一章 サリマン・キーガン──兵隊さんごっこ(4-1)


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 サリマン・キーガンはアルマンの兄である。兄は弟よりも先に生まれてくるから、弟にやさしくしたり、弟と一緒に遊んでやったり、弟を抱き締めてやったりしてやらなくてはならない。両親が弟のことばかりひいすることもあったし「お兄ちゃんでしょ」と言われて我慢を強要されたりなんてこともときにはあったが、サリマンはそういったことを苦痛に思ったことはあまりなかった。なんと言っても小さな弟はふわふわしていて可愛らしかったし、医者を目指したきっかけというのも、弟がまだ母親に抱えられていた頃はたいそう体が弱くて、冬が来る度に熱を出す彼を治してやりたいと思ったからだった。

 父のことも母のことも大事だ。けれど、兵士になってから思い出すのはいつだって弟のことばかりだった。家族という社会の中で初めて出来た自分よりもか弱い存在。やさしくて小さな、私の弟──。


 そんな弟が生まれてから、八年目の夏のことだった。


「『兵隊さんごっこ』?」


 幼い弟が誘った遊びの名前が、それだった。

 サリマンはその名称から反射的に嫌悪をあらわにした。昨日熱が下がってまた元気よく外に駆けていった弟は直ぐに飛んで帰ってきて、兄にその遊びに参加するようにお願いしたのだ。


 ──兵隊さんごっこって。

 ──あの棒切れを振り回して軍隊の真似をして遊ぶやつか?

「……、ごめんよ、アルマン。兄さん勉強で忙しいんだ。お前だけで遊んでおいで」


 弟に背を向け、机に向かい直す。勉強というのは建前だった。そんな残酷な遊びに付き合いたくないというのが、サリマンの本音だった。

 弟──アルマンは少し黙りこくって、俯くように神妙に頷くと再び外に出ていった。

 弟は賢い子だった。自分や他人の気持ちを無意識下で読み取って行動するきらいがあり、サリマンが嫌がるようなことを一切やったことがなかった。そんな弟が、医者を目指している自分に『兵隊さんごっこ』だなんて。少し失望に似た気持ちが過ぎったが、けれど彼が一人の人間として自立し始めている傾向だろうと、そのときは受け取った。

 サリマンが生まれ育ったペリドット国は、スモークォ国との戦争以前から森や土から生まれる豊富な資源を周辺諸国から狙われ国境付近でいざこざが絶えなかった。数年ち彼が十六の頃は志願兵だけでは戦力が足りず、弟の十三の誕生日の翌月に第一期の徴募兵として軍都に来るよう彼に通達があった。

 父は元から軍人でも、歩兵や狙撃兵ではなく軍医だったからまだよかった。長男である彼が戦争に行かねばならなくなって、体と心の脆い母はうなごえを上げながら泣いた。医者を目指し人の命を救うはずだった息子が反対に人殺しが主な仕事になる時代にその職業に就くことになってしまったのだ。泣くのも仕方がないだろう。



 出立の日、彼は弟に大衆食堂の檸檬ジュースをおごってやった。美味しそうににこにこと頰を緩める弟。なんとなく気になって、サリマンはこう訊いた。


「なあ、アルマン。お前まだあの遊びをしているのか?」

「花占いのこと?」

「いや……『兵隊さんごっこ』の方だ」


「うん」と弟は頷いた。サリマンは悲しくなった。戦争なんて、いいものではないのに。子供は、敵をやっつけることは正義であると学び、愛国心が強いほどに遊びを通して敵を倒すことへの達成感を育てる。大人はそれを止めずに、将来は立派な兵隊さんねなんて笑う。サリマンにはそれが酷く歪で恐ろしいものに見えた。彼らはわかっているのだろうか──自分の子供が、自ら死に近付く予行練習をしていることに。

 サリマンは弟に死んでほしくなんかない。遊びだって止めてほしい。そう伝えようとしたとき、弟は思いもよらないことを口にした。


「別にやりたくないけど、やらないと『ヒコクミン』だから」

「……、非国民?」

「うん。ヒコクミンは家族も皆怒られるんだ。だから僕が皆を守らないと」

「──……」


 サリマンは、弟と十三年過ごして、ようやく本当の意味で彼の賢さとやさしさに気付いた。


 ──この子は、

 ──わかっているんだ。自分が起こす行動が与える家族への影響の全てを。

 ──その中で、一番苦しい道を選び取り、その先でやさしさを見付けている。

 ──そんな風にしか生きられない星の下に生まれている。


 さとい子供だとはわかっていた。理屈や理由を考える前に最良だと思う選択をする。どれだけ苦しい道が待ち受けていても、選んでしまう。

「……アルマン」弟に呼びかけると、丸い瞳がこちらを向いた。両手の中で握られた檸檬ジュースの中で、氷が音を立てる。


「……これから先、苦しくて辛いことばかりかもしれない。幸福に生きてくれなんて無責任なことは言えない。けれどどうか、……お前が、世界で一番やさしい人間だということを、誇りに思ってほしい」


 アルマンは難しそうに僅かに唇を突き出し、うん、と曖昧に返事をした。忘れてしまうだろうか。あまりかまってくれなかった兄の言葉なんて、些細な記憶として一晩夢を見れば消えてしまうかもしれない。それでも言葉にせずにいられなかったのは、彼が弟を愛しているあかしだった。

 寂しい気持ちのまま、かくしてサリマンは軍都に赴いた。彼は毎週手紙を書いた。家族との約束だったからだ。たまに、都会でしか売ってないような本や菓子を少ない給料を削って購入し一緒に送った。家族とのやりとりがあれば、態度と性格の悪い古年兵に理由もなくぶん殴られても、六年間、頑張ることが出来た。


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