モラトリアムが終わる時

第1話

「暑イ……」


 照り付く日差し、セミの合唱、夏の風物詩とも言うべき光景と風情を体験する度に、一条蓮司は夏の暑さを実感させられるような気がした。


 現在夏休み中の母校、白鳳学園は部活動が盛んであり、特に運動部のメンバー達はこの休みを通じて猛練習を行っている。

 

 炎天下の中、グラウンドでは野球部とサッカー部がランニングを行い、ラグビー部は全力でタックルの練習、女子ソフトボール部はノックの練習、それ以外の運動部も気付けばあちこちで活発に練習を行っていた。


 熱気と熱意が合わさっているのか、どことなく熱狂的な盛り上がりを蓮司は感じた。


「なんだ、蓮司じゃん。珍しいな」


 硬式野球部に所属する同級生の一人が声を掛けると、蓮司は思わず苦笑する。


「補習か?」


 同級生がそう言うと、蓮司はクビを振って否定する。それなりの成績をたたき出している蓮司としては、補習は正直な話、縁が無い。


「ちょいとばかし野暮用」


 蓮司はそう言うと、右手に持つ風呂敷包みの荷物を見せる。すると、同級生は納得したかのような顔になった。


「暑いのに大変だなあ」


「みんなの方が大変だろ。熱中症になるなよ」


 軽い談笑をすると、蓮司は手を振って目的地へと向かって再び歩き出す。


 蓮司自身は部活には入っていないので、夏休み中の母校に立ち寄るだけの目的も理由も本来ならば無かった。


 だが、高校一年生で身長がすでに180cmあるだけに、蓮司はいろいろな部からスカウトを受けてはいる。運動も別に嫌いではない。


 部活に入っていないのは、高等部に入ってから興味を持ったバイクに熱中しているからだ。


 部活に入ると、バイトも趣味のバイクも、専念することはできない。


 それに、蓮司は今のバイクを購入するのに、高等部に上がってから三ヶ月かけてバイトを行っていた。


 やっと夏休みに入り、あちこちツーリングする楽しみに専念できているだけに部活に入っている暇が無い。


 それに白鳳学園は、部活動が盛んではあっても、部活に入らない自由も尊重される上に、バイク通学も許されている。


 中高一貫校で、中等部の頃から学園に通う蓮司としては、快適な学園生活を満喫していたい気持ちでいっぱいだった。


 そんなことを考えながら、蓮司はグラウンドを抜けて壮大な体育館と、そこに隣接する、体育館にひけを取らない古風な道場へと向かう。


 運動部が乱立する中で、体育館もかなり充実しているが、それ以上に充実しているのは剣道部や柔道部や空手部などの武道系の運動部だ。


 特に、インターハイ優勝経験を持ち、インターハイ常連校である剣道部や柔道部は、専門の道場を保有していた。しかも、シャワールームまで完備している。


 中等部の生徒達も一緒に行っており、入部している人間は中等部と高等部併せてそれぞれ五十人を超える。

 

 道場に近づくにつれて、竹刀の音と、受け身を取っている音が聞こえてくると、いつ来てもここは賑やかだと蓮司は思った。


「珍しい奴が来てるな」


 タオルで汗を拭いている柔道着姿の友人に、蓮司は「久しぶり」と挨拶を交わした。


「ちょいとばかし野暮用でね。頼まれ事でやってきた」


「野暮用ね」


 蓮司の同級生で、柔道部のエースである町田啓太は意外そうな顔をしていた。蓮司と背は同じだが、体重は蓮司よりも二十キロも多い。

 

