赫連夏2 関中支配
長安で
この事態を受け、
息子の
遂には皇帝を自称。
その高名を広く知られていた。
なので
礼を尽くして招聘。断られる。
また
また宋王就任後にも招聘したが、
どちらも拒否された。
そして、四度目の召喚。
赫連勃勃による招聘に、
なんと韋玄、応じる。
それもそうだ。姚興や劉裕なら
招聘を辞退しても殺される、
といったことはなかっただろう。
しかし、今度はあの赫連勃勃。
その意を跳ね除ければ、殺されかねない。
だが、結果は逆だった。
やってきた韋玄に、赫連勃勃は、
なんと、激怒。
「そうか、貴様! 余は姚興や劉裕とは
別口の人間だ、と言いたいわけだな?
でなければ招聘にすぐさま応じるなど、
ありえはすまい!
余を王の器たりえず、とする輩なぞ
許してはおけるものかよ!」
で、殺した。
ぇえ……。
そんな赫連勃勃、425 年に死亡。
赫連昌が立ったわけだが、まもなく
やがて
東は
北地の覇者となったのである。
安西將軍義真之歸也,佛佛遣子昌破之青泥,俘囚諸將帥,遂有關中,自稱尊號,號年曰真興元年。京兆人韋玄隱居養志,有高名,姚興備禮徵,不起,高祖辟為相國掾,宋臺通直郎,又並不就。佛佛召為太子庶子,玄應命。佛佛大怒,曰:「姚興及劉公相徵召,並不起,我有命即至,當以我殊類,不可理其故耶。」殺之。元嘉二年,佛佛死,昌立,至是為燾所兼。燾西定隴右,東滅黃龍,海東諸國,並遣朝貢。
安西將軍義真の歸せるや、佛佛は子の昌を遣りて之を青泥に破らしめ、諸將帥を俘囚し、遂に關中を有し、尊號を自稱し、年を號して真興元年と曰う。京兆の人の韋玄は隱居し志を養い、高名有らば、姚興は禮を備え徵ぜど起たず、高祖は辟し相國掾・宋臺通直郎為らんとせど又た並べて就かず。佛佛は召じ太子庶子為らんとせば、玄は命に應ず。佛佛は大いに怒り、曰く:「姚興及び劉公の相い徵召せるに並べて起たざるに、我れ命を有せば即至れるは、當に我を以て殊類とし、其の故に理せざりたるか」と。之を殺す。元嘉二年、佛佛は死し、昌が立たば、是に至りて燾に兼ねらる所為る。燾は西に隴右を定め、東に黃龍・海東諸國を滅す。並べて朝貢を遣る。
(宋書95-27_肆虐)
韋玄の話は別箇所で散々見て新規性がねーよなーとか思っていたんですが、考えてみりゃここでは初出の話でした。正直、とてもしゅき。
赫連勃勃、国号は「
南→朝宋門
東→招魏門
西→服涼門
北→平朔門
と、ワイ氏天下を平定してやるでござる感マシマシ。その意気込みは買うよ、買うけどさぁ……。
さすがこの時代のオモシロ人物筆頭候補なだけありますね。同じ時代に生きてなくてよかった。
さて、こちらでゆるふわ晋宋春秋3を終了します。引き続きゆるふわ晋宋春秋4、完結まではデイリー晋宋春秋をよろしくおねがいします。本当は4から晉書に入ろうと思ったんだけど、まだまだ宋書が終わりそうにないんだぜ。
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