようかと思っていたの!」


 凛姉こと藤堂凛子は、バスタオル姿であることを気にせずに蓮司に抱き着く。


「あんなにちっちゃかったのに私と同じくら大きくなっちゃて、お姉さんびっくりしちゃったよ! 一条先生にそっくりでイケメンになっちゃったね! おめでとう!」


 懐かしさと嬉しさで頭の中がいっぱいなのか、自分のバストを押し付けながら凛子は蓮司を強く抱きしめる。


「ちょっと凛姉! その恰好で抱き着くのはいろいろと不味いって……」


 そう言いかけた瞬間に、蓮司は凛子の背後にサングラス姿の巨漢が明らかに不機嫌そうなオーラを纏っているのを見た。


「あ、もしかしてこれって、その、あの、ええっと……」


「どうしたの蓮司くん?」


「とりあえず後ろ見た方がいいよ」


 不思議そうな表情のままに凛子は振り向くと、一番この状況を見られたら困る人物がいることにやっと気づいた。


 その瞬間、凛子は蓮司を突き飛ばして一瞬でサングラス姿の巨漢、斯波正臣に抱き着いてきた。


「これはね、違うの! 蓮司君が心配だったから様子見ようとしていたら、蓮司君が起きてて! そしたら私のこと覚えててくれたから懐かしくてつい抱っこしちゃったの?」


「その姿でか?」


 少しだけ寒気がするような言い方に、凛子は絶句するが、下手をすると男女の営みの事後にしか見えないのだから仕方がない。


「だって、蓮司君が起きたから……」


 今更ながらに恥じらいを見せて弁明しているが、正臣は凛子の頬をつねった。


「未成年の前ではしたない恰好で出歩くんじゃない」


「ごめんなひゃい! ごめんなひゃい!」


 相変わらずのバカップルぶりに蓮司は若干冷ややかにやり取りを眺めていた。


 その気になれば、鉄球すら破砕できる腕力でつねられれば、肉片すら簡単に引きちぎれてしまう。


 なんとも思っていないように思えて、実際は束縛と独占欲が強いほどに凛子を愛していることを知っている蓮司から見れば、このやり取りはある種のプレイにしか見えなかった。


「ところで蓮司、体の調子はどうだ?」


「なんとか、大丈夫だよ」


 サングラス越しに自分を気遣う言葉に、蓮司は顔には出さずにほっとした。


「後で下に来てくれ。お前に話したいことがある」


 簡潔に正臣はそう言うと、凛子を抱えて部屋を後にしていった。


 久しぶりに正臣と凛子に出会えたことに嬉しさはあったが、それ以上に自分ではどうしようもないほどに大きな問題になっていることを蓮司は悟った。

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