番外編 人魚姫の筋肉談義




 宴もひと段落、地上からの客人は部屋に下がり、十分に酒の回ったメル=ラ・メルの人魚達はめいめい好きな料理を少しずつつまんだり、気の合う友人と語り合ったりと、落ち着いて夜半の時間を楽しみ始めていた。最初からこうであれば客人ももう少し楽しめたのだろうが、そのあたりになかなか気づけないのがこの一族の少し間抜けなところなのである。


 そんな広間の片隅では、三人の人魚の乙女達がサンゴ礁の肘掛けにしなだれかかり、海水と真珠で仕込んだとっておきの酒を片手にさざめき笑って、実にはしたない噂話に興じていた。つまり、陸から訪れた客人の身体つきが彼女らにとって魅力的かどうか、熱く語り合っていたのである。左から赤鱗のアルヴァラ、青緑のアラディア、橙のシルディア──皆ヴァーラこと面倒くさがりなシルヴァラの姉達であり、即ちこの海の国の王女達であった。人間の王女であれば姫君として品性に欠け過ぎていると教師に厳しく叱られるところであるが、まあ人魚なのでこんなものである。


「ねえ、シダルをどう思う?」

 アラディアが少し声をひそめ、秘密めかして楽しげに言う。彼女にとって特に隠しておきたい話題でもないのだが、乙女達の噂話は大抵こうして始まるのだ。


「シダルって?」

 シルディアが首を傾げた。どうやら客人の名前までは未だ把握していないらしい。


「あの、地上から来た青鱗よ。素敵じゃない?」とアラディア。

「そうね。ここ最近特に、見目ばかり気にして馬鹿みたいに深く割ろうとする男ばっかりじゃない? その点ガジュ兄様は徹底して戦うための鍛え方してるから、断然素敵って思ってたけど……あの子も結構いいと思う」


 べったりなお兄ちゃんっ子で他には目もくれないアルヴァラが、珍しく他所の男を褒めた。とはいえ兄を超えるほどでもなかったのか「でも番にしたいほどじゃないわ。赤鱗じゃないし」と付け加える。呆れたシルディアが「この子、こんなんじゃいつまで経っても相手ができないわよ」と長女のアラディアに言う。が、当のアラディアは客人の姿を思い出しながらすっかり陶然としていて聞いていなかったので、仕方なくそちらの話を振ってやった。


「兄様は肩と胸板が特に素敵だけど、あの青鱗は後ろ姿がいいわね」

「そう。首筋から背中にかけての、一見細身だけど堅く締まっててちゃんとたくましい感じ……無骨過ぎないのがすごく色っぽいのよ」


 ほう、とため息をついてアラディアが言った。彼女は姉妹の中でも恋多き姫で、こうしてよく色々な男に惚れてはちょっかいをかけているのだが、今回は特別精悍な青年だからか、うっとり具合がいつもと段違いだ。


「上着を着てるのがもったいないわ……脱がせたい」

 森の塔の賢者様が聞いたら卒倒しそうな台詞だが、人魚達は止まらない。

「鍛錬の後とか、邪魔になって脱がないかしら」


 シルディアも真剣な顔で呟く。しかしこのままでは各自妄想に耽るばかりで盛り上がらないと考えたアルヴァラが、少し拗ねたように姉達の肩に触れて話を広げた。

「ねえ、それはもういいから……他の子はどう? 私、緑鱗の子は、まあ兄様には遠く及ばないけど、比較的将来有望なんじゃないかと思うわよ」


「うーん……子供にしてもちょっと細過ぎない?」

 アラディアが首を傾げる。するとアルヴァラが「わかってないのね」という感じに眉を上げた。


「あら、小さな頃にあんまり鍛えると大きくなってから全身の均衡が崩れるわよ。それに彼、筋肉の質はいいわ」

「私もそれはちょっと感じてた。目立つ力強さはないけど、動きが綺麗なのよね。ちゃんと鍛えたら伸びるわよ」とシルディア。

「鱗も綺麗だしね」

「すごくキラキラして、宝石みたいよね。私は青派だけど、緑もいいかもって思っちゃった」

「あなた、自分が緑なの忘れてない? でも私は背中の君の空色の方が好きだわ」

「シル、緑じゃなくて青緑よ。そこちゃんと区別して。……あの爽やかな明るい空色で、身体つきは艶やかなのが堪んないのよね。なんとかして誘えないかしら」

「彼、さっき宴の合間に隅の方で兄様と二人で銛の試し振りしてて、それ見ながら何人かふらついてたわ。確かに眼福だった」

「えっ、いいなぁ。私も見たかった」


 きゃあきゃあと盛り上がって、話は更に他の旅人達へと及ぶ。彼女達の価値観で異性として魅力的な男はもういなかったが、しかし乙女は他者を酷評するのもまた大好きなのである。


