第九話 お姉さんとお風呂に入りましょう

「あっ、来てくれたのね。永政くんっ!」


 頬を桃色に染め、子犬のごとくこちらへ駆け寄ってくる雪奈さん。

 やたらと大きい風呂いっぱいにお湯を張っているため、湯気が立ちこめているもののチラチラとピンク色の部分が見えるのでこんな真似はしないでほしい。


「雪奈さん、少しは自重してくださいよ」


 理想的に肉づいた太ももを動かすたび揺れる胸を見るものかと顔ごと背けながら言う。

 なぜ俺がこんな配慮をしなければならないのだろうか。もしかして姉とは全員こんなものなのだろうか。

 世界における姉のイメージが揺るぎ始めたとき、雪奈さんが口を開いた。


「私の身体、全部永政くんのものなのに。何を恥ずかしがっているの?」

「はぁっ!?」


 不思議そうな声を聞き、反射的に大きな声を出してしまう。


「この胸でいーっぱい、身体を洗ってあげようと思ったのになぁ。見てくれないかぁ」


 一抹の寂しさが混ざる声が聞こえ、俺はかなり動揺してしまう。

 もしかしたら、友達の影響でメイドはアレなことまでしなくてはならないと思ってしまったのだろうか。


 左京家に雇われていたのは執事だけだからメイドのことは分からなかったのかもしれない。それに、雪奈さんは小中高を女子校で過ごした身だ。具体的なことは知らないが、知識が偏っていても何らおかしくはない。


「ねぇ、永政くん。私の全部、見て……?」


 儚くも艶やかな雪奈さんの声。

 オレはその声に導かれるように雪奈さんのほうを見て——。



 固まる。



 なぜ俺が固まったか。

 それは雪奈さんが想像を絶するほど誘惑する姿勢を取っていたなどではなく。というかそちらのほうがよかったのかもしれないが。


 想像を絶するほど、悪趣味な笑みを浮かべていたのだ。


「永政くん、お姉さんの声に惹かれちゃったの?」

 手を口に添えながら言う雪奈さん。言い訳の仕様がないほど俺の状態を的確に示した言葉なのだが。


「自意識過剰なのではないでしょうか。道を踏み外しかけているお姉さんを叱ってやろうと思ったのです」


 当然否定する。肯定するのにはデメリットが大きすぎた。

 いい加減こういった行動を取ることに対して恐ろしさを抱いて欲しいものだ。そう思いながら、上から目線も甚だしい言葉を吐く。自分から誘惑したのだ。これくらいやってもお相子にすらならないだろう。


「あら、やっとお姉さんと認めてくれたのね?」


 てっきりちょっとは怒ると思っていたのだが、そんなことはなかったらしく。

 逆に控えめながらも華のある笑みを浮かべ、嬉しそうに俺を見つめていた。

 一瞬言っていることの意味が分からなかったので、慌てて発言を見直す。


 結果、確かに俺は雪奈さんのことを『お姉さん』と呼んでいた。無意識のうちに俺は雪奈さんを姉として認識していたというのか?


「ねぇ、永政くん。そうでしょ?」

 明るい雪奈さんの声が脳内に響く。その問いに俺はこう答えた。


「残念でしたね、雪奈さん。雪奈さんがずっと自分のことをお姉さんだのと言うので、一時的に移ってしまっただけです」


 淡々と、雪奈さんの目を見据えて言う。そちらのほうがより伝わりやすいかと思ったからだ。


「む、冷静ね。でも、これって大きな一歩よね! よし、いつか永政くんにお姉ちゃんと常日頃から言ってもらえるように努力するから覚悟しておきなさい!」

「はいはい」


 俺が適当に返事をすると、途端にぷりぷりと怒り出す雪奈さん。

 そんな雪奈さんの横を通り過ぎ、風呂場の椅子に座った。

 そして、言葉を発する。


「何をしているのですか、雪奈さん。俺の身体を洗ってくれるのでしょう?」


 ハッとして早歩きでこちらへ向かう雪奈さんを見ながら、俺はしたり顔を浮かべた。

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