 だが、肥満ではなく筋肉太りで、女子が聞いたら羨望するほどの、低体脂肪率の持ち主でもある。


「今日はバイク乗らないのか?」


「そのバイクでここまで来たんだ。歩いて来たら、これがエライことになるよ」


 右手の風呂敷包みを蓮司は啓太に見せる。


「なんだソレ?」


「弁当。凄いだろ、コレ一人分なんだって」


 三段重ねのお重は、一段目が豆ご飯、二段目と三段目がおかずという構成になっている。

 蓮司が夏休み中に学園にやってきたのは、この弁当を届ける為であった。


「食い応えがある弁当だな」


 基本的に常識人で、品行方正な啓太ではあるが、意外に食い意地が張っている。以前、家に招いて食事を奢った時に、一人で一升炊きの炊飯器の三分の二を平らげていた。


「気持ちは分かるけどさ、これ誰かに食われたら俺が怒られるんだ」


「でも本当に一人で食い切れるのか?」


「これ、お前が頼んだ弁当じゃないんだからな。後でそっちは届けてやるから」


「だが、空腹に勝てない」


 蓮司は愛用しているG-Shockに視線を移す。すると、時計の針は十二時五分前を指していた。


「朝食を取ったとはいえ、朝八時から四時間連続で練習すれば腹も減るんだよ」


「まあ、当然の生理現象だな。だけどさ、これは食わせないからな」


 うっかりすると盗まれそうになるので、蓮司は弁当をつい懐に抱え込む。気付けば、啓太と同じ柔道部のメンバー達がやってきた。


 どいつもこいつも、飢えた狼のように目がぎらついていた。


「なんだあれ? 弁当か?」


「凄いでかい」


「差し入れだった嬉しいな」


 同級生、上級生問わず、練習しすぎて腹を空かせて、文字通りののようになっている。


 気付けば、弁当を届けるというただそれだけのお使いが、難易度が高いミッションと化していることに蓮司は気付いた。


「サバンナで生肉担いで歩くのって、こういうことになるんだろうな」


 飢えた少年少女達と視線を合わせないようにしながら、蓮司は若干早足で目的地へと歩き出す。

 うっかり目を合わせると、途端に弁当を奪われそうな気がしてならない。


「早めに渡して帰ろ」


 目的を果たして帰ると決めた蓮司は、剣道部の道場へと脚を踏み入れる。


 いつ来ても、剣道部は独特の匂いがする。汗と、防具と、竹刀が混ざった匂いは決して香しいとは言えない。


 むしろ、悪臭に分類される匂いではあるが、蓮司にとっては慣れきった匂いだ。バイクのオイルの匂いの方が、遙かに良い匂いであることは否定はしないが。


「何しに来たの?」


 どことなく冷たい口調に、蓮司はその声の主に視線を向ける。


 白い剣道着に身を包み、その剣道着よりも白い肌、そして黒髪のロングヘアの少女が、いつもよりも鋭利で冷たい目つきでにらんでいた。


「沙希か」


 高等部一年生でありながら、剣道部の女子エースとして活躍している北条沙希の姿に蓮司は肩をすくめる。


「お使いで来たんだけどなあ」


 少しとぼけた口調で蓮司がそう言うと、冷たい表情と目つきのまま、さらに鋭利な目つきで沙希はにらみつける。


「軽々しく、ここに顔出せる立場だと思ってるの?」


 あからさまに沙希は不機嫌であった。いろいろな理由で剣道部を出禁となった蓮司も、正直な話、来たくはなかったが、それでも頼まれてしまったのだから仕方が無い。

 

「顔は出せないけど、姿を消すこともできないしなあ。そういう超能力は持っていないから」


 仕方なく顔をかいて蓮司はとぼけた。かつて、怒っている相手に、すっとぼけることであえて冷静になる術を蓮司は習得していた。


 こういう時に、上手いことを言ってすっとぼける名人の姿を蓮司は思い出しながらそう言った。


 だが、相手が悪かったのか目の前の少女は鋭い太刀筋で、手にした竹刀を蓮司の目の前に突きつけた。


 鋭くしなやかな一閃でありながら、可憐な太刀筋に思わず蓮司は見入ってしまう。

 

 流石は剣道部のエースと言いたくなったが、目の前の同級生はかなり怒り心頭のようだ。

 周囲の目も、一触即発な状態に怯えているのが分かる。


 この黒髪の幼なじみは根は真面目ではあるが、同時に短気なところがあることを蓮司はいささか失念していた。


「ちょっと待って。俺が顔出せる立場じゃないのは分かるけど、一応それなりの事情があって来たんだ」


「事情って何よ?」


「これ」


 蓮司は右手に持っていた弁当を突き出す。すると、沙希の怒りが少しだけ緩んだのが伝わってくる。


「……これって?」


「誰かさんの忘れ物」

 

