第11話 夜明け前に

 夢、それは夢――。


 白いタキシード姿の男に女がぽーっと見とれていると、男は面白そうに笑った。

「どうした? 夢でも見てるような顔になってるぞ」

 からかうような口調に、女は少し口をとがらせる。

「仕方がないじゃない。ドレスアップした男性って、それだけで見惚れる価値があるのよ」

 女の正直な感想に虚を突かれたのか、男は一瞬キョトンとしたあと、とろけそうな笑みを浮かべた。そのまま女の腰に手を回し引き寄せると、じっとその目をのぞき込む。

「それは同じことが言えるな。ドレスアップした女性には見惚れる価値がある。見せびらかして歩きたいと同時に――隠して誰にも見せたくないと思うね」

 男に熱のこもった声に、女は赤くなってうつむいた。


「新婚旅行、楽しみね」

 ドギマギしながら式の後旅立つ先に話題を移すと、男は胸を張ってニヤリと笑った。

「船の出来は完璧だ。きっと驚くぞ」

 男が一から手掛けた船で行く最初の旅。憧れの新天地。


 ――この時は、ただ幸せだった。この人とずっと一緒にいられる。そのことが大切で尊くて。


「――愛してるよ。〇〇〇〇」

「ええ、私も」



 ――生まれ変わっても、きっと私はあなたを見つけるわ。

 たとえあなたが私を忘れても、時や距離が二人を隔てても、私は何度でもあなたを見つけて、きっとまた恋をするわ。絶対に……。

 その時あなたが別の人を選んでいても構わない。

 あなたが生きて幸せならば、それでいいの。あなたが笑顔でいられるならそれだけでいい。それだけでいいのよ、〇〇〇〇……。


   ◆


 ふと目覚めると、外はまだ暗かった。

 カロンは静かに起き上がりながら、自分の頬が涙でぬれていたことに気付く。

 ――どうして泣いてたのかしら……。

 何か夢を見ていたのは覚えているが、内容はきれいに消えてしまった。ただ胸の奥に微かな痛みが残っていた……。悲しいというより、ほんのり甘くて胸が痛む。


 宮殿はまだ眠りの中だ。夜明け前のしんとした空気を乱さぬよう静かに着替えを済ませ、誰にも見つからないようそっと裸足で外へと抜けだした。

 気の向くまま歩き回り庭の一つにでると、徐々に空が明るくなっていく。風に乗って秋の花が甘い香りが漂っていた。


 夕べの宴は、月が高く上る前に退場した。王女が早めに退出するのは問題ないので助かる。

 ぼんやりしていると、ふと人の気配を感じた。周囲を見ると、前方に男が一人散歩と言った風情で歩いているのが見え、カロンはとっさに物陰に隠れた。


 ――あの人、昨日の……。


 ジェイク・ライクストン……といっただろうか。

 最後に応対した客人の護衛で、はじめにカロンのベールに口づけた男性だ。ネイディアの作法をよくわきまえているらしく、その優雅な所作に女官や侍女たちからの評価はすこぶる高かった。


 彼も目が覚めてしまったのだろうか。

 そっと覗いてみると、彼は長い髪は下ろしたまま、シャツも羽織っただけの姿で寛いでいるように見える。宮殿の中では護衛とはいえ武器の携帯は禁止だ。だがシャツからのぞく筋肉だけでも、彼が強い戦士であることは見て取れた。


 ふとカロンに気づいたらしいジェイクが一瞬ハッとした後、少し緊張したような笑みを見せるのがわかった。

「こんな時間にかくれんぼかい? それともぼくが、入ってはいけないところに来てしまったかな」

 のぞき見がばれたことと、うっかり客用のスペースに来てしまった気まずさで、カロンは頬が熱くなる。だが逃げるのもおかしいので渋々木の陰から出た。ドキドキしながら少しだけ歩み寄ると、自分が思っていたよりも彼の背が高いことに気付き、なぜか少しだけ不思議な気がした。


 ジェイクの気楽そうな口調に自分が王女だとはバレていないと確信し、カロンはあえて侍女風に一礼した。今は素顔で着飾ってもいない。夕べ少しだけ会っただけの王女が、こんな早朝に質素な服装でフラフラしてるとは誰も思わないだろう。

 そう思うとカロンは愉快に思い、少し余裕と好奇心が湧き出てきた。彼はこんな時間に何をしてたのだろう?

「いえ。ぼんやりして客人用の庭に迷い込んだのは私の方です。申し訳ございません。騎士様はお散歩ですか?」

 思い切ってそう尋ねると、ジェイクは優しく微笑んで肯定した。


「早く目が覚めてしまってね。せっかくだから日の出を見ようかと思ったんだ。君は? まだ起きるには早いだろう?」

 ――うん、大丈夫。王女だってバレてないわ。

「私も早く目が覚めてしまったんです」

 そう言ってにっこり微笑み合うと、なぜか仲間になったような奇妙な感じがして、どちらからともなくクスクスと笑い合った。ジェイクの笑い声は耳に心地よく、それだけでなんだかウキウキしてくる。いたずらを企んでいるような、何か秘密を共有したような。そんな気持ちになったのが嬉しくて、ふとカロンは日の出を見たいと言ったジェイクを秘密の場所に連れて行きたくなった。

 普段なら、男性と二人になるなんてとんでもないと叱られるところだ。だが今はここには二人だけ。カロンが魔法で呼べば衛兵は駆けつけてくるだろうが、今は王女ではなく普通の女の子だ。秘密の時間を邪魔されたくないと思った。

