第2話

 勝手知ったる他人の家という言葉がある。


 両親の記憶がおぼろげで、幼くして両親を失った蓮司にとって、北条家はもう一つの実家のような存在であった。


 温厚で誰とでもすぐに打ち解け、時には厳しさを見せる北条悟。


 厳しいが、筋を通し、誰よりも本当は優しい北条都。


 中等部に上がる前までは、よく北条家で食事をごちそうされたこともある上に、沙希の部屋で一緒にゲームをして遊んでいたこともある。


 その北条家は今、単なるがれきの山へと変わっていた。


「嘘だろ……」


 思わず蓮司は膝を付きそうになった。


「大丈夫か?」


 心配する悠人に支えられた蓮司だったが、ヴェスペにやられた怪我のせいか、今ひとつ力が入らない。


「おじさん……おばさん……まさか沙希もやられたのか?」


「しっかりしろ、確かに酷いが、やられたとは限らないだろ」


 叱咤する悠人だったが、楽観視はしていなかった。

 

 空から爆弾でも落とされたかのように、がれきの山になっている北条家、もはや跡地と言っても差し支えないほどに崩壊していた。


「にしても奴ら……相変わらず無茶苦茶しやがって」


 蓮司の祖父、蓮太郎と電話した時に嫌な予感がするからと明日ここを訪れるところを、前倒して悠人はやってきたが、それでも自分が間に合わなかったことにいらだっていた。


 犯人はおそらく、ヴェスペ、あるいはヴェスペが所属する魔獣軍団ヴェスティ・ヴァッフェだろう。奴らは手段を選ぶような紳士の集団などではない。


 それを理解してながら、ここまでやられたことに悠人は久しぶりに怒気が高ぶっているのを感じた。

 

「……とりあえず、北条さん達を探すぞ」


 激怒したところで状況がどうにかなるものでもない。今できる最善を尽くすことに悠人は思考を切り替える。


 まずは最善を尽くすことに思考を切り替えると、悠人は周囲の熱反応を調べる。爆発の影響からか、あちこち燃えている箇所もあるが、人間の体温らしき反応を拾い集めるように周辺をサーチした。


 すると、その反応の近くでうめき声が聞こえてきたのを悠人はかすかだが感じ取った。


「あそこに誰か倒れているな」


 蓮司を抱えながら、その場所にたどり着くと、焼け焦げた柱の下から生命反応を感知すると、悠人はパワーショベルのような力で柱を持ち上げた。


 その下には血まみれになった北条夫妻が埋まっていた。


「おじさん! おばさん!」


 実の親も同然の二人の有様に、蓮司は混乱しながらも駆け寄ったが、全身血まみれで虫の息になっている二人に絶句してしまう。


 必死に声をかけながら、蓮司は二人の体を揺さぶったが、殆ど反応が無い。


「冗談だろ……生きてるよな二人とも!」


 蓮司は二人の頸動脈に手を当てみるが、殆ど脈が感じられなかった。


「あんまり体を揺らすな。出血が酷くなる」


 あまりの自体に冷静さを失っている蓮司とは対照的に、悠人は冷静に北条夫妻の状態を確認していた。


 それでも、二人の状態は悲観的になりたくなるほどに悪い。


「悠兄、二人は助かるよな?」


「確実な事は言えねえ」


「冗談だよな?」


「冗談で人様の生き死にを語れるほど俺はふざけちゃいねえよ」


 幼い頃から、冗談を口にしながら周囲を明るくしていた悠人が、冷徹に見えるほどの返答をしてきたことに蓮司は愕然とした。


 何故、二人がこんな酷い目に遭わなくてはいけないのか。自分が助かったのにもかかわらず、二人が助からないなどというのはあまりにも不条理過ぎる。


「……蓮司くんか?」


 聞き覚えのある温和な声に、蓮司と悠人は一斉に視線を向けた。


「君は……無事だったんだな?」


 北条悟の意識が戻ってきたことに蓮司は何度も首を縦に振った。


「おじさん、一体何があったの? 誰がこんなことを」


蛇の一族ナーガだよ……奴らが裏切った……」


 北条の口から放たれた蛇の一族ナーガという単語に、悠人は思わず「あのクソ野郎共か」とつぶやいた。


「知ってるの?」


「裏の世界じゃ有名な連中だ。さっきやり合ったヴェスペ、あいつが所属している魔獣軍団ヴェスティ・ヴァッフェもぶっ飛んだ連中だが、イカレ具合がヘタするとあいつらよりも上だ。何しろ、会話が成立しねえ」


