第17話 落ち着いて

 突然シャロンから結婚式などと言われたジェイクは混乱した。

 長年の想いが通じたと、天にも昇る思いで口づけを交わしたのもつかの間、まるで姉に叱られているかのようなこの状況は何なのだ?

「あれ? 明日……あさって? あなたの結婚式でしょう⁈ それなのにこんな」


 いやいやをするように首を振り、自分の罪におののくようなシャロンの言葉にハッとする。

「シャロン、しっかりしろ! ぼくは君以外の人と結婚なんてしない」

 シャロンの手を離し、代わりに彼女の肩を掴んで軽くゆする。

 思い出したのか? どちらの過去を?


「ジェイク。だって貴方は」

「うん、ぼくは君が好きだ」

 何かとんでもないことを言われないうちに、事実だけを先に告げておく。言い知れぬ恐怖に、彼女の肩を掴む手に力が入らないよう制御するのに精いっぱいだった。


 思い出してくれたのなら嬉しいが、今告げてくれたはずのカロンの・・・・気持ち・・・を忘れてしまったら?

 カロンの気持ちとシャロンの気持ちが別だったら?

 突然足下が崩れ落ちそうな気持ちになり、必死にあらがう。


「私を好き? そんな、だって」

「泣かないでくれ」

 何かを恐れるかのように零れるシャロンの涙を、ポケットから出したハンカチでぬぐった。

「シャロンを愛してる」

 言い聞かせるようにはっきりと言う。

 頼む、届いてくれ!


 ジェイクの真剣な声に、シャロンの目が自信なさげに揺れるのがつらかった。

「……さまは?」

「えっ?」

「王女様と結婚するのよね? それとも別の女性?」

 シャロンの言っていることの意味が飲み込めず、

「王女ってカロン王女のこと?」

 と聞くとペシッと叩かれてしまった。ジェイクが肩を掴んでいることもあってか、その力がなんとも弱々しくて胸が痛む。


「本当に意味が分からないんだ。シャロン、落ち着いてゆっくり教えてくれ。誰の話をしているんだ?」

「ジェイク以外の誰がいるの」

「うん。でもぼくは、君以外の人と結婚はしないよ?」

 繰り返したそれは求婚にも等しい言葉だったが、ようやく彼女の耳に届いたらしく肩の力が抜けるのが分かった。

「何か思いだした?」


 シャロンの頭をそっと抱き寄せ甘やかすようにささやくと、ジェイクの胸で彼女が小さく頷くのが分かった。

「ジェイク」

 甘えるように背中に手を回してくれたシャロンは、キュッとジェイクを抱きしめ返す。その甘やかな感触に胸が打ち震えていると、彼女がボソッと

「なんだか大きくなってる……」

 と呟いたので噴き出してしまった。


「笑わないで。だって本当に大きくなったじゃない。背だって高くなってるし、胸だってこんな厚くなかった」

「ぼくはもう子どもじゃないからね」

 くっくっと笑いながら、少し拗ねたようなシャロンの頬をつつく。


「君だって、とても綺麗になった。――本当に綺麗だ」

 目を細め感嘆を込めて囁くと、シャロンは真っ赤になって顔を隠すようにジェイクの胸に再び額を付ける。

 ああ、こんなに可愛いシャロンを見られるなんて夢みたいだ。


「ジェイクは、王女様と結婚するんだって思ってたわ。あの新年の鐘の時に口づけを交わしていた方と……」

 シャロンのくぐもった声に思わず目を見開く。

「ごめん、それはもう忘れてくれ。あの時は、振り払うわけにはいかなかっただけなんだ」

「…………」

「君だってコンラッド様と……ね?」

 思い出したくもない光景だが、ただの挨拶だったことを思い出してもらおうと口にすると、シャロンにさっと口づけられた。それは風が触れたような、色気も何もない口づけでキョトンとする。


「あの時ロゼット様から貰った口づけ」

 その意味に気付いてジェイクはどっと落ち込んだ。自分があの時王女と交わしていたものとも、シャロンがしていたとジェイクが思い込んでいたものとも違う、なんとも礼儀正しい魔除けだ。彼女の声に少し責める色が見えるのは、少しは妬いてくれていたのだろうか。

