第7話 春を寿ぐ宴

 従僕の少年にシャロンが案内されたのは、半地下になっている大広間だった。

 往診に何度も訪れた城だが、初めて入る場所である。

 階段上から見下ろす六角形の大広間の壁には、厚手の幾何学模様が美しいタペストリーが何枚も掛けてある。天井近くにはやはり何枚もの鏡が貼ってあり、シャンデリアの光を反射している。広間にはすでに美しい装いの男女が何人か歓談していて、その美しい光景にしばし見惚れた。


 そこにジェイクが大股に歩いてきた。

「シャロン、よく来たね。――とても綺麗だ」

 目を細めて褒められ、シャロンは頬が熱くなる。

 ドレスは持っててもめったに着ないので、おかしくないかとても心配だった。髪も何度も編み直してミネルバに呆れられたものだ。

 でもジェイクの言葉でほっと肩の力が抜け、シャロンはにっこり微笑んだ。

「ジェイクもとても素敵。大人っぽく見えるわ」

 準正装らしいその姿は、ジェイクを凛々しく男らしく見せた。

 いつもの少しやんちゃな姿とは違って、うっとりするくらいの男ぶりである。

「ありがとう。じゃあお嬢さん、お手をどうぞ」


 ジェイクに手を差し出され、シャロンはドキドキしながらその手を取った。一緒に階段を下りながらも、つい横目でチラチラと彼を見てしまう。

「ちゃんと足元を見てないと危ないよ」

 ジェイクに注意され、慌てて足元を見るが、盗み見していたのがばれていたことに頬が熱くなった。

 いつもと違う服装、雰囲気にどうにもどぎまぎしてしまう。

 ジェイクは少し背が伸びたのだろうか。前より視線が上になっていることにふと気づいたシャロンは、広間に降りるとジェイクの身長を目測した。

「なに?」

 ジェイクは怪訝そうな顔をしたが、やはり彼はシャロンより少し背が高くなっている。鍛えてるため広くなった肩幅は、準正装のせいかより彼の男らしさを強調しているようだ。


 ――いやだ、どうしよう。顔を見るのが恥ずかしくなってきたわ。


 ジェイクの口元に甘い微笑みが浮かび、シャロンは思わず俯いてしまう。大広間の暖房が利きすぎているのだろうか。体中がカッと熱くなって、外の風に当たりたいくらいだ。


「えっと。ジェイク、背が伸びたなぁと思って……」

 どうにかそれだけ言うと、彼は「うん」と頷く。

「これからもっと伸びるよ」

 シャロンは目をあげて、背が高くなったジェイクを想像した。彼は周りの正騎士のように立派になることだろう。クロウのように素晴らしい騎士になるのは間違いないように思え、急に彼が遠い人になった気がした。甘やかになった視線が居心地悪い。

「どうしたの? 寂しそうな顔になってる」

「ううん、なんでもない」




 シアとクロウの結婚式は厳かで素晴らしかった。侍女たちが頑張ったのだろう。白いリボンを花のように髪に編み込んだシアは本当に女神のように光り輝いていて、騎士正装黒衣のクロウと並ぶと息を呑むほど美しかった。

 その後みんなでダンスを踊り、振る舞われたご馳走を堪能する。

 まわりから魔女からも祝福をもらえないかとふられたので、シャロンは幻の花吹雪を部屋に散らした。それは手に触れることのできない光の花だが、幻想的な花吹雪が止むと、大喝采が起こった。


 その後クロウがシアを伴ってシャロンのそばにやってきた。

「魔女シャロンに感謝を示しても宜しいだろうか」

 その意味がよくわからないままシャロンが頷くと、クロウはシャロンの手を取り爪の先に口づけを落とす。その後シアがその手を同じように掲げ、自分の額につけた。

「あなたに幸福が訪れますように」

 二人にそう言われ、心の中がくすぐったくなる。シャロンの素の姿のままなのにとても大人扱いされた気持ちだった。

「お二人にも、幸福がたくさん訪れますように」




 結婚式には王族も参列していた。

 クロウのために正騎士が何人かと、王の末の妹が王の代理として祝いに駆けつけたのだ。

 おかけで領主の緊張と興奮はすごいものだったらしく、酒を飲みすぎたのか早々の退場になってしまった。

「普段はそんなに弱くはないんですよ」

 介抱したほうがいいだろうかと心配するシャロンに、そばにいた従僕が心配いらないと首をふる。領主はすぐに赤くなるが酒に弱くはないそうだ。小一時間も休めば元気に戻ってくるのだと。

「今日は、よほど嬉しかったのでしょう。あなたも来てくれましたしね」


 その優しい言葉に、シャロンは微笑んだ。

 この土地の人間は、自分にとても優しい。

 初代の白き魔女がどんな人物かは知らないが、シャロンは彼女にとても感謝していた。大人になったら、ミネルバは彼女のことを教えてくれるだろうか?