 その一言で、沙希が怒りの形相から、真っ赤になり、羞恥心と申し訳ない気持ちに切り替わったのを蓮司は見逃さなかった。


 先ほどまでの険悪な態度が、一瞬にして消え去り、申し訳ない感じといたたまれない雰囲気となったが、 出来の悪いバトル系のような展開にならなかっただけマシだろう。


「つまり、その、お母さんに頼まれて来たわけ?」


 先ほどまでの態度が嘘であったかのように、全てが百八十度、というよりも一周半回っているように見えた。


 神妙そうな姿は、この幼なじみに不釣り合いではあるが、今回が初めてではないだけに蓮司は思わず口元が緩みそうになった。


「家出た時にお願いされたんだ。おばさんに頼まれたら断れないし」


 ツーリングに出かけようとした蓮司だったが、その時に沙希の母に出くわした。


 朝練に遅刻しそうになったことから弁当を持たずに出てしまったうっかり娘に、忘れ物を届けて欲しいとお願いされたのであった。


 沙希が激怒するほど、蓮司は過去に剣道部でいろいろとことから来たくは無かったのだが、幼い頃から世話になっている人からの頼まれ事は断れなかった。


「蓮司……その……」


「ということで、俺は帰る。さようなら」


 レディにあれこれ指摘してプライドを傷つけるのは、真っ当な男のやることではない。


 そう教えられてきただけに、蓮司は沙希を一切責めることはしなかった。そして、妙にしおらしい沙希の姿も見たくは無かったので、そのまま蓮司は顔を合わせることなく、その場を立ち去っていた。


***

「アレが、我らが姫君か」


 遠目に移る沙希の姿を眺めながら、全身黒ずくめの褐色の青年がそう言うと、黒いゴシックロリータ姿の女性が不適に笑った。

 

「可愛いじゃない。不細工じゃなくてよかったわ」


 白鳳学園剣道場から、1kmほど離れた林。そこから二人は観察対象となる少女を監視していた。


 二人は高さ三十メートルはある大木から、自分達の姫君となる北条沙希を眺めていた。


「それに、なかなか言い動きもしているし、とりあえずはいいんじゃない?」


 ゴスロリの女性が値踏みをするかのようにそう言った。


「お前は見た目さえよければいいんだろ?」


「見た目は大事でしょ、ダハーカ」


 ダハーカと呼ばれた青年は苦笑する。


「麗しくないのは駄目ね。醜いモノは嫌いなのよ」


「我らの姫君が不細工だったらどうしたんだアジィ?」


 ゴスロリの女性ことアジィが、何を今更と呆れた顔になった。


「決まっているじゃない……」


 満面の笑みを見せたアジィだが、一瞬にして残忍な表情へと変わった。


「殺すだけよ。醜い奴が姫君なんて最悪にもほどがあるわ」


 独特の美的センスを持つアジィは、醜いと判断したモノには容赦が無い。


「その点、あの姫君は合格ね。私達の玉座にふさわしいわ」


 沙希の姿がよほど気に入ったのか、アジィは長い舌を出して、ついでによだれまで垂れ流していた。


「美味しそう」


「手を出すなよ。その時はお前が殺されるぞ」


 自分の欲望に忠実過ぎて、節度に欠けるアジィをダハーカは窘めた。


 以前も、捕獲するべきターゲットがあまりにもお気に入りだった為に、アジィはそのターゲットをしまったほどだ。


「つまんないなあ」


「まあ、今は自重しておけ。どの道、今夜中にケリは付くんだからな」


 アジィがふて腐れた表情になるも、それとは対照的にダハーカは節度ある態度を保っていた。

 だが、内心では彼らの主からの命令を、一刻も早く実行したいという欲求に駆られていた。


「久しぶりに、血の雨を振らせることができる」


 冷静であるように振る舞いながら、ダハーカは命じられた「殺戮」を実行できることを心の底から楽しみにしていた。

 




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