 心から謝罪の言葉を述べると、少し間があった後、彼女が優しく微笑んでくれたのでホッとする。


「噂でね、あなたが王女様と結婚すると聞いていたのよ」

 遠い異国までそんな話が流れていたのかと驚く。

「ちがう。王女殿下の護衛騎士に誘われただけだし、僕は断った」

「そうなの?」

「うん。だって十八になったら君を追いかけるつもりだったからね。そのために僕は自由の身になったんだ。ずっと君に会いたかったんだよ」

「本当に?」

「本当だ。最初はどこにいるのかわからなかったけど、君の状況をミネルバに教えてもらった」

「ミネルバに?」


 驚くシャロンに、彼女の事故の後の話をジェイクが知る限りの範囲で教える。

 ふいに自分がミネルバに連絡を取る手段がないことに気づいたのか、キョロキョロするシャロンに森の中にある紅蓮の館の場所を教えた。夜が明けてきたので、館の屋根が赤く光るのがよく見える。

「あんなにところに……」

 崖と森に阻まれた先を見ながらシャロンが唇をかんだ。

「ぼくがミネルバを呼んでみるよ」

 ジェイクは本を取り出し代わりにミネルバを呼んだが、やはり結界に阻まれているのかミネルバの応答はない。ここから紅蓮の館までの道も、さっき戻ってきたときよりも弱くなっているように見える。

「ミネルバは、その本を通してジェイクに連絡してきたの?」

「そう。でもやっぱりここだとうまくいかないみたいだ。さっきまでぼくは紅蓮の館にいたんだよ」

 ソファーを借りて泊ってきたことを告げると、シャロンは少し驚いたような顔をした。考えてみると、前世と今世をあわせても、ジェイクがあの館に泊まったことはない。

「シャロンがいない時にすまない」

 慌てて謝ると、シャロンは別に構わないと笑った。ミネルバが許したのだから、と。


 ふいにシャロンが「テオドラは……?」と呟いた。

「亡くなったテオドラ姫のことは誰も覚えてないみたいなんだ。シャロンもそうなのか?」

「いえ、そんなまさか。テオドラが死んだ? え? どうして」

 姉が亡くなった記憶がごっそり抜けているらしいシャロンの肩を抱き、その頭に口づけを落とす。

「もう夜が明けてしまった。戻らないと。大丈夫?」

 ハッとしたように顔をあげたシャロンは、一瞬戸惑った様子を見せた後しっかりと頷いた。

 この後はまた、それぞれの立場に戻る。何も解決していないが、これ以上ここにいるわけにはいかない。


「シャロン、今夜会える?」

「今夜?」

「一緒にミネルバの所に行かないか?」

 今の道ではシャロン一人では館まで行くのは難しいだろうが、ジェイクが一緒なら難しくはない。そう説明すると、状況を確認したシャロンは少し考えてから頷いた。


 待ち合わせの時間を決め、そのまま立ち去ろうとする彼女の手を握って一瞬抱きしめる。

「ひとつだけ聞かせて。カロンとシャロンは同じ気持ちなのか?」

 ジェイクに恋をしたと、大好きだと言ってくれたカロン。

 前世か今世、どちらかの記憶を取り戻したものの、混乱している様子のシャロン。

 シャロンがジェイクを愛しているのは分かっているが、それは今も家族に対するものなのかもしれない。カロンはその気持ちを恋だと錯覚したのかもしれない。


 何も答えられない様子のシャロンを解放し、ジェイクは弱々しく微笑んだ。

「ぼくは君を愛してる。――ただ一人の女性として。それだけは覚えていて」

 こくんと頷き、うつむいたまま踵を返したシャロンの耳が赤かったことに少しだけ勇気を得た。

 ――少なくとも、意識はしてもらえたわけだ。


 それでも、一度手に入れたと思ったものが手のひらをすり抜けた空虚さにジェイクは大きく息をついた。彼女の記憶が戻ったところで、事態はまだ何も変わっていない。謎も、身分も……何一つ。


「大丈夫だ。まだあきらめない」

 王女だったカロンはジェイクを受け入れてくれた。それは思ってもいなかった希望につながっているからだ。万が一それが叶わなかったとしても、ジェイクはカロンを絶対に守ると改めて心に誓った。

「たとえぼくの手で幸せにすることが叶わなくても、必ず彼女の幸せを守る!」

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