 宴会は深夜まで続く。

 大人たちはゲームに興じたり、酒を飲み続け大きな声で話したりしていた。ジェイクは次々に大人につかまっては、ゲームや話の相手をさせられていたが、如才なく対応する姿にシャロンは感心していた。本当に彼は、自分よりずっと大人なのかもしれない、と。

 紅蓮の館にいるときと全然違う姿に、頼もしいような寂しいような気持ちになる。せっかく楽しみにしていた宴なのに、ジェイクとはあまり話もできてないのだから。

 シャロンのほうも次々に声をかけられるが、寂しいものは寂しいのだ。


 人が途切れたときにそっとバルコニーに抜け出すと、満点の星空が広がっていた。澄んだ空気に吐く息が白い。

「私とも、もう少し遊んでくれてもいいのにね?」

 誰もいないのをいいことに、ちょっとだけ愚痴る。彼は領主の息子であり、次期領主妻の弟という立場だ。シャロンの中の大人の部分が、ただ遊びに来たシャロンとは違うのとたしなめる。だがそれはわかってはいるものの、つまらないと思うものは仕方がない。ジェイクはシャロンにとって、ミネルバ同様家族なのだから。


 温かい息が手のひらにあたり驚くと、いつの間にかデュランがそばに来ていてシャロンは歓喜した。

「まあ、デュラン! 来てくれたの? 嬉しいわ」

 彼の首に抱きつき顔をうずめると、その暖かさに癒やされる。

「もうすぐ貴方ともしばらくお別れね。さみしいわ」

 シャロンの言葉に、デュランは珍しく甘えるような声を出した。


 素直に体温を確かめ合う唯一の存在と離れ離れになるのは、想像していたよりもつらい。今回は一か月などの期間限定ではないのだから。

「大好きよ、デュラン。私のことを忘れないでね」

 デュランは城に残らず、ジェイクと共に行くことが許されているそうだ。

「羨ましいな」

 ぽつりとつぶやくと「何が羨ましいんだい?」とハスキーな声が降ってきた。

 驚いて顔をあげると、いつのまにか正騎士の一人がそばに立っている。彼は面白そうに目を細め、「なんでもないです」と、慌てて立ち上がろうとするシャロンに手を貸してくれた。

「ありがとう存じます」

 礼儀正しく淑女の礼をすると、騎士は驚いたように一瞬目を見開き、柔らかく微笑む。

「白き魔女は仕草も洗練されてるのだね」

「いえ、とんでもないです。それに私のことは白き魔女ではなく、シャロンとお呼びください、騎士様」

「騎士様じゃないよ。コンラッド・ロゼットだ。じゃあ私のことはコンラッドと呼んでくれるかい、シャロン?」

 気安い騎士の言葉に、今度はシャロンのほうが目を丸くした。

 十四歳とはいえ、貴族なら嫁いでもおかしくない年齢だ。初対面の高貴な男性が自分を名前て呼べなどとは、求愛も同然の行為。さすがに戯れが過ぎるだろう。ロマンス小説のような展開に思わず口ごもっても仕方あるまい。

 だが、シャロンの奥から大人の記憶の片鱗が勝手にこぼれ、あでやかな笑みが浮かんだ。

「ただの庶民に向かってお戯れが過ぎますわ、ロゼット様」

 そしてもう一度丁寧に礼をし大広間に戻ると、一瞬呆けいていたコンラッドが後を追ってきてシャロンの手を掴んだ。


「すまない。からかったつもりはなかったんだ。許してくれ」

 その焦った顔が意外過ぎ、シャロンは思わず少し噴出した。と同時に、自分の倍は年がいってるような男性に謝らせてしまって申し訳なく思う。

「許します。なので顔をお上げになってくださいませ」

 シャロンの手を握りながら顔をあげたコンラッドは、そのままホッとした表情を見せた。

 その時、外から新年を告げる鐘の音が響き渡る。

「年が明けましたね」


 ふと大広間を見ると、ジェイクと、彼の首に腕を絡めるようにした美しい令嬢が口づけを交わしていた。周りを見ると、おめでとうの言葉と共に口づけが交わされているのが目に入り、シャロンは少し頬を染める。

 たしか新年の鐘が鳴っている間、隣にいる異性に魔除けに口づけをする習慣があったことを思い出したのだ。いつもは異性とは言えないが、ミネルバにキスのまねをしているのだが……。


「シャロン? 私も君に口づけてもいいかい?」

 礼儀正しく尋ねるコンラッドを見、大広間にいるジェイクを一瞬横目で見る。彼はまだ口づけを交わしている最中だ。

「えっと、はい」

 蚊の鳴くような小さな声で了承すると、コンラッドはシャロンの腰に腕を回して引き寄せる。少し考えるような間があった後、彼は二度、羽根が撫でるような無害なキスをした。

「大いなる女神メレディアの加護がありますように」

「あなたにも」

 礼儀正しく新年のあいさつを交わして微笑み合うと、後ろから「シャロン!」と怒鳴りつけるような声がした。驚いてコンラッドから離れると、ジェイクが真っ赤な顔をしている。


 何か悪態をついているジェイクにグイっと腕を引かれ、思わずよろけた。

「どうしたの、ジェイク」

「――っ! 帰れ」

「えっ?」

 食いしばった歯の隙間から、絞り出すような言葉が理解できず思わず聞き返すと、彼はもう一度低い声で「帰るんだ」と言った。

 シャロンは戸惑い泣きたくなったが、ジェイクから離れ一礼し足早に踵を返した。その奥から可愛らしい声が彼を呼ぶ声が聞こえたが、心の中で耳をふさいだ。


 ――私、何か粗相をしたんだわ。


 彼があんなに怒る姿を初めて見た。つかみ合いになるほどのけんかをした時だって、あんなに怖くはなかったのに。


 コンラッドが追いかけてきて送ると申し出てくれたが、シャロンは首を振って断った。

「私は魔女ですから、一人でも大丈夫です」

 そう、一人でも大丈夫……。

 だから早く館に帰ってベッドに飛び込まないと、涙がこぼれそうだった。

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