第10話 カロン
「姫様、お茶をお持ちいたしました。どうかされましたか?」
侍女の一人がテーブルに冷たい茶を用意して、カロンに声をかけた。ボンヤリしていたカロンは彼女に心配ないと首を振りテーブルにつく。
茶は爽やかな風味の香り茶だ。青に近い透明な緑色が目にも涼やかで、飲むとスーッとしたのどごしが心地良い。最近のカロンのお気に入りだった。
「姫様、もしまた具合が悪いようでしたらすぐに教えて下さいね」
「大丈夫です、ありがとう」
姫と呼ばれる居心地の悪さを笑顔の下に隠し、カロンは窓の外を眺めながら茶を飲んだ。
半年ほど前ひどい頭痛と共に目覚めると、カロンは見覚えのない部屋にいることに驚いた。自分が誰で、どうしてここにいるのかもわからないのだ。
怯えるカロンに周囲の者たちは驚き、暴走した馬車に乗っていた王太子の息子を
王太子の叔母。つまりカロンは王太子の妹であり、ここネイディア国王の末の娘なのだ。
――まったく覚えてないし、とても自分のことだとは思えないんだけど。
この城で生まれ病弱だったカロンは、三歳から十七歳の誕生日を過ぎるまで、そのほとんどを城の中で過ごしたという。それが奇跡的に健康を回復し、家族で郊外へ遊びに行った時に事故が起こった。何かに驚いて暴走した馬車に共に乗っていた王子が車外に飛び出したところを、カロンが身を挺して守り大怪我をしたのだそうだ。
せっかく健康になったのに危うく命を落とすところだったと、母である王妃に泣かれ、共に馬車に乗っていた王太子妃には、真っ青な顔で謝罪と感謝の言葉を言われた。王太子妃自身もケガを負っていた。
「助けられるものが助け、どちらも命が助かったのですから、それでいいのではないでしょうか」
年上の女性に泣かれることにオロオロしたカロンがそう言うと、まわりからどよめきが起こりさらに怯える。以前からなのか、これがきっかけなのか、カロンの扱いはほぼ女神のようだ。居心地悪いことこの上ない。
記憶はないものの、それは人に関することが殆どのようで、宮殿の中で迷子になることはない。物の名前も分かるし、作法も体が覚えている。
だが常に人が周りにいて、かつ、かしずかれる状態が落ち着かないのは、今までカロンがほとんど病で臥せってたからだろうとのことだった。
事実母や五人もいる姉とカロンは、金色の髪も煙るような青灰色の目もよく似ている。心労でカロン同様伏せることが多かったという王妃は、カロンの回復と共に健康を取り戻したと教えられれば、違和感はそっと自分のうちに隠すしかない。
そうしていたある日、すっかり傷が癒えカロンも落ち着いたであろうということで、先延ばしにされていた宴が改めて開かれることになった。主役であるはずのカロンが知ったのはほんの七日前のことだが、どうりで誕生祝いにしては数多くの新しい晴れ着を作ったり、周りがやたらにぎやかだと思った。
諸外国からも沢山客を招き入れるのは、ネイディアが豊かであると同時に、強い国だからなのだろう。宴の準備のために人々がくるくる働く姿は、不謹慎ながらなかなか目に楽しいものがある。
客らが到着してからの女官たちの話題はもっぱら、カロンをどう美しく飾り立てるかと、どんな殿方が訪れるかの二点だった。年若い乙女が多いので、賓客に付き添う美丈夫の確認に余念がないのだろう。あの国の騎士に素敵な人がいた、いやこちらの国の従僕が麗しかったなど話題が華やかだ。
「なぜかお客様は男性が多いのね」
ふと疑問に思いカロンがそう言うと、周りがどっと笑う。
「いやですわ、姫様のためじゃありませんか」
「私の?」
意味が飲み込めず首をかしげる。周りの女性の華やかな話題はたしかに楽しくはあるが……。
そう思いながら周りを見渡すと、皆の目が何かの期待でキラキラ輝いている。
「わかったわ。麗しい男性のお客様が多いと、皆がきれいになるからってことね!」