 闇討ちを仕掛けてきたヴェスペもかなり悪辣ではあるが、それ以上にえげつない連中がいることと、そんな連中を一般人の北条が知っていることに驚きを隠せなかった。


「君はまさか、片桐……悠人くんか?」


「久しぶりだね、北条のオッサン。まさか、こんな形で再開するとはな」


 悠人も悟もかつては一つの組織に所属しており、故会ってそのつながりは現在絶えていた。


 だが、悠人の持つ力と、もう一つの名前をも忘れたわけではなかったらしい。


「君が来てくれたのか?」


「こいつの爺様が嫌な予感がするからってな。あの爺様はなんだかんだで孫に甘いが、結果として判断は正しかったみたいだ」


 蓮太郎の懸念は当たっていたらしいが、悠人も蓮太郎もそれが外れて欲しいと思ったことはあっても、当たって欲しいと願ってはいなかった。


 だが、結果はより最悪の方向に傾いている。


「だから蓮司君が無事だったのか……」


「ってことは、蓮司が襲われることは知っていたってことでいいんだよな?」


 北条の口から出てきた言葉から、悠人は一つの仮説をはじき出した。


「それってどういう……」


「簡単なことだ。北条のオッサン達はお前が襲われることを知っていたなら、襲ってきた連中に何かしらの心当たりがあるってことだろ。そういうことでいいんだよな」


 悠人の仮説に、北条は静かに目を伏せる。暗に肯定を見せた事に悠人は深くため息をつき、蓮司はうなだれた。


「バカなことをした……全てはあの子を守るためだったはずなのに、私達はその代償として蓮司くんをあの悪魔達から見捨てようとした」


「あのバカが蓮司をぶっ殺そうとしたのはそういう事情かよ。おおかた、蓮司をぶっ殺す変わりにあんたらの娘さんは見逃すとか、そういう裏取引をやってたわけか」


「奴らは初めから、取引を行っているつもりも、約束をしているつもりもなかったんだ。奴らは裏で手を組んでいた。私達が必死で守ろうとしている姿をあざ笑うために……」


 悔しさと無念さの表情を見せる北条に、蓮司は襲われた理不尽な気持ちを持てなかった。


「そういう連中なんだよ奴らは。見た目もそうだが、それ以上に中身が粗悪な代物で埋まってるようなクソ野郎達だ。人が死ぬ姿や、苦しんでる姿を見ながら酒飲んでゲラゲラ笑ってるぐらいイカレてる」


 魔獣軍団ヴェスティ・ヴァッフェ蛇の一族ナーガ、両者とやり合ってきた中で悠人は奴らのやり口を嫌というほど理解していた。


 文字通り人間ではない化物ではあるが、それ以上に連中の心は人間とは相容れない弑逆さと悪辣さで構成されている。


 人殺しを楽しむことすらマシに見えるほどだ。


「オッサン、よりによってあんなイカレ集団と取引なんて本気でできると思ったのか? あいつらがコイツをぶっ殺してあんたの娘を守るとか、そんな条件を守るような連中に見えたのかよ」


 襲われた蓮司を指さしながら、悠人は北条を責めたが、北条は反論することができなかった。


「そうだな……私達は……愚かだった。よりによって、蓮司くんと沙希を量りにかけてしまった。そして奴らが彼を殺すことを知りながら見て見ぬふりをした」


「笑い話にもならねえし、言い訳にもならねえ。見殺した時点で殺したのと同じだ。結局のところ、あんたもオバハンも、ヴェスペや蛇の一族ナーガと何も変わらねえじゃねえか」


「耳が痛い話ですね……」


 悠人の指摘に、先ほどまで沈黙していた都が目を伏せながらそう言った。


「おばさん……どうしてこんなことになったんですか?」


 自分の命を狙われたことも、義理の両親とも言うべき二人が重傷を負わされた事実の方が蓮司には受け入れがたい事実であった。


「私のことを心配してくれるのですか?」


「当たり前じゃないか。おじさんもおばさんも、俺の事をいつも面倒見てくれた。爺ちゃんと二人きりの俺を気遣ってくれたじゃないか」


 実の両親がいないことを寂しいと思ったことはなかったが、それでも友達達にはいる両親という存在がいないことに少しだけ疎外感を持ったことはあった。


 祖父に迷惑をかけたくないからと蓮司はそうした悩みを口にしたことはなかったが、決まってその時は北条夫妻が文字通り、親代わりになってくれた。


「前に剣道部で俺が暴れた時だって、俺は剣道部を辞めるだけで済んだ。本当なら退学になってもおかしくないのに、俺を庇ってくれた」


 剣道部で蓮司が暴れたあの事件の時も、十人もの上級生を半殺しにした蓮司は退学になりかけた。

 だが襲われた事実と蓮司自身、後頭部を木刀で殴られたという事情を都は配慮してくれたことで、剣道部を辞めるという寛大な処分で済んだ。


「私達はあなたを見殺しにしようとしたのですよ」


「でも、俺は生きてるし、襲ったのはおじさんやおばさんじゃない」


 自分が殺されかかったのは事実だ。それでも、自分は金色の獅子王に助けられてなんとか無事でいることを蓮司は強調した。


「助けたのは俺だけどな。俺がいなかったら、あの糞虫に殺されてたぞ。お前、この二人が死にかけてるからって、変な同情しているつもりか?」


「でも、俺は生きてる」


「それとこれとは話が別だ。お前は殺されかけたんだぞ。魔獣軍団ヴェスティ・ヴァッフェ蛇の一族ナーガはテロリストが真人間に見えるぐらいイカレてる。手を組んだ、オッサンとオバハンですらこの様だ」


