二 スタグバラード



「ああ、ちょっと待って! 僕は、というか魔族は君の敵じゃないから殺さないでよ! どうか剣を──あ、もうしまってるか」

「うん」


 慌てた、というよりもをしている調子で魔族が言った。勇者が大人しく頷くと、彼は微妙な顔をして「あれ? もしかして僕、盛大にスベった?」と呟いている。


「どこも滑ってないけど」

「あ、そう?」

「おう、ちゃんと立ってる」

「ん? 意味わかってる?」

「うん?」


 顔を見合わせてしばし無言で見つめ合う。濃い金色の瞳がぱちくりとしているが、フラノやハイロ達を含め今までに見たどんな金色の目とも違って、溶かした黄金が内側で緩やかに渦を巻いて流れるような、実に不思議な輝き方をしている。


「お前の──」

「──ねえ君、すごく綺麗な目をしているね……他の何でもない、紛れもない、晴れた空の色だ。もう三百年は見ていない、一点の陰りもなく澄んだ青空の色……」

「え、いや……」


 勇者の言葉を遮って身を乗り出した魔族が一瞬、愛や希望が枯渇してガラス玉のようになった異端審問官達とすごく似た目をして、吸い寄せられるように背伸びをして勇者の肩に手を掛けた。今までに向けられたことのない渇望の視線が少し怖くなって一歩後ずさると、彼はハッと我に返ったように目を見開いて手を離す。


「ごめん……何か言いかけてたよね?」

「……お前の目も、不思議な色合いで綺麗だなって言おうとしてた」


 引いた足を戻しながら言うと、ほっそりした灰色の彼は面食らったように目を丸くした。

「そうかな? 自分ではわからないけど。僕らの目は渦の色だね……そこの黒い、ええと……背の高い彼と同じで、魔力の色が見えてるんだよ。ねえ君、なんていう種族?」

 至極気楽な様子で賢者に尋ねた。またかというか案の定というか、少し予想できていた質問だ。吟遊詩人が背中へ手を回して翅をぎゅっと掴むのが見える。


「……夜の木陰に、佇む」

 賢者が表情の抜け落ちた顔でぼそりと言った。とうとう自分のことを人間ではない生き物として認識し始めている彼に、勇者が唇を噛んで肩の震えを我慢していると、魔族が「ああ、なるほどね……影の仲間か」と頷く。すると困惑した影色の瞳がぞっとするほど深く色を濃くして、フェアリが少し仰け反り、エルフがポッと頬を染めた。そんな正反対の反応を面白そうに見比べていた灰色の妖精は、特に大きな反応も見せずに明るく賢者に話しかける。


「人を仲間にしてるなら、もしかして名前があるかな? 僕はドルバーディア」

 賢者が深い目のまま「……レフルス」と答える。

「へえ、エルフ語なんだ。かわいい」


 彼がにこっとした顔をそのまま催促するようにこちらへ向けたので、勇者も名乗る。

「俺はシダルだ。そこのフェアリがルシナルで、エルフがルーウェン、茶髪の人間がロサラス。よろしくな、ドルバーディア……長いからドルバァでいいか?」


 しかし勇者が仲間達を紹介しつつ尋ねると、ドルバーディアはなぜか少し正気を疑うような顔をした。

「ドルバァって……君、ちょっと愛称の趣味悪くない? ルディって呼んでよ」

「ルディ」

 なるほど、そういう呼び方も悪くはないと思った勇者が重々しく頷くと、ルディは少し胡散臭そうな顔になって「ほんとに変わってるよね、君……ううん、シダル」と言った。


「本当に、何もかもが変だよ。果ての地にいるのに渦持ちの君以外の仲間達が誰一人淀みに侵されてないし、敵じゃないと言っても当たり前みたいにしてるし、もさもさと遊んでるし……そういうの、嫌いじゃないけどさ」

 ルディが指先を少しもじもじさせ、勇者がパッと顔を上げる。

「あ、そうだ。もこもこ」

 ルディの言葉で思い出した。そういえば彼が話しかけてきたのは、この黒毛虫の名前がどうとかいう話だったじゃないか。どうもこの謎の生き物に詳しそうな彼に色々と尋ねてみようと、勇者が少し身を乗り出す。