「騎士様、もしよければ向こうに行ってみませんか? 日の出を見るのにぴったりな、きれいな場所があるんです」


 カロンはそう言うと、つい甥にしているよう自然にジェイクの手を引き、甥とは全然違うその手の大きさにしばし戸惑った。自分の無意識の行動に相手の反応が気になりチラリと彼を見ると、

「どこに連れて行ってくれるの?」

 と楽しそうに目を輝かせているので、カロンはホッとしてそのまま歩き始める。

 迷路になったような低木の間を抜けると、死角にトンネルのような隙間がある。そこを抜けると白い四阿にでた。

「ここです」

 四阿は記憶を失くしたカロンが唯一きちんと覚えていた場所だ。

 小さなころからせっせと手入れをした秘密の場所。そこで会う秘密の友達がいたように思うのだが、その姿はまったく覚えていない。会いに来てくれないということは、もしかしたら空想の友達だったのかもしれないと思い始めていた。


 崖の上に立つ四阿からは、広い森が見下ろせる。森の向こうが随分明るくなってきているので、日の出はもうすぐだ。

「あの森の向こうから朝日が顔を出すんですよ」

 心地のいい風が吹き、ジェイクの髪とシャツが揺れている。柔らかそうな髪だなと思った。

「綺麗だな。――どうしたの、何か気になる?」

 景色に見とれていたジェイクがカロンの視線に気づき、首を傾げた。

「騎士様の御髪おぐしを編んでみたいなぁと考えてました」

 クスクス笑いながら答えると、ジェイクは「ああ」といいながら自分の髪を少しつまんだ。

「……じゃあ、編んでくれるかい?」

 遠慮がちにそういうジェイクに快諾し、カロンはポケットから櫛を取り出す。

 森を見下ろす形で座るジェイクの後ろに回り丁寧に髪をくしけずると、思った通り柔らかくて、いくらでも触っていたいその感触にうっとりした。他愛もない会話をしながら髪を三つに分け、ゆっくり編んでいく。洗髪料の香りだろうか。少しだけ爽やかな香りがする。

「綺麗な髪ですね。羨ましいです」

「そう? 君のほうが綺麗だと思うけど」

 あまり頭を動かさないよう気を付けているのか、目だけをカロンに向けて言うジェイクの声は不思議そうだ。

 カロンの髪は金色で腰まで届く長さながら、よく手入れしてもらっている。でもカロンは彼のこの髪の色がとても好きだと思ったので、曖昧に笑って何も答えなかった。

「はい、できましたよ」

 預かった髪ひもできっちり結んで、終わった合図をする。


「今の時間は涼しいですけど、日が昇ると暑いですからね」

 ネイディアは冬がない国だ。秋とはいえ、夏よりは涼しいといった程度である。髪を下ろしたままだと暑いし、汗で肌に張り付いたりして不快なのだ。

「ああ。秋でも暑いと聞いていたけれど、予想以上で驚いたよ」

 そう言って目玉をぐるっと回しておどけるジェイクの姿に、カロンはクスクス笑う。

「今日は市を巡るといいですよ。各国から様々な店が出てますし、既製服も多いと聞いています。涼しい服をお求めになるといいと思いますわ」

 宴のほとんどは国を挙げての大きな祭りだ。その中で世界中の商人が出店を出したり、貿易の交渉をする。

 客人たちも町を散策したり買い物をすると聞いていたし、カロン付きの侍女たちも客人の案内を兼ね、交代で遊びに行ってもらうことになっていた。


「じゃあ……一緒に行かないか?」

 男の少し硬い声にカロンは瞬きをし、少しうつむいた。

「ごめんなさい。私は町に詳しくないので……」

 記憶を失くす前なら案内できたかもしれないと思うと残念だ。もっとも、王女という身で一人で抜け出せたかどうかは分からないが。

 なぜか脳裏に、彼と手をつないで市をひやかして歩く姿が浮かぶ。二人で歩けばきっと楽しいだろうと思い、なぜか少しだけ悲しくなった。


「そうか。また会いたいと思ったんだけど……」

 はっとして顔をあげると、ジェイクは森の奥を目を細めて見つめている。昇った朝日に照らされた顔にドキリとした。何か考え込むような表情は、笑ってる時とは違い彼を大人に見せている。その心の奥を覗いてみたくなり、カロンはキュッと胸の前でこぶしを握り締めた。


 ――また会いたい? うん、私も会いたい。


 そう思いながら彼の隣に立つと、朝日に照らされた森の奥に赤っぽい屋根が見えた。どんな人が住んでいるんだろう。いつもそんなことを考えている家だ。


 ――ねえ、赤い屋根に住む知らない誰かさん。私は今、素直になってもいいと思う?


 記憶がないことは、自分がしていることが正しいのかどうかわからないということだ。自分の言動ひとつで、傷つけなくて済む誰かを傷つけることがあるから……。でも……。

「私も、また会いたいって思います」

 そう答えたカロンに向けられた笑顔が嬉しくて、カロンも微笑み返す。

 ――今は、この魔法のような時間を少しでも長く過ごしたい。


 朝日が昇ったため、宮殿も町も目覚め始める。このまま魔法が消えるのは嫌だった。彼の前で、ただ一人の女の子でいたいと、ひたすらに強く思った。

 これは期間限定の魔法だ。彼は宴が終われば去る人なのだから……。


「でも案内人としては役に立たないですよ。それでもいいですか?」

「もちろん」

 正午に二人で出かける約束を交わす。これはカロンにとっての冒険だ。


「そういえば、まだ名乗ってなかったね。ぼくはジェイク・ライクストンだ。君は?」

「私は……ブランシュ、です。ライクストン様」

 とっさに名乗った名前は、遠い昔にいたという魔女の名前だ。

「うん、ブランシュ。またあとでね」

「はい」

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