「じゃあ、あの灰鱗は?」

「黒髪の? 私はパス」

「私もあれは無理」

 散々な言われようである。


「背筋はピシッとしてて綺麗なんだけどね」

「胸板は薄いし、腰も細過ぎるし、肩が貧弱過ぎて首が細長く見えるわ。尾の振りは力強さの片鱗もないし、泳ぎも下手くそ」


「ちょっと、言い過ぎよ!」

 アラディアがアルヴァラを小突くが、顔は笑っている。


「ふふっ、だって」

「まあ実際、鱗も地味だし……時々奥の方に黒い色がもやもやするのが怖いわ」

「え、何それ……」ぞっとした顔をするシルディア。

「お酒も弱かったわね」と先程の様子を思い出すアラディア。


「いいとこ無いじゃない」

「あら、声は朗々としてて素敵よ。ずーっと押し殺したみたいな吐息混じりで喋るから台無しだけど。ちゃんと声張ればいいのに」

「大声出すとあの氷鱗ちゃんが怖がるんですって。それでじゃない?」


 そこで三人は冷たそうな氷色の鱗をしたエルフを思い出し、難しい顔で首を捻った。


「あの子はねえ……へんてこよねえ」

「凄く細いんだけど、なんか見惚れちゃう。でも番いたいって感じじゃないわ。そもそも男かどうかもよくわかんない」

「胸が無いんだから男じゃないの?」

「あの子、月夜のクラゲが綺麗な感じに似てない?」

「うん、そうかも。あれはなんだか……人魚じゃなくて、海の精霊か何かなのよ、きっと」

「泳ぎができないのがほんとに残念よね……彼、いっそ動かない方がいいと私思うんだけど」

「確かに、あのくねり具合は無様過ぎるわよね」

「海藻と草と果物しか食べないんですって」

「弱々しすぎないかしら……」

「弱々しいといえばアディあなた、あの茶色い瀕死の子をやけに構ってたじゃない。気に入ったの?」


 アルヴァラが尋ねると、アラディアは悲しげな顔になって首を振った。

「……あの子を見てると、怖いのよ。今にも死ぬんじゃないかって……それしか考えられなくなって、少しでも元気にしなきゃって、ごはんあげちゃうの」


「あらら、確かに心配になるわよね」

「腕は波に洗われた流木みたいだし、尾が細すぎて見てるだけで背筋が寒くなるわ。肌も青白いし、あの細い首……あれはもうほとんど折れてる。賭けてもいい、大きな波が来たらポキンといくわよ」

「流石にそこまでじゃないでしょ……でも彼、泳ぎは綺麗よね」

「確かに、全然強そうじゃないんだけど、優雅な感じがするわ」


「あの体で思うまま動けるように努力を重ねたんだろうなと思うと……泣けてこない?」

 アラディアがふるふると震えながら言うと、シルヴァラも胸を押さえた。

「……努力で、勝ち取ったのね」

「鱗の色はとても綺麗なのよ。琥珀色の向こうに淡い水の色が煌めいていて……あんな綺麗な鱗の子を死なせたくないわ」


 アラディアがそう言うと姉妹は酒のせいもあってか揃って泣き出し、どうしたのかと様子を見にきたガジュラの周りに集まって「兄様、あの子を死なせないで」と尾を震わせながらめそめそした。すると彼が「案ずるな、私に任せておけ。既に医師を手配してあるし、彼の晩餐は特別栄養価の高いものを用意させた」と胸を叩いたので、姫達は改めて、やはりこの兄が一番頼り甲斐があって格好良いと感動したのだった。




(第二部「使命」より)





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