何承天4 謝晦の乱前夜
南蛮校尉における職掌の副官に。
また衛将軍に進むと、その相談役に。
426 年、
謝晦討伐の軍を立ち上げた。
そのことを謝晦の弟、
秘密裏に使者を飛ばし、知らせてくる。
ついに来たか。謝晦、何承天に問う。
「弟からの知らせが事実だとしたら、
そなたならどう動く?」
何承天は言う。
「皇帝自らが国を背負って
国内の一州を攻めてくるのです。
その規模の多寡にかかわらず、
道理の順逆からして、
まるで勝負になりません。
逃げの一手が最良です。
どうしても戦いたい、
というのであれば、そうですね、
腹心で
将軍は自ら兵を率い、
負けますので、義陽に温存した
勢力でもってお逃げになる。
これが次善策でしょう」
逃げろしか言ってない。
何承天さんしゅごい。
うむむ、と唸る謝晦、やがて言う。
「
兵力とて十分だ。
ならば決戦ののち逃げる、でも
遅くはあるまい」
そうして、何承天に
檄文を書かせるのだった。
謝晦鎮江陵,請爲南蠻長史。晦進號衞將軍,轉諮議參軍,領記室。元嘉三年,晦將見討,其弟黃門郎皭密信報之,晦問承天曰:「若果爾,卿令我云何?」承天曰:「以王者之重,舉天下以攻一州,大小既殊,逆順又異,境外求全,上計也。其次,以腹心領兵戍於義陽,將軍率眾於夏口一戰,若敗,即趨義陽以出北境,其次也。」晦良久曰:「荊楚用武之國,兵力有餘,且當決戰,走不晚也。」使承天造立表檄。
謝晦の江陵に鎮ぜるに、請うて南蠻長史と爲る。晦の衞將軍に進號せるに、諮議參軍に轉じ、記室を領す。元嘉三年、晦の將に討たるるを見んとせば、其の弟の黃門郎の皭は密かに信にて之を報す。晦は承天に問うて曰く:「若し果して爾らば、卿は我に令し云何とせんか?」と。承天は曰く:「王者の重を以て天下を舉げ以て一州を攻むは、大小は既に殊なれど、逆順も又た異ならば、境外に全きを求むが上計なり。其の次は、腹心の領兵を以て義陽を戍り、將軍は眾を率い夏口にて一戰し、若し敗らば、即ち義陽に趨りて以て北境に出づべし、其の次なり」と。晦は良や久しうして曰く:「荊楚は用武の國、兵力に餘有らば、且しく當に決戰し、走るは晚からざるなり」と。承天をして表檄を造立せしむ。
(宋書64-19_規箴)
遅くない、じゃねえよ配下兵の命なんだと思ってんだてめえこのクソが、という感想しか浮かばない。にしても何承天さんのこのドライさしゅき。
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