 死にかけている二人を前に、悠人は容赦ない言葉をぶつけた。


「俺が間に合ったのは単なる偶然だ。でなきゃ、俺はあんたらと蓮司の葬式でここに来るハメになっていたんだ。その意味が分かってるのか?」


 悠人が何故こうも容赦が無い言葉を口にしているのか、蓮司はようやくその理由を理解した。


 悠人は怒っている。それはヴェスペや、北条夫妻と、二人を半死半生に遭わせた蛇の一族ナーガに対してだけではない。


「そうなる前に、もっと早く、俺達に一言言っておけば、こうなることは絶対になかったはずなんだ。そうすればあんたらも、あんたの娘も、そして、蓮司も全員が無事で済んだはずだ」


 北条夫妻が蛇の一族ナーガとヴェスペに取引せざるを得なかったのは、奴らの持つ巨大な力の前には無力だったからに他ならない。


 選べる選択肢があるようで、そんなものは初めから存在し得ないものだった。


 接触してきた時点で、初めから生殺与奪はすでに奴らが握っていた。


「悠兄……」


「伊達に《救世主》ジャガーノートを名乗っちゃいねえ。俺達の持ってる力っていうのはこういう時に使う代物だ」


 自分に言い聞かせるかのように、悠人は激怒していたが、その気になればこうなる前に救えた可能性を誰よりも理解したからに他ならない。


 だからこそ、北条夫妻が自分達を頼らなかった現実に憤慨していた。最悪の結果になってしまったことに。


「そうだな、我々は愚かだった。だからこそ蓮司くんを見殺しにし、君達ではなく、あの悪魔達を信じてしまった」


「私達は取り返しの付かない過ちを犯してしまいました……天秤にかけてはいけないものを、天秤にかけてしまった。ごめんなさい」


 後悔と謝罪をつぶやく北条夫妻に対して、蓮司の目から涙が流れていた。何故、この二人がこんな理不尽な暴力を受けなくてはいけないのか。


「だからこそ、君達に託したい。沙希を助けてくれ」


 死の淵で出てきた偽りの無い北条悟の本音に、蓮司は分かったと言おうとしたが、悠人が片腕で制した。


「引き受ける前に一つだけ聞きたい。なんであんたらの娘さんが、奴ら《ナーガ》

に攫われるんだ?」


 唐突ではあるが、沙希が狙われ、攫われた理由を遠慮することなく悠人は尋ねた。


「あいつらはヘンタイでイカレてるが、ただの人さらいをするような暇な連中じゃねえ。狙われる理由は相応にあるんだろ?」


「今そんなことを聞いている場合じゃないだろ」


「だったらいつ聞くんだ? この二人が死んだ後か?」


 激怒はしても悠人は冷静さまで失っていなかった。


「あの子が人間であろうと、それこそ化物だろうと、それを理由に見捨てるつもりはねえよ。だがよ、なんで狙われたのかも言えない相手の頼み事は引き受けねえ。死に際だろうと健康体だろうとな。だから……」


 北条の顔をのぞき込むように、悠人はそのまま貫くような視線を向けた。


「理由を教えてくれ。それさえ聞かせてくれれば、あんたの娘は俺達が助ける」


 言葉も口も荒っぽいが、真っ直ぐなところは昔のままだ。誰かの為に戦う。誰かを守る為に戦う。困った者を見捨てずに筋を通すからこそ、蓮司は悠人に憧れたことを思い出した。


 そして、それは悪魔の奸計により瀕死の重傷を負った哀れな夫婦にも伝わったらしい。


「……やはり、私達は間違っていたな」


「過ちは正せる。昔オッサンが言ってたはずだぜ」


「そうだったな。ならば、過ちは正すべきだ……あの子が奴らに狙われたのは明確な理由が存在する」


 悪逆非道な連中の標的にされた理由をついに北条は語り始めた。


「あの子は……人間ではなく蛇の一族ナーガだからだ」


 それはあまりにも想定していなかった答えであった。

 

 悠人と蓮司、二人の想像力に強烈なアッパーカットが、娘として育てた沙希が裏を返せば人間ではなかったという衝撃はそのまま彼らの心も盛大にストレートパンチで揺さぶれていたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る