第23話 あそぼ

 昌太郎さんが小学校一年生の頃、家の近所に綺麗な花壇を作っている家があった。


 幼い彼は、そこに置かれている陶器のウサギが何となく気になって、通りすがりによくその花壇を眺めていた。


 ある日の帰り道、昌太郎さんがひとりで通学路を歩いていると、いつものように花壇のある家に差し掛かった。チョッキを着たウサギの置物は今日も健在である。それに視線を落としたとき、


「あそぼ」


 と声がした。


 昌太郎さんは立ち止まって辺りを見渡した。人の姿はなかった。


 視線を元に戻してみると、また声がした。


「あそぼ」


 子供のような高い声だった。もしも目の前のウサギが喋ったら、こんな声かもしれない。ふとそんなことを考えると、本当にそのウサギがしゃべったような気がし始めて、昌太郎さんはそこから動けなくなった。


「あそぼ。あそぼ。あそぼ」


 声はなおも畳み掛ける。陶器のウサギは、当然つんと口を閉じたままだが、昌太郎さんはウサギの顔をなおもじっと見つめた。


 突然、左腕をぐっと引っ張られた。


「知らない人とは遊んじゃいけないので」


 聞き慣れた声がした。3歳上の、彼のお姉さんだった。


 彼女は弟の腕を掴み、思いきり顔を下に向けていた。まるで、自分の足元に向かって語りかけているようだった。


「ほら、昌ちゃん。行こ」


 お姉さんは昌太郎さんの腕をひっつかんだまま、引きずるようにその場を後にした。


 声はもう聞こえなくなっていた。




「姉ちゃん、さっきの声、ウサギかなぁ」


 角をいくつか曲がった辺りで、昌太郎さんは声をかけた。お姉さんは怖い顔をして、彼をきっと睨んだ。


「何言ってんの? あの女の人、気づかなかったの?」


 彼女の話によれば、花壇を覗いている昌太郎さんのすぐ後ろに、真っ赤なワンピースを着た女が立っていたらしい。異様に細長い体型で、昌太郎さんの背中の後ろあたりに、骨の突き出た膝小僧があったという。


 女は傘の持ち手のように背骨を曲げ、昌太郎さんの顔を覗き込むようにしていた。その口が動いて「あそぼ」と繰り返していた。


 弟を助けたいけれど、間近であの顔を見たくない。だから思いっきり下を向いていたのだそうだ。


「マンガみたいにおっきな目してたんだよ。顔の半分くらいあったの。怖かった……昌ちゃん、ほんとに見なかったの?」


 お姉さんはそう言って、急に真っ青な顔になり、口をつぐんでしまった。




 ウサギの置物は、ほどなくして陶器の小人に変わった。


 昌太郎さんが再び、そこで例の声を聞くことはなかった。

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