異世界生活を心の底から満喫する
家島
第1話 空を飛んだ
気持ちが時間に縛られない生活をしている。ハヤオは、転移した初めは地球に未練があって、フケが舞うほど頭をかいていたが、時間が経って忘れていき、今は生活を満喫しているらしい。
彼は今、商店街を疾走している。両手には八百屋で盗んだリンゴがある。後ろには、険しい顔で、腹からの、走りながらでも通る大声を上げながら追いかけてくるオジサン。他の人の視線が、彼とオジサンを磁石にして、方位磁針のように動いている。
彼から見て、オジサンはだんだん離れていった。角を曲がり、ついにオジサンを撒いた。後ろにオジサンがいないのを確認して、ゆっくり歩き始めた。
あまり人目にかからぬように、そっと路地裏に入っていった。
ハヤオは、ある建物の3階の一室が空いていたので、無断で利用している。この建物は物置としてのみ利用されているようで、都合がいいそうだ。窓を開けると、風が汗で湿った体が冷える。汗で濡れた衣服をすべて脱ぎ、日の当たる方に干した。湿った全裸をタオルで乾かして、ふわふわの布に飛び込む。腰のあたりに床の金具を少し感じたようだが、一瞬の我慢で済んだ。
部屋の物はすべて盗んできたもの。天井に吊るされている明るいランプは、隣の建物から。本棚も、隣の建物から。本棚の本は、すべて図書館の物。文字が分かるまで読めないが。食料は2日に1回、栄養バランスを考えて盗んでくる。彼の故郷の政治のように場当たり的なことはしない。
盗みで成り立っている生活だが、最低限の健康を保っている。この街にも医療機関のようなものがある。利用するのに、お金や身分証などは必要ないようで、定期的に通っている。栄養はバランスよく摂取しているし、盗むときに運動しているし、労働はしていないから好きなだけ休める。
ハヤオは両手に石鹸を持って、広い通りを疾走している。後ろには、眼鏡に水滴が垂れるほどの大汗をかきながら追いかけてくるオバサンがいる。彼は後ろにその姿を認めたのは、ほんの少しの間で、直線コースで撒いた。
家に戻り、全裸になり、汗にびっしょり濡れた衣服を窓のところに干した。日差しが強く、また長い距離を移動したので、いつもより重たかった。服が窓の外へ落ちるのを気に留めず、布に飛び込んだ。全身に気持ちよさそうに風を浴びながら、睡眠に入った。
ハヤオは、日が暮れるころに吹いた強い風で、壁に立て掛けてあった木の板がバタンと倒れる音に起こされる。窓の外は赤っぽいオレンジ色の夕焼けだった。彼は、一発大きなくしゃみをする。
下に落ちた洗濯物を拾い、床に投げた。良く乾いている部分と、あまり乾いていない部分がはっきりしていた。部屋のランプを点け、火を起こし湯を沸かす。窓際に安楽椅子を寄せ、弱くなっている生温い風を顔で受け止め、その風で椅子を揺らそうとしたが、結局彼自身で自分の重心を移動させた。
ヤカンが湯気を出し始めたのを見、コーヒーのような飲み物(以下、異世界コーヒー)の粉を入れたコップに湯を注いだ。再び椅子に座り、大げさに背もたれにすかり、大げさに足を組み、窓の外の太陽の沈みかけた空を見ながら、大げさに少量の異世界コーヒーを飲んだ。
しばらくして足が痺れてきたので、足を組むのを解除し、腰を上げ、椅子に座りなおした。明日の献立を考えつつ、異世界コーヒーを飲みつつを繰り返しているうちに、空は黒くなり、異世界コーヒーは冷めた。残りを一気に飲み、コップを軽く水で流して干した。
この世界の文字を習得するにはどうすればいいかを考えているうちに、睡魔が襲ってきた。彼は寝まいと思ったのか、服を着て外へ散歩に出かけた。
街路灯が遠くの方まで一列に続いていた。建物の窓からこぼれる光で、通りには濃淡があった。ある光の濃のところに、頻繁に通うカフェがある。
「いらっしゃい、ハヤオ」
ハヤオは軽く手をあげ、壁際のカウンターの一席に座った。
店内には、ハヤオのような孤独な人たちが点々といる。ドラム缶の酒の方がイメージが合う半獣のオジサンや、箒に乗って飛んでいそうな魔法使いの女の子、何とも言えない人面の鳥など。
「チーズケーキ」
ハヤオがそう言うと、店のオジサンがすぐに持ってきた。
「ハヤオ、うまくやっているか」
半獣のオジサンがハヤオに言った。彼は、ハヤオの壁の向かいの壁のカウンターに座っている。
「ああ」
「ならいい」
ハヤオは、勘定を終えて店を出ようとしたとき、肩をつつかれるように感じた。
「今夜は乗せていくよ。暇だから」
人面の鳥が言った。
「ありがとう」
ハヤオは、上から街を見ると、案外大きいなと思った。さらに高いところへ行くと、小さいなと思った。
「暇なら、もうちょっと乗っていたい」
右に行ってくれとか、ちょっと高さを落としてくれとか細かい指示を聞いてくれた。この空の旅は、彼にとって以外にも感動的だった。
家に着くと、すぐにぐっすり眠れた。夢でもう一度、空を旅した。
翌朝は、低い太陽の日差しに起こされた。南の景色が開けているのは良いと思った。窓際に立ち、視線を下から上へシフトすると、川の橋の茶色、川の砂利の灰色、川の向こうの林の緑、空の青、とすぐには何と例えられない色の並び。最後に、低い位置の太陽を見てしまい、目を閉じ、床を見つめ、黒。
その日は川で洗濯をした後、ずっと昨日の空の旅の余韻に浸っていた。
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