彼女と煙草

さすらい

彼女と煙草

Prolog

彼女と煙草

吐息とともに煙が宙に放たれた。

吸い始めて約1年経つタバコにも慣れた。

今となっては何故吸い始めたのか、何故この銘柄にしたのかなんて言う些細なことは忘れてしまった。無駄に火の長いターコイズブルーの箱に入ったそのタバコを、最近では常に胸ポケットに忍ばせている。大学構内が完全に禁煙になり、法律が変わったらしく屋内の喫煙席も数を減らした。大学の近くのカフェで一服つきながら本を読めなくなってショックを受けたのは記憶に新しい。今日もコンビニの入口付近に置かれた安っぽい喫煙スペースのベンチに座りながら煙を吹かす。無機質な冷たさがスウェット越しにも伝わってくるステンレスかなにかで作られたベンチに座りながら、そろそろ禁煙するかなんて言う何度目かわからない考えを頭に浮かべていた。


「若いのにタバコなんて吸うもんじゃないよ」


女性の声がした。私は声の方に顔を向けることも無く、煙を吐いてから答えた。この時間に煙草を吸いに来る人は決まっていて、私の中ではその人とともに煙草を吸うことがほとんど日常になっていた。


「年若くて綺麗な女性の喫煙者にそんなこと言われたって響かないですよ、せめて右手に持ったセブンスターをしまってから言ってください。」


男女と喫煙は関係ないだろ、そう言いながら彼女は私の隣に座りタバコを咥えた。自分のパーカーのポケットをまさぐり、スキニーのジーパンの小さなポケットにもライターがないことを確認して彼女は言った、


「ねえ君、火貸してくれない?」


「どうせ持ってないんだから探す振りなんてしないでください」


そう言いながら私は右ポケットのマッチを差し出した。

彼女と私が出会ったのは煙草を吸い始めたその日のことだった。

理由もなく続けていた部活を辞めた頃。初めて会った彼女はライターを忘れた私にマッチを貸してくれた。それからはこのコンビニの喫煙所で会えばタバコ1本、ないしは2本吸う間に会話をする、そんな仲だ。お互い名前すら知らない、声と顔、彼女が社会人で私が学生であるということ、そして何気ない会話で出てきた些事が私と彼女を繋いでいた。

一切悪びれる様子もなく彼女は言った


「悪いね、いつも。」


「思ってもいないこと言わないでいいですよ、ここ3ヶ月は持ってないですよね。コンビニに売ってるんだから買ったらどうです?僕がいない時不便でしょ?」


マッチの1本を貸すくらいは気に留めるようなことでもないが、私と会わない間に吸う時のことを考えれば持っておいた方が便利だろう。


「君がいない間はちゃんとしてるよ。君が吸うのはいつもこの時間だからこの時間この場所では持ってこないようにしてるの、私みたいな美人に話しかけて貰えて火も貸せるなんて、ラッキーね。」


「若くて綺麗って別に皮肉で言ったわけじゃありませんよ?」


彼女は事実として綺麗な女性だった。万人が必ずという訳ではないがすれ違えば思わず振り返ってしまう程度には美人だ。この人が煙草を吸うことを知れば大半の人は驚くだろう。

彼女はマッチに火をともし、タバコに火をつけた。煙を吐き、呟きながら答えた


「別に努力した訳でもない部分を褒められても、ね。」


「お気に障ったのなら謝りますよ」


私は特に悪びれることも無く言った。女性は容姿を褒められると喜ぶというのは全員に共通ではないらしい、頭の片隅に留めておこう。


「そう言えば、あなた学校はどうなったの?件のウイルスのことがあるから平常通りって訳にもいかないんじゃない?」


吸い込みすぎた主流煙を少しだけ口からこぼし、吸い込む。12mgのタールを含むこのタバコは調子にのって吸い込むとクラついてしまう。吸う量の調節は、吸い始めこそ上手くいかなかったものの今となってはお手の物である。

吐き出した煙は午前0時過ぎの夜風に吹かれて消えた。


「まだ2年生なので平常がどうなのかは知りませんけど、とりあえず始業は延期になりました。オンライン授業がどうとか学校は言ってますけど実験なんかは対面じゃないと出来ないでしょうし、どうなることやらって感じです。」


「自分のことなんだからしっかりしなさい、留年なんてかっこ悪いんだからするもんじゃないわよ。ソースは私」


「留年したことあるんですか?」


矢継ぎ早に私は尋ねた


「3年から4年に上がる時にね。同級生になった子の目は冷ややかだし、いいこと無かった。」


煙を吐き、コーヒーを1口飲んで彼女は答えた。今まで会話してきた感覚として彼女に対して賢い印象を受けていたので意外な事実だった。


「単位を落としたんですか?あなたは勉強ができないようなタイプには見えませんけど。」


「馬鹿言いなさんな。あんなもの大した難易度でもないうえに過去問を解いておけば90点はとれるでしょ。でもまあ、あたりね。

必修授業の出席日数が足りなかったのよ。金曜日の午後の授業だったし、やる気が起きなくてね、大学近くの喫茶店で本を読んでたら単位認定に必要な出席数ギリギリになっちゃって。」


「あー、それで最後の最後に体調不良か何かで休まざるを得なくなっちゃったんですね。ありがちな話です。」


「、、、そんな所ね。まあ、1年間モラトリアムが伸びたと思って少しだけ気が楽になってたわ」


彼女のタバコの火がフィルターに近づいていた。彼女は灰皿にタバコを押し付けて火を消し、2本目のタバコに火をつけるべく私に手を差し出した。火を寄越せと言うことだろうマッチをわたし、彼女は二本目のタバコに火をつけた。


「モラトリアムが伸びた、そういう見方もありますね。成人して1年や2年で働く場所を決めろ。しかも、選ぶのは私たちだ。なんて社会は言うんだから1年くらい貰っとくべきですよ。学費がかかることを除けばですけど」


彼女は少女のように笑いながら言った。


「その通りだよ、学費はまあ何とかなったから今となっては留年しといて良かったかもね。気が変わった、若い子は1年留年しておくべきだ。」


こうやって笑う姿を見る度に私は思う。この人にタバコは似合わない。

私のタバコの火がフィルターに近づく。名残惜しくも最後のひと吸いをしたあと、私は火を消して立ち上がる。


「じゃあ、また。」


それに続いて、彼女も言う


「じゃあね、若人。また明日。」


明日も吸うのか。ならまあ、禁煙はまた今度にしよう。そんなことを考えながら私は家路に着いた。

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