六 ベル



 湯気の向こうでボコボコと水を沸騰させていた聖剣は、もうもうと湯気を立てているうちに水から引き上げられた。まだ冷めていないのになと思いながら見ていると、ガーズが「よし……シダル、見てみろ」と言いながら振り返ってふっと笑い、「いや、これで良いんだよ。焼き戻しも兼ねてっから」と言った。


「やきもどし」

「おう。焼き入れの時に少し粘りを出せないかやってみるって言ったろ? あんましキンキンに焼き入れちまうと硬すぎて脆いからよ、ちょいと早めに上げて丁度いいとこで止めんだ」

「……ふうん」


 あれだけ儀式めいたことを行ったわりに、焼き入れの前と後で見た目の違いはそんなにわからなかった。ガーズは「色がこう、気品のある鋭い感じになったろ」と言っているが、うんうんと頷いているのは魔法使いと吟遊詩人だけだ。


「素人の人間にはちょいと難しいか……まあ、研いだらお前らでもわかるって」

 鍛冶妖精がニヤッとして、神官に向かって「悪いがこいつを浄化してくれ。塩水だからよ、まあオリハルコンは錆びねえが、ほっとくとベタつく」と言った。頷いた神官がさっと腕を振ると、ついでなのか部屋中に浄化の気配が渦を巻いて、汗だくだった勇者の全身もスッキリする。


「ありがとな」

 礼を言うと、神官はにっこりして勇者を手招いた。

「少し魔力に酔いましたでしょう。こちらにいらっしゃい、休憩しましょう」

「あ、これ酔ってるのか……お前は大丈夫なのか?」

 勇者の知る限り、酒も船も馬車も転移もなんでもかんでも酔ってしまう神官を心配すると、彼は「転移は酔いますけど、魔力酔いはしませんよ」と微笑んだ。


「ほら、祝福して差し上げますから」

「うん」

 よろよろと椅子に戻って再びべったりテーブルに耳をつけると、神官が「ほら、おでこ出して」と前髪をかき上げてきた。どうやら浄化のついでに油で固めていた髪がほぐれたらしい。向こうで床に散らばっている道具を拾い集めているガーズがこちらを見て「おっ、ほんとに模様が消えてやがる。マジで描いてたんだな……」と言った。


「お前、まだ疑ってたのかよ……生まれつき模様のある人間なんかいるわけねえだろ」

「わかんねえだろ、蛇だって柄の有るのと無いのといるしよ」

「いや、それ別の種類だろ。人間はそんなに色々いねえよ」


 なあ? と賢者に顔を向けると、壁際に積み上げられている知恵の輪から新しいものを選びながら賢者が頷いた。

「ああ、地域によって多少形質的特徴は異なれど、種としては二種類だな。当然、どちらにも肌に模様はない」

「は? 二種類?」

 面食らって首を傾げる。例によって魔法使いが真似をするように首をこてんとさせ、可愛らしい仕草を賢者がおそらく無意識にじっと見た。


「……メーナとコーナ。計測魔力が大きく奇跡的な魔法を使う種族と、魔力は計測されぬが能力値の高い種族だ。現代では交配が進み、所謂純血は存在しないと言われているが……我々と比較して神官は桁違いに魔力が多かろう、彼はメーナの先祖返りだ。現在確認されている存命の人間の中で最も多くの魔力を持っている」

「え」


 このへにゃへにゃでひょろひょろな神官が人類最強……? と思って目を丸くすると、神官は「おやまあ」と言いながら不思議そうにしていた。

「知らなかったのか?」

「ええ……あまり人と比べたことはありませんから。魔法使いと一緒にいるとそれほど多い感じがしませんし」

 そう言って特に喜んだ様子もなくにこっとした神官を、勇者はかなり興奮して凄い凄いと褒めた。しかし人と比べてどうとか言うことに根本的に興味がないらしい友は、優しい顔でにこにこするばかりで大して反応しない。


 勇者はなんとなく肩透かしをくらった気分になって、頬杖をついて少しテーブルから頭を起こすと、今度は知恵の輪ではなく小さなベルをたくさん並べて遊び出した賢者を眺めた。一体どこから掘り出してきたのかわからないが、こちらは楽しそうで何よりだ。