「話が逸れてたけど、こいつだよこいつ。このもこもこの名前が……スタガラパッタ?」

「今なんて言った? スタグバラードだよ。ねえ、本当にそこからでいいの? はじめにそこから訊くの?」

 魔族がしつこく尋ねるので、うんうんと頷いてやる。


「そっか、スタグバラードかあ。かっこいい名前だな……もっと『フパフパフム』みたいな名前かと思ってた」

「なんだって?」とルディ。

「フパフパフム」と勇者。


 と、そこに魔法使いの声が割り込んだ。

「フパフパフム……ふぱふぱ」


 珍しく勇者の名付けを気に入ったらしく、妖精は何度も呟いては黒毛虫と見比べて嬉しそうにした。そうしている間に大きい方の毛虫が妖精のそばを離れてこちらの匂いを嗅ぎにきたので、勇者は手のひらを差し出して好きにさせてやった。顎の下を少し撫でるとかなりふかふかしていて気持ちがいい。それを見て、鼻が隠れるくらい高い位置で腕を組んでルディが唸る。


「うーん……今回は飛び抜けて変な人が来たなあ……まあいいや、この子達の生態が知りたいんだっけ? 竜との関連性がなんとかって言ってたよね」

 そう言ってちらりと賢者へ視線を向けた。

「ああ。人間の呼ぶところの魔獣──つまり渦を持ち人を襲う黒い狼、熊、獅子、兎などの獣類、あるいは淀みを食しているように見える黒い竜、それらとどのような関わりがある?」

 新しい知識の気配に敏感な賢者が、生き生きとして口を開いた。するとレフルスを気に入っているらしいルディがにっこりして言う。

「あのねえ、簡単に言うと、スタグバラードと魔獣は全部同じ生き物なんだよ」


「おい、同じ生き物って……もしかして本当にこいつらはさなぎで、竜とか狼の形に羽化するのか?」

 賢者の説が当たっていたのだとしたら、それは凄いことだ。大きいもこもこに顔の匂いをかがれながら、勇者も思わず食いついた。鼻のあたりを押しつけてくるのを手のひらで押し返すと、小さく「むぅ」と鳴いて何か主張してくる。それに「邪魔するな」と言い聞かせてルディへ期待の眼差しを向けると、彼は一瞬「蛹……?」と目を丸くしてから弾けるように大笑いした。


「いや、違う違う! そのままの意味だよ。この子達はこのもさもさが──」

「──うぁっ!」

「は?」


 そして今までずっと謎に満ちていた魔獣達の正体が明かされようとしたその時、ものすごく情けない感じの賢者の悲鳴が聞こえて、勇者は振り返った。見れば、女の子のような横座りに格好悪く崩れ落ちて震えている彼の腰から肩にかけて、黒毛虫の小さい方がすりすりと夢中で頬をこすりつけている。


「や、やめ、やめなさい……離れて、離れ」

「むうぅ、むぅ」

「やめなさい、そのような声で鳴いたところで私の意思は変わらぬ! 今すぐ、今すぐに離れなさい」

「ルーフルーは僕のだよ……! 匂いをつけてはだめ! すりすりしていいのは、僕だけ」


 もこもこと賢者の間にエルフが無理やり割り込んで言った。それをじっと見たルディが、片手で耳を引っ張りながらこてんと首を倒す。

「……楽しそうな仲間だね?」


 勇者は答えた。

「……だろ?」


 不思議な金の瞳と見つめ合って、示し合わせたように揃ってもう一度花の妖精を見る。「彼」か「彼女」か未だよくわからないエルフは少し目を離した隙にもうご機嫌になっていて、もこもこの長い毛をかき分けて頭の両端に先の丸い角を見つけ、弱った恋人へ「ねえ、角があるよ」と嬉しそうに報告している。


「……角」

 瀕死の賢者が震える声で復唱する。

「うん。黒くてつやつやしていて、美しいよ」

「そうか……」


 儚く囁いた賢者がすっかりぐったりしてしまったのを見て、ルディが「とりあえず……ここを離れようか」と言った。吟遊詩人がこくこくと頷いて勇者を見上げたので、それに頷き返す。

「それが良さそうだな」

「僕の家に招待するよ。──ねえルーウェン、そんなに気に入ったならスタグバラード用のブラシを貸してあげる。毛繕いすると喜ぶし、僕の家の周りには赤ちゃんがたくさんいるよ」


