第三章 春の森

一 冬の終わり



 恐ろしくゆっくりした口調で話してくれたピによると、どうも芋を蓄えて冬籠りをするのが好きらしいノームの国はまだもう少し雪深い季節が続くそうだ。しかしソロとの戦いからおよそひと月半、外の世界は雪解けが始まり、少しずつだが嵩を減らした積雪を押し分けて小さな草が芽吹き始めていた。


 ああ、冬が終わってしまった──


 いよいよ旅を再開しようという朝が来て、勇者は深いため息をついた。

「なあ、ほんとに一緒に来ないのか?」

 最後にもう一度だけ尋ねると、ハイロはしつこい勇者にも嫌そうにすることなく、丁寧に答えた。


「近くにはおりますが、共には参りませんよ。私は選ばれた剣伴ではありません。私の使命は共に魔王を倒すことではなく、貴方がたを狂ってしまった神殿からお守りすることであると思うのです。確かにソロは危険ですが、フラノ率いる火の審問団に身を寄せていれば大丈夫ですと、何度もお教えしましたでしょう?」

「……ああ、それはわかってる。お前の気持ちが固まってるならもう言わない。ごめんな、何度も無理言って」

「いいえ、お気持ちは嬉しいです」


 無表情の中にほんのりやわらかさを感じる瞳で見つめられ、勇者は少し恥ずかしくなって視線を逸らした。しかし彼女との会話は少しでも長く続けていたかったので、何か話題はないかと頭の中を引っ掻き回す。


「──なあ、フラノで思い出したんだけどさ。お前の兄さんって全然喋らないが……あれは喋れないのと喋らないのと、どっちなんだ?」


 ハイロと話すついでではあったが、なんとなく以前から引っかかっていた疑問を投げかけてみた。するとその話題は気になったのか、ついさっきまで勇者のことなど全く気にも留めていなかった仲間達が、それぞれ手を止めてこちらを振り返る。


 好奇の視線を集めたハイロは、僅かに首を傾げながら言った。

「話す能力はありますが、フラノはひどく寡黙なのです」


「いや、あれを寡黙の一言で片付けていいのか……?」

 勇者が眉を寄せるとハイロがほんの少し口角を上げ、見慣れてきた今でないとわからないくらいに微笑む。可愛い。


「話し始めればなかなか語彙は豊富ですよ」

「そっか、お前は話したことあるのか……」

「まあ、兄ですからね。他に人がいると話しませんけれど。話せるのはライと、ガレと……あと、誰だったかしら」

「……なあ、それは寡黙じゃなくて人見知りって言うんじゃないのか?」


 おずおずと言えば、彼女は特に表情を動かすこともなく淡々と言った。

「成人した火の第一審問官にその形容は哀れなので、寡黙と称することにしているのです」

「……そうか」


 食事を終えて、冬の間に散らかした荷物を丁寧にしまう。十匹ほど増えた狐の人形を全て置いてゆくことを魔法使いからノーム達に告げてもらうと、彼らは一斉に顔を輝かせて、そしてすぐに寂しそうに寄り集まってもぞもぞした。


「また遊びに来るから」

「……いも」

「うん、芋な」


 芋といえば、ノーム達はどうやら少しなら魔法が使えたらしく、この冬の間に葉っぱで包んだ芋を温めて蒸し上げる方法を魔法使いに教え込まれていた。自分達でふかし芋を作れるようになった芋の妖精達は喜び勇んで大量の芋を蒸してしまったので、次々に献上されて腹一杯食べ、そして大して運動もしなかった神官は随分肉がついた。まだ痩せ型ではあるがようやく健康的な細さになったことに勇者は安心して、そしてまた骨と皮に戻らないよう美味いものをたらふく食わせてやらねばと決意した。


「だからさ……森を抜けたらもうじき砂漠だって時に、美味しいものお腹いっぱい食べる気なのがいいよね……砂漠で一体何を狩って食べるつもりなのさ」

「わからんが、なんかはいるだろ」


 勇者が笑って見せると、吟遊詩人は怒ったような顔を作って腕を組んだ。

「僕、毒蛇とかサソリとか絶対嫌だからね」

「そうか? 海で食った蛇もエビも美味かったし、いけると思うが」

「エビにしても、勇者はあんな脚がいっぱいある生き物よく食べられるよね……いや違う、そういえばこの人、蜂の幼虫とか食べるんだった」

「あれはほんとに美味いって。お前、ちょっと食わず嫌いが多すぎだぞ?」

「──レフルス、これは?」


 その時ハイロの声が聞こえてきたので、勇者は会話を中断するとピッと背筋を伸ばして聞き耳を立てた。何か返事をしかけていた吟遊詩人が口をつぐんで苦笑する。


 彼女は賢者が彼の寝床の周りに大量にばら撒いていた資料の片付けを手伝っていたが、その中の一枚に目を奪われたらしく、魔法使いの作った毛布の巣を崩している学者へ興味深げに声をかけている。彼と話すのを少し怖がっている様子だったハイロも、賢者が魔法使いにしてやっている星の話を共に聞いたりしているうちに随分慣れたようで、今では親しく名で呼べるまでになっていた。


「回廊陣と名付けた、筒状の魔法陣および顕現陣の研究だ。範囲指定に円環を用いず、陣そのものを丸めることで代用する」

 賢者はそう言うと片足のつま先を上げてタンと軽く地面を踏んだ。すると影色の細かい蔓草模様が塔のように立ち上がって彼の体の周囲を取り巻き、それを見つめたハイロが瞳をキラリと輝かせる。


「凄い……既に発現可能なのですね」

「盾の術に限るが。周囲を敵に囲まれた場合、一人二人を守る程度ならば半球型の分界ぶんかいよりも高さに対して範囲が狭いため、魔力効率が良い」

「……これも、盾というよりは分界に当たるのでしょうか」

「上が開いている、つまりひとつの分断された世界として区切られておらぬゆえ、盾の名の方が相応しかろうな」

「なるほど……理論を教えていただけませんか」

 身を乗り出したハイロへ賢者が「フラノに教えるつもりか」と尋ねると、彼女は一瞬きょとんとしてから「あ、それはいいですね」と呟いた。


「ふむ、単に好奇心か」

 ニヤリとした賢者を見て、ハイロが少し恥ずかしそうに唇を嚙む。そのまま楽しげに二人が術の理論について会話を始めてしまったので、勇者と魔法使いはそわそわと身を寄せ合ってその様子を洞の端から見つめた。


「ま、魔法使い……どうしよう、ハイロ、賢者に惚れないかな? あいつ賢いし、背も高いし、年上で頼り甲斐が」

「……抱っこなの? いいよ」

「違う」


 否、動揺していたのは勇者ひとりだけであったようだった。魔法使いは心細げに近寄ってきた勇者を抱擁しようと腕を広げ、首を振られて少し寂しそうに耳を倒した。そこでようやく勇者の言葉の内容を吟味したらしく、こてんと首を傾げて賢者達の方へ視線を戻す。


「確かに、ルーフルーはとても……素敵だね」

 そしてポッと頬を染め、魔法使いが幸せそうに言った。


「そうじゃなくて……お前は心配じゃないのかよ? ハイロは知的な美人だし、人間の女だし、賢者だってどう思うかわかんないだろ」

 不安と焦りに苛まれながら勇者が言うと、魔法使いはそんな彼の顔を探るようにじっと見つめ、そして静かに首を振った。


「……よく見て、針葉樹。彼らはまだ歌ってもいないし、果実を贈り合ってもいない。いつか他の誰かを愛するかもしれないなんて『もしも』を恐れて、愛を与えるのをためらってしまってはならないよ」

「いやお前、あいつらはお前と違って鳥じゃないんだから──」


 反論しかけた勇者を視線で黙らせ、先を続ける。

「僕達はただ、自分の愛を貫くだけだよ。愛する人が幸せになるよう努力して、自分を磨いて、愛を示すだけだ……。いつかその愛が返ってくることを信じて、ただ最愛の宝だけを真っ直ぐに見つめていればいい」

 少し高い位置にある黒髪を腕を伸ばしてくしゃりと撫で、魔法使いがおかしそうに微笑んだ。小さな声で「君は狼だから、愛する雌を取り合って戦いたくなってしまうのかな」と呟く。


「そ、そんなんじゃない。別に、本当に不安なわけじゃなくて……」

「ただ、僕に甘えたくなってしまった? 抱っこする?」

「いや、それも違うけど……ちぇ、お前だけ余裕そうにしてさ。俺だって……」


 自分でもはっきりしない理由でなんとなくふてくされながら、勇者は魔法使いを引っ張って賢者とハイロの元へ向かった。するとハイロは試しに回廊陣とやらを描いてみているところだったようで、鳥籠のように彼女の周囲を囲んだ紋様を見て、賢者が難しい顔をしている。


「そなた……」

「……絵は少し、苦手なのです」


 恥ずかしそうにハイロが呟いていた。見ると、灰色の蔓草紋様がどことなく萎れたようによれよれしていて、所々にくしゃくしゃの赤い花が咲いている。魔力を込めて一言話すだけで勇者を打ち倒せる彼女の意外な弱点に、勇者はひどく胸が疼いて片手で口元を覆った。


「……子供のようだとお笑いになりますか」

 こちらをちらりと見て目を逸らしたハイロが小さな声で言うので、勇者はぶんぶんと首を振った。


「そんなことない、有り得ないくらい可愛い……頭、撫でてもいいか」

「……やはり、子供扱いなさる」


 稚拙な回廊陣を消したハイロが拗ねたように囁き、それを賢者がフンと鼻で笑った。そこへ魔法使いが「僕も……可愛い?」と賢者に囁きかけて小さな小さな魔法陣のようなものを空中に描き、最近やっと安定して丸の端が繋がるようになった彼の絵を見たハイロがきょとんとする。その視線を受けた妖精が、ほんの少しだけにこっとした。


「絵が苦手……僕と、一緒だね?」

「そなたよりは遥かにましだろう。勇者に施した祝福紋は上等な出来であった」


 馬鹿にした微笑みで見下ろされた魔法使いがへたりと耳を倒し、哀れに思ったらしいハイロが「あれは、前の晩に徹夜で練習しましたから……」と補うと、もう旅に出てからずっと丸を描く練習をしているエルフがわなわなと震えた。


「一晩、一晩で……」

「あの、ルーウェン? エルフが魔術を扱わないのは自然なことです」

「……そういえばハイロちゃんの顕現陣って、赤っぽい灰色になるんじゃなくて赤と灰色が別々になるんだね」


 ずっと後ろで様子を見ていた吟遊詩人が口を挟みながら、魔法使いの背を押して賢者に押しつけた。ふらふらになっていた妖精がよろめいて賢者にぶつかり、賢者が迷惑そうな顔をしながら魔法使いの両肩を掴んでそれを受け止めた。それだけで妖精は幸せになったらしく、ぱあっと星が飛び散って小さな銀色の花畑が倍の面積になる。


「──初めは混ざり合っていたのですが、花を赤くしたかったので練習したのです。顕現陣の蔓と花の割合が、ちょうど私の魔力の気と火の割合に近いのですよ」

 それを聞いた賢者が小さな声で「そのような練習をするより──」と言いかけたが、勇者と吟遊詩人が揃って激しく首を振ったのを見て口を閉じた。

「花を赤くすると、何か効果が変わったりするの?」

「……いえ、ただの好みです。むしろ魔力の濃淡ができやすくなりますので、慎重にやらねば性能は落ちるかもしれません」

「じゃあ、伝令鳥の耳と尾羽が赤いのも?」

「ええ、その方が可愛いので」


 可愛いのはお前だよ……。


 自分も無意識にホボロボーロの羽先が赤く染まるよう魔力を操作しているのを棚に上げて、勇者はうっとりした。彼女が火持ちなのはフラノの妹だからだろうが、自分と同じ魔力を持っていると知って、どうしても嬉しくなってしまう。

 が、その幸せな時間はそう長く続かなかった。


「──あなた方、遊んでいないで荷物を纏めなさい」

 ひんやりした声にさっと肩をすぼめながら振り返る。するとそこにはぼんやりと青い霊気を立ち昇らせた神官が静かに佇んでいたが、しかしその脚にノームがもこもこと大勢抱きついているので全然怖くない。


「お前……それさあ」

「アレン?」

「あ、うん……すぐやる」

「宜しい」


 さて、本名で呼ばれることに弱い勇者が働き始めると、荷物の整理はすぐに終わった。芋の群れにローブの裾を引かれてちょっと泣きそうになっている吟遊詩人を促し、蔦のカーテンをくぐる。


 少し暖かい色になった日差しが眩しく勇者の顔を照らし、新芽の香りがする風が優しく吹いた。





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