第30話 そして新しい始まり
何事もなかったかのように無事誕生祝の宴は終わり、すべての祭りが終わった。
港は岐路につく人々であふれ、二、三日のうちに国は通常の静けさを取り戻すことだろう。
テオドラ姫はイズィナ国のロイ王子と婚約をした。
人々の記憶の中では、親善試合で祝福の口づけをされたのは、最優秀選手であるジェイクの主、ロイ王子なのだ。
カロン姫など、最初からどこにもいなかった――。
「それでいいの?」
自身の墓を見せてくれたシャロンにジェイクが問うと、彼女はにこっと笑う。
「いいのよ。末の姫の墓はここにあるし」
「でも、この中に君はいない」
中に収められているのは、テオドラが隠し持っていたカロンの髪飾りだけ。
「だって、家族は私をカロンだとすでに受け入れてくれてるし、それで十分じゃない? それともジェイクは、やっぱりカロン姫のほうが好き?」
ちょっと唇を尖らせるシャロンに思わずドキリとする。
「ぼくが好きなのは君だよ、シャロン」
そう言ってポケットから小さな箱を出し、彼女に差し出す。
開けるように促すと、中にはジェイクが綴ってきたシャロンへの手紙が収まっていた。彼女の手紙のように薄くて小さい紙につづった手紙は、小さな本のようにまとめられている。
「これは……」
中を数枚続けて見たシャロンの目に涙が浮かぶ。
「君への手紙の返事。今まで聞いてくれたのはデュランだけだったけど、ようやく本人に渡せた」
「うれしい……」
声を詰まらせる彼女の額に口づける。
「イズィナの習慣に則り、それをぼくの心として受け取ってくれるかい?」
求婚相手である女性に己の大事なものを贈る。それは命を預けるに等しい、あなたは自分の命だという証。
「ええ、もちろん。もちろんよジェイク!」
幸せそうに微笑む彼女の
◆
半年後。
ロイはテオドラと結婚し、ネイディアの一貴族として暮らすことになった。
本当なら海路の往復や手続きで一年は必要なところを半分で済んだのは、眠っていた科学技術を駆使した通信機器のおかげだ。
モニセア及び遊牧の民で魔王信仰と王女拉致事件にかかわった者たちは、それまでの数々の罪の裁きを受けることになる。
唯一マトヴェイだけは実際の罪がなかったこともあり、特殊な耳飾りが付けられ解放された。
「懐かしいものが出てきたな。まさか本当にできるとは思わなかったよ」
ジンジン痛むであろう耳に手をやったマトヴェイに、テオドラは弱々しく微笑む。それはかつて、超能力が暴走しないよう制御するために開発されたピアスの改良型というものだそうだ。
脱出しようと思えばできたはずの彼がそれをしなかったことで、力には懐疑的(もしくは信用された)かもしれないが、彼の求めに応じてテオドラが作ったそれは、テオドラかロイが解除しない限り誰にも外せないという。
モセニアの自治は出来なくなり、普通の一領地となる。
反発が少なかったのは上層部がすべてとらえられたことよりも、むしろマトヴェイが領主として戻ってくることだった。
「領民に愛されてるのですね」
ピアスの装着に立ち会っていたシャロンがそう言うと、マトヴェイは
「私の中の無意識下にあった常識が、彼らには慈悲に見えたんだろう」
と、肩をすくめた。そしてテオドラを見て柔らかく微笑む。
「ご結婚おめでとうございます。テオドラ王女。――二度とお目にかかることはないでしょうけど、あなたの幸せを祈っています。ずっと」
テオドラが住むのはモセニアと真逆の位置にある土地だ。
今の交通手段と立場では、二度と会えないは揶揄ではない。
それでもシャロンはジェイクに
「――でも、もしもテオドラに何かあったら、この方はきっと駆けつけてくるはずだわ。それだけは確信できるの」
と、囁く。
そんなたシャロンにもマトヴェイは笑顔を向けた。
そのいたずらっぽい笑みは年相応の十七歳の少年の顔で、シャロンもつられたように笑顔になった。
「君も結婚おめでとう。花嫁衣裳を見たかったな」
もう一人の妹として。
口の動きで最後にそう付け足されたことに気付いたシャロンは、くすぐったそうに肩をすくめた。
この少年が前世、「シスコン」を自称していたことを記憶の底から引っ張り出したシャロンは、「生まれた時代、場所が違っていたら……」と苦し気だった。
「でもジェイクが時をかけなければ、悲劇は続いていたのよね」
ジェイクが過去に戻り新たに作られた未来は、再びテオドラが攫われる未来も、前世を思い出さないままであれば起こっていたであろう元双子の悲劇も回避させたのだ――と。