 そういう勘が鋭いのか、妖精を的確に誘惑するルディの言葉で、魔法使いが簡単に釣られた。

「たくさんの赤ちゃんを、毛繕い……」

「うん、気に入ったみたいだね」

 魔法使いがぱあっと星の数を増やし、ルディがそれを眩しそうに見つめた。と、ほんの一瞬くらりと視界が揺らいで、気づくと目の前に小さな丸い真鍮の扉がある。


「……は?」

 何が起きたのか、突然のことでついていけない。呆然としたまま見回すと、広々としていてなだらかな丘の斜面には目の前のものと似た扉がいくつも並んでいて、どうやらちょっとした集落になっているようだった。


「転移の、魔法……これほど負担が少なく、一瞬で」

 賢者が感動した様子で辺りをきょろきょろと見回し、吟遊詩人に魔力の流れの様子を尋ねている。ルディの方はテキパキと目の前の扉を開けて、地下に繋がる階段を駆け下りてゆくと、あっという間に彼の身長とほとんど同じくらいの長さがある巨大なブラシを持って戻ってきた。


「ほら、これで背中を梳いてあげるといい。ちょっと強めにごしごしすると喜ぶよ」

「……ありがとう」

 差し出されたブラシを嬉しそうに受け取った魔法使いが、早速小さなもこもこの群れを見つけて駆けてゆく。その後ろをゆっくり歩いて追いかけながら、勇者達はルディの話に耳を傾けた。毛虫の群れに近づくのが心底嫌そうな賢者も、話の内容が聞きたくて渋々ついてくる。


「いわゆる『魔獣』とスタグバラードが同じ生き物っていうのはね、そのままの意味なんだ。このもさもさ型が本当の姿で、他の動物の形をしているのは全部変身だね」

 そして突然とんでもない話が始まって、勇者は思わず目も口もまん丸く開いた間抜けな顔になった。

「は? 変身?」


「そう。もさもさは淀みを食べるでしょ? スタグバラードは世界の淀みが濃くなるにつれて少しずつ南に移動していくんだけど、こんな北でもない限り、淀みは流動的に濃くなったり薄くなったりするからさ。いいこごりが見つからない時は機動性の高い恐ろしい姿をした生き物に変じて、それで人間を襲って、怖がらせて出た淀みを餌にしてるの」

「怖がらせて……餌を」

「つまり、淀みの濃い地で出会った魔竜の気性が穏やかであったのは、十分な量の餌があったからだと」


 勇者は未だぽかんとしたまま言われたことを頭の中で反芻していたが、流石の賢者はすぐに反応して質問を投げかけた。

「そうそう。本質的に凶暴なんじゃなくて、凶暴に見せることで餌を取るの。だからお腹いっぱいだと優しいし、人間以外も襲わない」


 思いもよらない生態に勇者が何も言えずにいると、神官が戸惑った顔でおそるおそる口を開いた。

「しかし……魔獣の中には死した後も遺体を甚振いたぶり続けるものもいます。そんなことをしても淀みは生まれませんから、今のお話では説明がつきません」


 するとルディは生徒の質問に答える教師のような顔をして、朗らかに頷く。

「ああ、それはあそこにいる小さいやつみたいな幼獣だね。もう死んでることに気づかない子もいるし、あとはそうやって狩りの練習をしてる子もいるかな。上手にボロボロにできたらお母さんに見せに行ったりするの。かわいいよね」

 返事に困った仲間達の間に沈黙が広がった。それを見回したルディは不思議そうにすると「あ、そうか。同族が殺されたら恐ろしいよね、ごめんね」と少し後悔しているように呟く。


「……では、魔獣の血液におびただしい淀みが含まれているのは? 淀みを栄養としているのに、淀みを淀みのまま体にとどめるのですか? なぜ?」

 神官が続けて問うと、ルディは少し笑顔になって「ああ、それはね」と顔を上げ、魔法使いに呼びかけた。

「ルーウェン、調子はどう?」


「とても気持ち良さげにしているよ」

 うずくまった狼くらいの大きさをしたもこもこの毛を梳いてやりながら魔法使いが答えた。もこもこはすっかり妖精に気を許したらしく、ひっくり返って短い六本の脚をもぞもぞさせ、もっと腹を撫でろと言わんばかりに「むぅ、むぅ」と繰り返し鳴いている。


「丁度いいや、ちょっとお腹を触ってごらん。どんな感じがする?」

 小さなもこもこが幸せそうにしている様子を見てにこにこになったルディが尋ねると、魔法使いは手を伸ばして黒い腹をそっと撫でた。

「とてもぷよぷよだね」

「うんうん、太いだろう? ──つまり食いしん坊なんだよ。いつも食べきれないくらい食べてしまうから、消化という名の浄化が追いつかなくて身体中に淀みが溜まってしまうんだ」