 持ち手のついたベルが大きさ違いで十数個、埃を丁寧に拭われてテーブルの上に並べられている。賢者は端から一つずつそっと揺らして音を聴き、音の高い順に並べ直す。チリンと小さな音のもあれば、もっと重厚な音のもあった。


「楽器ってのはちょっとの歪みで全然響かなくなったりするからよ、腕試しに丁度良いんだ」

 ガーズが言う。綺麗な音に惹きつけられた吟遊詩人が一番小さなのをチリンチリンと鳴らして「可愛い音がする……」と幸せそうにした。賢者はそれに頷きながら、いくつか気に入ったらしい音色のをしっかり鳴らして聴き入っている。比較的低い音のが好みなようだ。


「なあ……それ、上下逆じゃねえか?」

 書架の国の食卓に置いてあった呼び鈴は、持ち手を上からつまんで揺らすのだと教わった。それと同じような形をしているのに、まるで摘んだ花でも持つような感じに口の開いた方を上にしてしっかり握っているので声を掛けた。


「いや、これで良い」

 軽く首を振りながら「ほら」という感じでベルの中を見せられたが、何のことやらわからない。


「……まあ、お前がそう言うならそうなんだろうけど」

「よく見なさい。ぜつの根元にばねを入れることで、傾けても周囲に触れぬようになっている。強く振った時にのみ鳴るのだ。こうすることで音が下ではなく上方向に──」

「あー、うん。気に入ったんなら買い取ったらどうだ? どうせガーズはベル鳴らして遊んだりしないだろうし」


 好きな音楽の話を面倒がられた賢者は一瞬不機嫌そうな顔になったが、すぐに何か思いついた様子で口の端を僅かに上げた。向こうの方で羽を震わせながら神官に「これ買って」と小さなベルをねだっているフェアリと同じで、彼が楽しそうな時は大体ろくでもない悪戯を思いついた時だ。まずいと思った勇者はすぐに身構えたが、賢者が手の中のベルをカラーンと振ったのを聞いた途端、何もかもわからなくなって椅子から転げ落ちた。


 少し低めにやわらかく鳴った鐘の音が頭の中で反響し……だめだ、音のことしか考えられない。なんとか見回すと勇者だけでなく、皆がふらふらと頭を押さえながらしゃがみこんでいる。その中で魔法使いだけが平気な顔でうっとりと頰を染め、終焉の鐘を手にした魔王の耳元で「よく響くのに、音色には静けさを感じる……君の歌声に少し似た美しい音だね」と囁いている。綺麗な色の目に見つめられた賢者が困った顔で「……気に入ったならば鳴らしてみなさい」と呟き、押しつけるように妖精へベルを渡してやった。構われて幸せそうなエルフがもう一度鳴らすと、すうっと頭が冴えて起き上がれるようになる。


「……魔力を広げ易いな。声を出さずとも魔法が使える」

「僕にも魔法がかかったよ……もっと深く恋に落ちた」


 興味深そうな顔をしている賢者にべったりひっついたエルフは最近あまり愛情表現を恥ずかしがらなくなってきていたが、ガーズがぽかんとした顔で見ていることに気づくとハッとした顔をして、みるみる耳の先まで赤くなると涙目になった。驚いた顔をした賢者がさっとマントの中に入れてやり、それが周囲からどんな風に見えるか思い当たったらしく、この世の終わりを見ているような虚ろな目になる。


「おい、お前ら──」

「この鐘を、もう一本、私の手に合わせて仕立ててはもらえぬだろうか」

 口を開きかけたガーズの言葉を、賢者が鐘のように響く声ではっきりと、一語一語しっかり区切って遮った。


「あ? ……まあ、いいけどよ。それよかお前ら」

「採寸をしてほしい。今すぐ」

「わ、わかった……さっきみたいに武器にすんなら、もっといかつい感じにするか?」

 術の名残で床に座り込んでいたガーズは、段々楽しくなってきたらしくぴょこんと跳ね起きて生き生きと目を輝かせた。


「いや、それは結構」

 ほっそりして優美なものが好きな賢者が、鍛冶屋の提案に眉をひそめる。

「そうか? なあ、魔法の杖代わりにすんならシダルの炎で打つと良い。火と風ってのは相性がいいが、従兄弟ならもっと馴染むと思うぜ」


「……おう」

 視線を向けられた勇者が「まだ柄もあるのにもっと仕事が増えるのかよ」と思いながら頷くと、しかし魔法使いが首を振って進み出た。

「火は僕がやる……絶対やりたい……僕の方が絶対、魔力の相性がいい」

 別に恋敵でもなんでもない勇者と張り合わずとも良いだろうに、妖精はすっかりやきもちを焼いた顔で勇者をじっと見た。賢者は手元のベルを見下ろしながら黙り込んでいる。頰がちょっと赤い。