ちょうど結婚適齢期の娘も多い。これは新しい恋の話がたくさん生まれるのではないだろうか。
「姫様、半分だけ正解です」
「半分ですか? じゃあ、あとの半分は?」
「それは……自分でお考え下さい」
楽しそうにクスクス笑われたので、カロンはあえてそれ以上追及しなかった。きっと彼女たちにとって楽しいことなのだろう。
◆
宴の一日目は夜会だ。
ほぼ客の紹介になるため、カロンたち王族はクッションを敷き詰めた東屋のような席に座り、ほぼ動くことはない。次々にあいさつに来る客に笑顔を返し、あとはその客らがおいしく料理を食べているか、つまらなそうにしてないか気を配るくらいだ。
国内外からは男性客が多いが国内からは女性の客が多く、文化の違う衣装が入り乱れ、まるで花園のようだとカロンはほおっと息をつく。
外に浮かぶ月が見えるころ、最後の客であるイズィナ国の第三王子の一団が、挨拶と祝いの言葉を述べにやってきた。
王子の年の頃はカロンと同じくらいだろうか。
利発そうな明るい茶色の目がキラキラとした王子の登場に、カロンの後ろに控える女官たちが小さく悲鳴を上げるのが聞こえ、カロンは思わずにっこりした。噂話を思い返すに、この王子はうちの女性陣からは一番の人気者らしい。
――最後のお客様だし、少し長めに引き留めましょうか。
女官らが喜ぶよう、カロンは立ち上がって彼らのそばまで数歩歩いた。
カロンの衣装は、彼らと一緒にいる女性達のものとは形がずいぶん違う。イズィナのような海の向こうの国のドレスは、上半身は体にぴたりとしながら、スカートは花のように大きく広がる形が主流だ。だがカロンのドレスは、薄い花びらのような布を幾重にも重ねてあり、歩くたびに腰まわりの飾りがシャラシャラと音を立て、スカートからは足がちらりちらりと覗く。ティアラで留めたベールは膝まで届くのは王女だからだが、それ以外はこちらの国ではごく普通のドレスだ。だが王子たちの頬が赤く染まったのを見てカロンは首を傾げた。見慣れないドレスに戸惑っているのだろうか。でもこの国の女性のドレスはみな似たり寄ったりなのだが……。
「遥々、ようこそいらっしゃいました」
優雅に座りなおし笑顔でそう告げ、王子たち一団に顔をあげるように促す。
ベールを直してくれた女官の頬も染まっていて嬉しそうなので、カロンはこのまま少し話でもしようかと客人らに飲み物を勧めた。
普段は椅子の文化である客人らは、クッションに座るのが少し落ち着かな気だったが、女官らが気を配り飲み物を口にする頃には皆に笑顔が浮かんでいた。
全員が寛げているか全体を見回したとき、王子のすぐ後ろに控えていた男と目が合う。やはり年のころはカロンと同じくらいか。今まで影のように王子の後ろに控えていた男はカロンと目が合ったまま、時が止まったような錯覚を起こした。
月夜のような青味のかかった黒髪、晴れた日の海のような青い目。引き結ばれたその口元に、ほんの少しだけ笑みが浮かぶ。
その瞬間吸い込まれそうな感覚に襲われ、カロンの胸の内がクラッとゆれた。まだ声も聞いていないというのに、何かささやかれたような錯覚を起こす。
――誰?
声には出してないはずなのに第三王子が彼に何か耳打ちすると、男はスッと立ち上がってカロンのそばに跪いた。そしてカロンのベールの裾を手に取りそこに口づけると、まるでからめとるような目でまっすぐな視線を向けてくる。
「第三王子護衛、ジェイク・ライクストンです。カロン姫。どうぞお見知りおきを」
「はい……」
カラカラになった喉をこくりとならし、カロンはどうにか返事をした。
彼のカロンの呼び方は少し独特の訛りがあり、カロンではなく「シャロン」と呼ばれたような気がする。
その声に早くなった自分の脈と、不意に涙が出そうになったことに戸惑い、カロンは視線をさまよわせた。
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