第2話
「それで、お姫さまとやり合いかけたんだ?」
食堂の一室にて、卵焼き、かんぴょう、干し椎茸、田麩、キュウリ入りの太巻きを頬張りながら、体操部員の白内公平がそう言うと、蓮司は頭をかいてしまった。
「やり合うなんてそんな大げさなことじゃないって」
お茶を飲みながら、公平と同じ弁当を食べている蓮司ではあったが、端から見えるとそう捉えられるのかという気持ちになった。
「ただ、あそこでグダグダ言ってたら絶対にそうなっていただろ」
そう言いながら、啓太は太巻きを丸かじりしていた。
「あそこでよく怒らなかったな」
不思議そうな顔をする啓太ではあったが、お姫さまこと、北条沙希とは、公平や啓太以上に付き合いが長い。
「そこは幼なじみだから。なだめ方というか、炎上しないところは心得ているよ」
沙希と蓮司は中等部に上がる前からの幼なじみの関係にある。出会った時が十二歳の頃であり、そこからかれこれ四年は経過していた。
当時は沙希の方が身長が高く、おてんばで姉貴分だったが、中等部からは蓮司も扱いに慣れたことから短気でおてんばな沙希を、口先三寸でなだめながながら過ごしていた。
「幼なじみっていうパワーワードは破壊力があるね」
体操部ではジュニアの大会で鉄棒の部門賞を取り、小柄だがスポーツ万能であることから、リア充のあだ名を持つ公平がうらやましそうな口調でそう言った。
「まあ、性格はキツそうだけど北条は美人だもんな」
溌剌とした公平とは対照的に、険しい顔をして、180cmの蓮司よりも一回り大きい啓太だが、柔道部の美人マネージャーと付き合っている。
そんなリア充な二人に羨まれるような関係ではないと蓮司は思っていた。
「そんないいもんじゃないよ」
「そういうけどさ、あんな可愛い子と幼なじみで付き合いがあるなら、俺だったら絶対に手を出すなあ。美人で幼なじみ、しかも……でっぱいだし」
「それ、本人の前で言ってみ。竹刀どころか木刀で撲殺されるぞ」
沙希が男子から人気があることは蓮司も知っている。色白美人であること、そして、同級生は無論のこと、上級生を含めても立派な胸囲の持ち主であるということだ。
「北条さん見ると、つい目線が胸元に行きそうになるから怖いんだよね。だから、なるべく首筋に目を行くようにしないとさ、ヘンタイと誤解されそうになる」
「お前はもう少し言葉を選べよ」
露骨過ぎる公平に、啓太が指摘するが、誤解しなくてもヘンタイと見なされるだろうと蓮司は思った。
「そんな北条さんと幼なじみとか、下手なエロゲよりもヤバイ設定だと思うよ」
「エロゲ言うな。あんまり酷いことばっかり言ってると、明日から弁当代値上げするからな」
蓮司の発言に、どこか浮かれていた公平が急に目の色と共に顔色まで変えてきた。
蓮司は高校生ながらも、副業で弁当屋をやっていた。夏休み限定で、白鳳学園の同級生達相手ではあるが、食べ盛りで食い気が多い同級生達はとても学食や寮の食堂だけでは満足しきれない。
祖父と二人暮らしで、蓮司は炊事洗濯を手がけることに手慣れていた為、それを生かした小遣い稼ぎができないかと考えていた時に、ある人物からアドバイスを受けてやったのが弁当屋だった。
蓮司達が食べている太巻きも、蓮司が公平や啓太に依頼されて作ったものである。
「……というのはまあ、冗談なんだけどね。俺じゃなくてさ、寮の連中がさ、そういう噂を立てたのをあくまでそういう一例もあると言っただけなんだよ」
先ほどの悪ふざけな顔から、一転して真顔になって弁明する公平の姿に、蓮司は若干冷ややかな視線を向ける。
見た目は小さいが、公平もかなり食べる方だ。しかも、味と値段の釣り合い、寮や学食では提供できないような太巻きなどを蓮司は作れてしまうことから、決して怒らせるわけにはいかなかった。
「……口は災いのもとだからな。あんまりやり過ぎると、ホントに値上げするからな。量減らして」
「あはは、冗談だよ蓮司君、冗談」
本来、売り手と買い手の関係ならば、買い手の方が上なのだが、蓮司の作る弁当はボリューム満点であると共に、味も両立させている。
学食や寮の食事が不味いわけではないが、同年代の友人達の味覚を心がけた味付けで満腹できる食事はなかなか得がたい。
そうしたことから、顧客との関係は圧倒的に蓮司有利となっていた。
「それくらいにしておいてやれよ。んで、明日は何が出るんだ?」
「ちょっと待って……」
啓太が見かねて話題を変える。基本的に弁当は蓮司が四つ候補を出し、SNSから投票してもらい、決めている。味のクオリティを落とさないで、値段を安く提供する為であった。
ちなみに候補は海老フライを玉子で綴じた鎌倉丼、特大のキアジをカラっと揚げたアジフライ、いわしを入念に叩いて作るいわしのハンバーグ、そして、鶏の唐揚げに甘酢とタルタルソースで味付けしたチキン南蛮であった。
「このままだと、チキン南蛮になりそう」
どちらかとというと、蓮司は肉よりも魚の調理に長けていた。祖父が釣り好きであり、釣ってきた魚を捌き続けていたことから、今ではフグ以外の魚ならば下ろすことができる。
蓮司自身も肉よりも魚の方が好きだが、同年代の友人達は圧倒的に肉が好物であった。
「魚料理も嫌いじゃないけど、腹すかせているとやっぱり肉が食いたくなる」