「……そんな、脂肪みたいに」神官が細い声で言った。

「似たようなものさ」ルディが明るく笑う。

 特別良く聞こえる耳で皆の話を初めから聞いていたらしいエルフが「太っているのだね、かわいいね……どうしてうさぎにもなるの? 小さくて弱いのに」と幼獣に話しかけている。


「むぅ」

「そうだね、少しまぬけなのだね」

「むうぅ」

「うん、お尻を振っていてかわいいね」

「魔法使い、たぶん尻尾の付け根を撫でろって言ってる」


 吟遊詩人が通訳すると、魔法使いは「……尻尾があるの?」ときょとんとして尻のあたりの毛をかき分け始めた。

「本当だ……短い尻尾がある。かわいいね」

「むうぅ」


 ねだっていた箇所を念入りに撫でまわされてしまった黒毛虫はすっかりとろけて平べったくなってしまい、それを見た他の幼獣達が自分も撫でろと魔法使いに群がって大変なことになった。そこに羨ましそうな顔をした神官が飛び込んでいって、弱々しく首を振った賢者が地面に座り込んで頭を抱える。


「……家の方に戻ろうか。具合が悪そうだ」

 ルディが言う。呆れ笑いをしていた勇者も「それがいい」と頷いて、小さなもこもこの群れに分け入ると魔法使いと神官を掘り出す作業に取りかかった。





 それから少しもしないうちに、勇者はぐずる動物好き達を容赦なく肩に担いでルディの家の玄関まで戻った。新たな友は長い灰色の髪を指でいじくりながらそれをじっと見て、ふふっと可笑しそうに笑うと仲間達のために扉を開けてくれる。


「どうぞ。お茶を出すよ。苔茶が口に合うといいけど」


 楽しげにそう言ったルディを先頭に、勇者達はおそるおそる重たそうな金色の扉をくぐって暗い穴ぐらの階段に下りた。天井が低くて、首を引っ込めないと頭をぶつけてしまう。

「あ、扉を閉めてくれる?」

 ルディが振り返って言うと、最後尾の魔法使いが扉を引っ張って閉じた。バタンと重たい音がして真っ暗になるが、その瞬間にふわっと金色の光の玉がいくつも浮かび上がって、細い穴の中を照らした。土を焼き固めて作ったらしい細い穴全体が、ぴかぴかと複雑に反射して光る。


 そんな光景を、へえと感心して見回した。壁にも床にも手の込んだ絵柄が彫り込まれ、その繊細な窪みの一つひとつには青を基調とした美しい色合いの釉薬が掛けられている。タイルで作ったモザイク模様ならあちこちの国で目にしたが、それとは全く違った風合いで、通路全体が手の込んだひとつの陶器のように美しい。それを一通り眺めてから、窯にも入れられない地下の穴を一体どうやって焼いたのだろうと勇者は首を捻った。ルディは火持ちではない、中で魔法を使ったとしても自分が真っ黒焦げだ。


「綺麗な家と、綺麗な魔法だね」

 魔法使いがそう囁くのが後ろから聞こえた。するとルディは少し照れたように笑って「そうかな? 僕は君やルシナルの纏っているキラキラの方が美しいと思うよ。ここだと、金色以外の光は貴重だから」と言った。


「それなら……賢者に魔術を教わるといいよ。彼は祝福の色合いを好きな色に変えられるわざを編み出した人だから」

「……色を変えられる? ねえ、それって空色もかい?」

 トントンと調子良く階段を下っていたルディが立ち止まり、すごい勢いで振り返って食いついた。あまりに強い目をしているので、目の前にいた勇者は少し気圧されてしまう。


 すると、賢者が少し考えるように沈黙してから口を開いた。

「こやつが話していたのは祝福の変換式のことであろうが、光の色を変えるのみであれば、もっと効率的で自由度の高い術式がある。私の発明ではないが」

「本当……本当に? ああ、魔術って今まで人間が使うつまらない小細工だと思っていたけれど、僕の認識が完全に間違っていたよ。ぜひ、ぜひ教えて欲しい。今すぐ、今すぐ覚えて届けてやらなくちゃ」


「届けるって?」

 もしかして恋人でもいるのだろうかと勇者が少し微笑みながら尋ねると、賢者から勇者に視線を移したルディは、少しだけ悲しげな笑顔になって言った。


「……渦の王アルハロード、僕らの宝に見せてあげたいんだ」





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