「……まあ、ちゃんと温度保てるなら俺はどっちでもいいけどよ」

 ガーズは下手に突っ込むと面倒だと思ったらしく、微妙な顔をしながらも素直に頷いている。その後ちらっと勇者を振り返って『あとで説明してくれよ』みたいな顔をした。頷き返す。


 その後は勇者も交えて、賢者のベルをいつ頃作り始めるとかいう計画を練った。ベル一本程度ならそう長くはかからないと出立の計画も合わせて立て始めていたが、しかしその計画は途中ですぐ練り直しになった。聖剣鍛冶が聖剣以外も気軽に仕立ててくれると知った仲間達が、次々に注文を始めたのだ。


 まずは、先程から段々とおずおずした顔になってきていた神官が、一歩進み出て小さく手を挙げた。

「あの、ガーズ……もしよろしければ私にも杖を……水の鳴杖めいじょうが欲しいのですが、作っていただけませんか。自前の杖は神殿に置いてきてしまいまして……普段は困らないのですが、媒介となるものがありませんと、心臓を一突きにされたら万が一にも死なせてしまうかもしれません。北の果てでは万全にしておきたいのです」

「は?」


 こいつがいれば、心臓を一突きにされても死なないのか?


 さりげなくとんでもないことを言い出したなと思いながら、こちらも気を引くように勇者の袖を握ってぶんぶんと尻尾を振っている子犬を見下ろした。

「じゃあ、僕にも投げナイフ……ねえ勇者の、勇者の炎がいい! あ、そういえば勇者の矢も補充しないとね!」

「相当懐いてんな、お前」

「え?」

「いや。矢は初日に頼んであるから大丈夫だ」


「僕は……お揃いのベルがいい。賢者の声に似た音のベル……」

 魔法使いが夢見るような優しい声で言った。

「お前それ、ただ欲しいだけだろ」

「うん……ルーフルーとお揃い」


 いよいよ不必要なものまで頼み出した仲間を勇者が呆れ顔で見ていると、注文が殺到して嬉しそうなガーズが「おいおい、落ち着けって。聖剣が仕上がったら順番に作ってやるからよ……全く、人気者は苦労するぜ」と言いながら皆をなだめるように両手を挙げた。


「そっか……お告げを果たすことばっかであんま考えてなかったが、お前らに作ってやるってことは、俺の武器が世界を救うのか。鍛冶屋の夢の極致だよな……」

 ガーズはそう陶然と虚空に視線を彷徨わせ──そして突然毛深い拳をぐっと握ると、やたら気合いの入った顔で大声を出した。


「よっしゃ! アガって来たぜ!! 全員の武器を仕立てるんなら休んでらんねえ、シダル、もう一仕事だ!!」

「嘘だろ、もう魔力がすっからかんだって……」

 我ながら情けない声が出たが、ついさっきだって結構無理をして焼き入れをしたばかりなのだ。もうへとへとだった。


「魔石はまだあんだろ! 安心しろ、オリカシデロンは合金だからな、オリハルコンより融点が低い。そんだけありゃ朝までに鋳込みを終わらせられるぜ!」

「朝までって、お前」


 なんとか思いとどまらせようとしたが、やる気が暴走した鍛冶屋は一向に止まらず、結局勇者は朝まで作業を手伝わされた。神官が一緒に残ってくれたが途中で眠ってしまい、彼が目を覚ました時にはすっかり夜が明けていて、ガーズと勇者は魔力欠乏で顔を真っ青にして床に転がっていた。神官が慌てて治療用の銀の魔石を握らせたので大事には至らなかったが、二人ともひどく説教されて「医師の言うことは絶対です!」と三日間の謹慎を言い渡された。


 休めるのはありがたかったが、自分まで怒られたのは理不尽だと思った。





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