「練習の後はガッツリ食事したいしね。タルタルソースがたっぷりかかったチキン南蛮とか最高だよ」
爛々と目が輝いている柔道部と体操部の友人に、この商売が当分潰れることはないことを蓮司は確信した。
「……仕込み増やすか」
同時にそれは、今以上に手間暇をかけていかなくてはならないことを意味していた。
***
剣道部の道場から少し離れた木陰で、若干放心状態になりながら、北条沙希は母が作った弁当を口にしていた。
アスパラガスの肉巻き、一口大のコロッケ、スズキの西京焼き、だし巻き玉子と充実したおかずを口に運びながら、一段丸々詰められた好物の菜飯を食べる。
いつもならばもっと溌剌として食べるのだが、今日の沙希は沈んでいた。
「またここでぼっち食いしているの?」
同じクラスの友人で、柔道部のマネージャーを務める宮部杏がジャージ姿でやってくると、沙希はすぐに視線を逸らした。
「杏、今日は一人で食べたい気分なの」
「聞いたわよ、蓮司君とやり合ったんでしょ。なんでそういう感じでツンツンするかなあ」
杏とは趣味嗜好が合うことから、高等部に入ってからは、食事を一緒に取ることが多い。
元々、沙希は友達づきあいが上手ではないのだが、同い年とは思えないほどしっかり者で、気配り上手な杏には何かと助けられていた。
「私だって、好きでそういう態度を取ってるわけじゃ……」
「そんなんだから、口より沙希に手が出るって言われるのよ」
沙希は美人ではあるが、名前をもじって口より先に手が出ると揶揄されていた。しかも、剣道部のエースでめっぽう腕も立つこともあり、一度怒ると手が付けられないほどである。
「うう……」
「あとでちゃんと蓮司君にお礼とお詫びしなさいよね。まあいいわ、私もお昼食べなきゃ」
そう言うと、杏は沙希の隣に座り、自分の昼食を広げる。手にした弁当箱の中身は、二本の太巻きが入っていた。
「凄い、それどこで買ってきたの?」
「これ蓮司君が作ったのよ。知らない? 蓮司君副業でお弁当屋さんやってるの。美味しくお腹いっぱいになれるからって、大人気なんだよ」
「剣道部辞めてバイクに夢中だと思ったら、こんなことやってたんだ」
半年前に剣道部でいろいろとやらかした後に、蓮司がバイトや副業を手がけていることは沙希も知っていた。
「ああ、美味しいなあ。実家の太巻きと違うけど、これはこれで美味しいなあ。椎茸あんまり好きじゃなかったけど、ジワッって甘いし、卵焼きはふっくらしていて酢飯とマッチしていて本当に最高!」
なんとも上手そうに太巻きを食べる杏の姿に、弁当を食べているにもかかわらず、沙希は急速に食欲が湧いてきた。
「もしかして沙希、食べたい?」
「そんなことないもん」
武士は食わぬと高楊枝というわけではないが、母手作りの弁当も半分残っている上に、蓮司が作った太巻きに手を出すとなんとも卑しい感じがしてきた。
だが、そんな理性とは裏腹に、蓮司が料理上手であることは、学園に入る前から知っていることから、この太巻きは、食べるまでもなく美味しいはずである。
食欲に忠実になるべきか、それともプライドを優先するべきか、沙希は悩んだ。
「甘辛く煮付けて、出汁も利いてるし、食べ応えあって最高。これで二本入りで500円って、リーズナブルだと思わない?」
まるで杏が、ショッピングチャンネルに出てくるプレゼンターのように、いかにこの太巻きが美味しく、満足させられる代物であるかを語る。
「知らない!」
「でも、私最近ダイエットしようと思ってるから、全部食べると太っちゃうんだよねえ。捨てるのは罰当たりだし、かといって残すのもアレだし、誰か食べてくれる人がいるとありがたいんだけどなあ……」
杏はわざとらしい口調で、沙希に語り聞かすようにそう言った。それを聞いた沙希は「仕方ないなあ」と同じくわざとらしい言い方をした。
「食べ物は粗末にしちゃいけないって、小さい頃から言われているし、食べてあげる」
食欲に負けた沙希は、杏から差出された策に乗った。それを見届けた杏は少々悪辣な表情で「どうぞ」といい、沙希に差出す。
五きれほど残った太巻きの弁当箱を、沙希は杏から受け取ると、いきなり二きれ同時に口にする。
口に入れて数回ほど咀嚼した後で、至福の表情となる沙希の姿に杏は思わず笑ってしまった。
「沙希ってホント面白い!」
「だって美味しいんだもん。かんぴょうも椎茸も甘辛く煮付けて、卵焼きもふっくらして、田麩も味濃いめで、刻んだキュウリがサッパリして、完璧だわ」
瞬く間に五きれあった太巻きを沙希は数秒で平らげてしまった。
「そんなに気に入ったなら、沙希も蓮司君に作ってもらえばいいのに」
「なんであいつに」
顔を真っ赤にしながら否定する沙希の姿に、杏は冷ややかな視線を送る。
「いきなり五きれも食べて説得力無いわよ」
「料理は関係ないでしょ」
「でも、食べちゃったじゃない。前に何があったか知らないけど、今日の事はお礼言わないと駄目だよ」
「分かってる」
友人の忠告に耳に傾けながら、母が作った弁当を届けてくれた友達に一言お礼を言うことを、沙希は密かに決意したのであった。
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