第15話 この気持ちの正体は
市場からカロンがこっそり帰ると、留守を守ってくれていたエルザから、あったことを根掘り葉掘り聞かれた。晩餐にも出ないほうがいいと提案してくれたのも彼女だ。会った直後に、ジェイクにカロンが王女だとばれたくないとの気持ちを慮ってくれたのである。
エルザは十四歳年が離れているせいか、姉というか、若いお母さんといった雰囲気の女性だ。カロンが三歳のころから侍女として世話をしてくれているという。
「でね、彼にはお慕いしている方がいるみたいよ。振られたみたいだけど、今も諦められないんですって」
彼の想い人はどれほど美しい女性なのだろう――気付くとつい、そんなことを考えてしまう。でも、どうしてこんな気持ちになるのかさっぱり分からない。
うっすら涙目になっているカロンに、エルザは黙ったまま優しい笑みを浮かべた。
「ねえエルザ。王女の姿で彼に会ったらさすがにバレるわよね。きっと騙されたって怒るわよね」
結果的には騙しているわけだから怒られても当然なのだが、彼に嫌われるのは嫌だと思う。軽蔑されたらと考えるだけで居ても立っても居られない。
そうは思っても、宴が終わるまで顔を合わせないなんてありえないだろう。バレるのは時間の問題だ。
「男の人なんて、女の素顔と化粧で化けた顔の区別なんてつきませんよ」
ケロッととんでもないことを言ってのけるエルザに、カロンはクスクス笑った。さすがにそこまで濃い化粧はしたことがないはずだ。
――でも、もしかしたら?
「私が侍女だったら、彼を引き留められたかしら……」
「振った女なんか忘れて私にして、ですか?」
「そこまでは言ってないけど」
「そうですか? そこまで言わないと、宴が終われば帰ってしまって二度と会えませんよ」
「え、それはいや……」
反射的にそう言ってしまい、カロンは真っ赤になった。まもなく十八になる大人なのに、手に入れられるわけのないものを欲しがっている。今の自分はまるで駄々をこねる
ジェイクはどうみても、イズィナ国第三王子の信頼が厚いであろう騎士だ。例えカロンが侍女だったとしても、ここにいてとも、ましてや一緒に連れて行ってとも言えるわけがない。
「前は王女だったらよかったって、言ってませんでしたっけ?」
からかうように口にしたエルザは、自分の発言に「おや?」と首を傾げた。
「すみません、王女でよかった、ですわね」
「ごめんなさい、覚えていないわ」
慌てて言い直すエルザにカロンは苦笑して返す。王女という自覚がないカロンに、王女でよかったと思うことがあったのかもしれないがまるで覚えていない。ましてや王女だったらよかったなどとは、まるで意味が分からない。
「それで、次のデートはいつですか?」
「デ……、ちがうってば、もう。次のことなんて何も約束はしてないわ。どちらにしても、明日も明後日も――私には自由な時間なんてないもの」
明日は昼食を兼ねた懇親会があり、明後日は親善試合もある。そして最終日はカロンの誕生祝と、抜けるわけにはいかない行事の目白押しだ。
親善試合はセパーロという競技が行われる。各国の騎士などの有志者が参加する競技は、藤で編んだ軽いボールをけり上げたり手で打ったりして競うゲームだ。ネイディアで古くから親しまれている競技の一つで、娯楽としてもよく行われている。
剣技ではないのは、今回形の上ではカロンが主催者だからだろう。最も活躍した優秀な選手に祝福を授けることになるため、また豪華に飾り立てられるはずだ。
ジェイクはどちらの会場にもいることだろう。絶対に自分を見るはず。避けることなどできない。
「めちゃくちゃ着飾ったらバレないかしら」
上目づかいでエルザを見ると、彼女は面白そうな顔をして「さあ?」とうそぶいた。
「さあって、ひどい。さっきは区別がつかないって言ってたのに」
半泣きになっているカロンにクスクス笑いながら、エルザは「一般論ですよ」と笑った。
「レイクストン様が、姫様のお顔がすごく好みだったら、分からないじゃないですか?」
「それはないと思う……」
もしそうなら、朝の時点でバレてるはずだ。
「もう、どうしてこんな」
ちょっとしたいたずら心だった。王女ではない一人の女の子として、小さな冒険をしたかっただけだ。
彼とはたった一日一緒にいただけ。それなのに何がこんなに特別なのだろう?
強い
耳の奥で聞こえた――君はぼくのものだ――そんな傲慢なのに優しく甘い声。
ただの幻聴なのに捕らわれてしまった。
そばにいて、隣で笑い合いたい。それが当たり前だとなぜか思う。
「どうせ避けられるなら、バレる前に自分で打ち明けたほうがよさそう」
王女だと距離を取られることと、軽蔑されることなら、せめて嫌われないほうがいい。
「でも姫さま。お姉さま方はみな、恋愛結婚ですよ?」
「聞いたことがあるわ。でもそれは、お父様たちが選んだ人の中から選ばれただけでしょう?」
きっと姉たちは運がいいのだ。
他国に嫁いだ姉王女でさえ、夫婦仲睦まじい。
「今回招かれた王子様たちは、カロン様の結婚相手の候補者ですよ」
エルザの発言にカロンは目が丸くなる。まるで予想もしていなかった。
――結婚? 誰が?