今後、一領地の上に立つ彼の責務は重い。でも今のマトヴェイの中身はいい年のはずなので、若い体と大人の知恵や知識で乗り切ることだろう。
紅蓮の館は、シャロンが生涯「レンタル」することになった。
ロイがそれを決め、テオドラも了承したのだ。
シャロンは「紅蓮の館の子」だからと。
ネイディアとイズィナはテオドラとロイによって絆を深めたが、その裏でもう一人の姫が一騎士と結婚したことは、ネイディア王族とごく僅かな関係者のみの秘密だ。
不幸な事件で死んだと思われていたカロン姫。
自ら動く館に拾われ大事に育てられ、白き魔女の再来と親しまれていたシャロンがその姫だと知らなくても、もともと彼女を国に迎えたかったイズィナは大歓迎だった。
ダリアの称号を持つ騎士と白き魔女は自領を持たず、国中を、時には世界を旅する。人々を助ける知恵を、知識を教えるために。
それでも二人が出会ったリュージュの森は、故郷として国にも認められた。
◆
それから五年後。
「ジェイク、ジェイク! テオドラに三人目の子が生まれたわ! 今度は待望の女の子よ!」
目をキラキラさせながらジェイクを出迎えたシャロンを抱き止め、ホッと息を吐く。
「興奮するのはわかるけど、君も身重だってわかってる?」
シャロンの大きなお腹を撫でると、返事をするようにジェイクの手を蹴るようにピクリとした感触が伝わる。
「あら、パパおかえりなさいって言ってるのね」
クスクス笑うシャロンは益々美しくなったと思い、ジェイクは目を細める。
そこにデュランが鼻を押し付け、自分も仲間に入れろと訴えてきた。
「デュランもおかえりなさい」
かがんでデュランの顔を両手で撫でまわすシャロンを見ながら、ジェイクは少し眉を下げた。
「やっぱりネイディアに行かないか?」
「またその話?」
「だって初めてのお産だし、向こうに行けば色々協力してもらえるだろう?」
もうすぐ訪れる出産予定日に向け、リュージュの森に留まるかネイディア王宮近くに行くかで揉めているのだ。
「ここだって、町の皆さんが手伝ってくれるって言ってくれてるのよ? シアも来てくれるし」
「私もいます」
ミネルバが水晶の中から呆れたように手を上げ、やれやれと首を振った。
たしかにミネルバがいれば大丈夫だろうけど。
五人も生んでいるシアが話し相手なら心強いかもしれないけれど。
でも……。
「パパは心配性ですねぇ」
クスクス笑うシャロンの呑気さに「でも」と、なお言募ろうとすると、彼女が、「あっ」と呟いて動きが止まった。
「シャロン?」
訝しげに問うジェイクに、シャロンはいたずらをした子どものような顔で上目遣いになった。
「あのね。……えーっと、今朝からもしかしたらと思ってたんだけどね?」
「うん?」
「陣痛、始まったかも?」
「はあああ?」
ケロッと通常運転の妻を思わず抱き上げ、ミネルバにどこに運べばいいかとオロオロしながら尋ねると、「まだ早い」と二人に呆れられた。
「いや、だって、え? だって予定より大分早いじゃないか」
早くても七日は後だって、ミネルバだって言っていたはずなのに。
「そうねえ。早くイトコに会いたくなったのかしらね? せっかちさんだわ」
「いや、せっかちとか、そういうことじゃなくて」
「まあ、まだ時間はあるし? 念の為、多めに食事を用意しておきましょう」
いや、それ大丈夫なのか?
「だから貴方も手伝ってね」
「……はい」
ゆっくりシャロンをおろし、彼女の指示に従うべくキッチンに入る。
ソワソワして二回も指を切ってしまったけど仕方ないはずだ!
翌日昼になり、紅蓮の館に新しい命が誕生した。それはジェイクに似た髪色と、シャロンによく似た面差しの女の子……。
疲れ切りながらも笑顔を向けてくれたシャロンに、何度も何度も感謝の言葉を繰り返し、その手から小さな命を受け取る。
なんとも小さくて柔らかくて、それでいて愛しくて仕方がないたしかな命に、心の奥から熱いものが湧き出してくる。
その思いにジェイクの目からぽろりと涙がこぼれた。
「ふふ。ジェイクを泣かせられる女の子が一人増えたわね」
「うん……。愛は、増えるんだな」
そしてそれは、なんと誇らしいことだろう。
「愛してるよ、シャロン。本当に君と出会えて、そして結婚できてよかった。本当に幸せだ」
「私も幸せだし、愛してるわ」
チュッと口づけを交わしてほほえみ合い、そして二人は最愛の娘の頬にも羽のような優しい口づけをした。
Fin
時をかけた騎士と紅蓮の館の白き魔女 相内充希 @mituki_aiuchi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます