第10話 生贄として
「な……これ……」
今自分の身に起きている事が理解できなかったが、次いで抗いがたい程の眠気に襲われピンときた。
クッキーに一服盛られていたのだ。
このクッキーを持ってきた相手を振り返りたくても身体が言うことを聞いてくれなかった。
「お前馬鹿だな。ケロッと騙されて」
目が閉じる直前、聞こえてきたのはこちらを嘲笑うロベルトの声だった。
***
あれからどれ程気を失っていたのか分からない。唐突に、呪縛が解けたかのように意識が戻ってきた。
「っ」
命があることに安堵しガバリと半身を起こそうとした。
しかし足に違和感があって出来なかった。視線を向けると両足が一つの縄で拘束されている。
明るくて薄い色をした空が頭上に広がっている。
頭上に黒い物体が飛んでいた。鳥か、と思ったがゆっくり移動しているので飛空艇だと分かった。
その空を見て今は早朝だと理解した。
どうやら今自分は外にいるようだ。
四方を森に囲まれている少し広めの空き地だ。自分が寝ているすぐ隣には人間なら飲み込めそうな程の焚火がある。だからか汗ばんでいた。
現状を認識し終えると、自分にこんな真似をした悪魔のことを思い出した。ロベルトの姿を探して周囲を勢いよく見渡した。
探していた人物は焚火の向こう側の大きな岩に座っている。
「やっと起きたのか?」
金髪の青年がこちらを見て呆れたように言ってくる。その声はとても酔い潰れた人間の物とは思えない。
睨みつけられた本人は堪えた様子がなかった。
「ふん、酔ったふりなんて女を長年見てれば誰だって出来る。顔は化粧でどうとでもごまかせるしな」
小馬鹿にしたような口調で言われ、悔しさに歯を軋ませる。
ロベルトの荷物には頬紅と言わず大体の化粧品が入っている。その理由が今分かった気がした。
あまり目を合わさずにいたので、あれが演技だったと言われるまで気付きもしなかった。
「大体みんなそうなんだ。直前になると怖気付いたり、色気を出したり。だから私も最近は薬を仕込むようにしててな、お前をおぶって早々に出て来たよ。お前も随分分かりやすく怯えだしたしな」
ロベルトは全部分かっていたのだ。
準備が良すぎるし、ハンバーグを食べさせてくれたのも自分の人生に意味を持たせ逃げ惑わさせるためで、これも余興だからなのだろう。
悔しい。
「……私もさ、人を食べてまで不老不死になろうなんて最初は思ってなかったんだ。でもな、死なないって便利なんだよ。長く生きていく内に人生観が変わっていって、もっともっと生きたくなった。死ぬ時は相応に痛いが、色々なところに行けるし思い出は作れる。だから」
ロベルトがそこで一度言葉を区切る。
不穏な空気を肌に感じブラッドは立ち上がろうとしたが、足が拘束されているため地面に尻をついてしまった。動きにくい。
「死ねよ。お前は死にたいんだろ!」
ロベルトは叫び、持っていた剣を振り上げる。人を殺すなら銃が一般的な時代、剣というのが悪趣味だ。
剣を振り上げる一瞬の動作を映しながら思う。
死にたいとはたしかに思った。でもあの少女に会って、チョコレートケーキの甘さを知った。
村に居たいと思った。
今は生きたかった。もう一度あの少女に会いたい。
だから。
「っ!」
逃げなければ、と体が咄嗟に反応する。皮肉にも見世物小屋出身というのが役に立った。拘束された状態には慣れている。
両足で地面を蹴って空中で態勢を整えた。うさぎ飛びの形ではあるが、足の裏が地面についたことにホッとする。
剣を振りかざしていた青年は躊躇うことなくこちらに向かってくる。
ロベルトは自分を生きたまま食べることが目的だ。それなら命を取るより動きを封じようとしてくるだろう。
だから極限までロベルトがこちらに近付いてくるのを待った。
剣を振り下げようとするロベルトの動作が見えた瞬間、もう一度地面を強く強く蹴った。
「っわ!!」
ロベルトの懐目掛けて勢いよく体当たりをした。
不意打ちを受け青年は悲鳴を上げ、持っていた剣を落として後方によろめく。ロベルトの後方には焚火もある。ロベルトの後ろ毛が火に入りそうになりもう一度悲鳴を上げていた。
その隙に動いた。
足が縛られているので動きにくいことこの上なかったが、膝が擦れるのも顔が擦れるのも構わず落ちた剣を口に咥える。
効率や見目なんて気にする余裕なかった。焚火の向こうにいるロベルトがもう起き上がったのが見える。
口で剣を咥えるのは思っていた以上に大変だった。重たいし、狙いが定まらなくて腕をあちこち切ってしまった。
「っざけるな!」
ロベルトが掴みかかってくる直前、何とか剣で足の縄を切断することが出来た。
自由になった足で一目散にロベルトから離れる。腕はまだ縛られたままだが、足に比べたらそれは問題ではないので後回すことにした。
走れるならロベルトに追いつかれることもない。
ここは三方を崖に囲まれた空き地だ。唯一の出入り口はロベルトが塞いでいるし、焚火も鞄もあってごちゃごちゃしている。
あっちよりかは、とひとまずブラッドは眼前に広がる森の中に逃げ込むことにした。
「はあ……っはあ…」
自分の名前を叫ぶ声が小さくなってきて、ブラッドはようやく息をつくことが出来た。
逃げよう、と思うなら腕の縄をどうにかした方がいい。その為には縄を切ってしまうのが一番だ。
ブラッドは早朝の森を見上げ、何か縄を切れそうな物がないか探した。
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