「他国とはいえ、王子に近い位置にいるなら、身分もそれなりだと思うんですけど」
「ちょ、ちょっと待って」
勝手に話を進めていくエルザにあわてて手を振って止める。
「だからって、王子を差し置いてってことはないでしょう。結婚相手の候補って……えぇ?」
「本当に気付いてなかったんですね」
「え、だって、自分のこともよく覚えてないのに、結婚なんて……恋をしたことがあるかどうかも覚えてないのに」
「今まさにしてるじゃないですか」
今、してる? 恋を? 私が?
「誰に?」
「ジェイク・ライクストン様」
フルネームを言われ、顔に血が上る。
「だってそんな、初めて会った方よ?」
「時間なんか関係ないですよ。今の姫様、昨日とは全然顔が違いますよ?」
私も夫に会った時は――と自分のなれそめを語り始めるエルザに、カロンはつい耳が大きくなる。恋愛小説好きで
「お姉さまたちや、エルザたちみたいになれたら素敵でしょうね……」
祖父母の代までは完全な政略結婚だったそうだが、多少なりとも相手が選べるようになったのは、この国に平和な世が続いている証拠だろう。
それでもジェイクは候補者ではなく、その護衛だ。それくらいカロンにもわかる。
「そこがいいんですけどねぇ」
「エルザは恋愛小説の読みすぎよ」
「今度おすすめをお貸ししますよ。騎士と王女の恋物語です。もえますよ!」
「燃える? ――は、よくわからないけど、今度貸してくれる?」
恥ずかしそうに頬を染めるカロンに、エルザは身もだえするようにこぶしを握った。
「今からお持ちしますわ!」
◆
熱を出している設定をいいことにエルザに借りた本を読みふけったカロンは、疲れて早めに就寝したこともあってか、また夜明け前に目が覚めた。
物語は面白かった。
王女と騎士が出会った瞬間に恋に落ち、互いに想い合いながらもすれ違うさまに切なくなり、騎士が竜を退治するところはドキドキした。そんなに長くない話ではあったが、エルザが少女のように夢中になるのも分からなくはない。騎士に王女を諦めさせるために竜退治に行かせた騎士団長にはちょっぴり腹が立ったけど、結果的に文句なしの
「でもこれは、最初から両想いだから成り立つのよ」
王女に自分を重ねてみても、想いが一方的なら意味がない。
それでも自分の気持ちの正体が分かったことにはすっきりした。
またこっそり抜け出して四阿に行くと、そこでジェイクの姿を見つけてドキリとする。約束はしていなかったけれど、なんとなく会えることを期待していた。そうしたら本当に会えた。ついつい頬が緩んでだらしない笑顔になってしまったことに気付いて、カロンはあわててすまし顔を作った。
そっと物陰から観察すると昨日の朝とは違い、彼はどこかに出かけていたような雰囲気で首をかしげる。一晩中眠らずにどこかに行ってたのかしら?
――誰かに会いに行ってたの?
「おはようございます、ライクストン様」
チクリとする胸の痛みを無視してあえて明るく声をかけると、ジェイクは嬉しそうに笑いながら「おはよう」と返してくれる。その笑顔に途端に心臓が早鐘を打ちはじめ、頬に熱を送っているようだ。まだ薄暗いから気付かれないことを願い、カロンはなんでもない顔をした。
他愛もない会話をしているだけで胸が痛くて切なくて、なのに笑顔ひとつで嬉しくて幸せで。でももう、こんな風に話せるのは最後かもしれないから……
――だから、この人に好きな人がいてもいいわ。
どうせ胸が痛むなら後悔しないよう、自分に対しても彼に対しても誠実であろうと心を決めた。
彼の愛する人がどこの誰かは知らないけれど、その方とうまくいくことを願おう。
物語のような幸せは彼のもとに訪れてほしい。
でもせめて、私を嫌いにならないで。
「あの、お話があるんですけど、いいですか?」
昨日の礼をお互い言い合って少し笑った後、カロンは思い切ってそう切り出した。
「改まってどうしたんだい?」
「――私は、あなたに対して、誠実でありたいと思います」
「うん?」
「だから、今話すことを聞いても、できれば変わらなく接してくださいませんか?」
言うつもりのなかった我儘を口にしてしまい、それでも言わなかったことにはできないので開き直る。ジェイクには何のことか分からないだろう。だが「君がそれを望むなら、約束しよう」と、少し硬い声で言ってくれた。
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