狐の窓からみる景色(仮) 読み切り版

pocket12 / ポケット12

桜かなえからの挑戦状

1(かなえからの手紙)

 連日のように気温が30度を超えるようになり始めた七月の半ばのこと。


 LHRロングホームルームを終えた俺は、チャイムが鳴るや否や教室を飛び出して昇降口へと急いでいた。


 背後から聞こえてくる担任の「コラ稲草いなくさっ! 廊下を走るんじゃない!」という叫び声を無視し、三階分の階段を滑るように駆け下りていく。


 もちろん、急いでいるのには理由があった。


 けさ家を出る前に、同居人である陽子ようこから『今日はできるだけ早く帰ってくるのじゃぞ? 私は一刻もはやく続きが読みたいのじゃからな!』と釘を刺されていたからだ。


 というのは、今日は陽子が愛読しているライトノベル『桜宮静さくらみやしずかの執事』の新刊が発売される日なのだ。自分ひとりでは外に出られない陽子は、新刊が出るといつもそれを俺に買ってこさせる。もちろん費用は俺持ち。まあこれは俺も読むのだからいいのだけど。


 問題なのは、陽子は機嫌を損ねると面倒くさいということだ。先月なんか、ちょっと俺が冷蔵庫にあった陽子のプリンを間違って食べてしまっただけで、それから一週間俺は陽子の機嫌を直すためにプリンを毎日捧げることになってしまった。しかも商店街のケーキ屋で売っている一個500円のプリンをだ。俺が食べてしまったのはスーパーで三つまとめて100円で売っているプリン、しかもそのうちの一個だけだったのにである。納得がいかなかった。


 とにかく、そういうわけで俺は急がなければならない。もう陽子の機嫌を損ねて、その機嫌を直すために理不尽な要求を受けるのはたくさんだ。


 そんなことを考えながらも記録的な速さで昇降口へとたどり着いた俺は、靴を履き替えるために下駄箱へと向かう。


 俺の下駄箱の位置は昇降口から見て左の壁に面した棚、その右端最上段にあった。


 うちの学校の下駄箱は扉付きになっており、外からは内部の様子はわからない。それを利用して一部の生徒は、置き勉が禁止されるテスト期間になると、机の中の教科書類を自分の下駄箱の中に移したりしている。勉強する気はあるのかと言いたいところだが、もちろん俺もしているので人のことは言えない。


 外靴を取り出そうと手を伸ばして扉を開け、中に突っ込んだところで違和感に気づく。


「ん、なんだ?」


 何かが靴の上に乗っているようだった。いまはテスト期間ではないので、特に教科書とかは入れていない。だからその類ではないはずだ。


 取り出してみると、それは封筒だった。一般的に広く使われているあの無地で茶色い封筒。サイズはよく知らないがおそらく長3と呼ばれているもの。


 俺はそれをくるくると回して表裏を確認してみる。が、特になにも書かれてはいなかった。けれどセロハンテープで封がしてあり、その感触から中になにか紙のようなものが入っていることは分かった。


 俺は訝しみながらも封を切って封筒を開けてみた。そこにはやはりA4用紙を縦に三つ折りにした紙が入っていた。裏側にして折り込まれていたが、うっすらと透けていて文字が書かれていることが読み取れた。


 開いて読んでみることにする。


 そこには綺麗な字でこう書かれていた。



『稲草たける君へ


 明日の放課後、この場所で待ってる。


 ——1936年Wの、5日目。

 ——1908年の、1日目。1912年の、3日目。2010年の、1日目。1968年Sの、2日目。

 ——2000年の、2日目。1952年Wの、1日目。2006年の、2日目。


 桜かなえより。


 P.S.

 用件は、わかるよね?


 ヒント:日にちを文字に置き換えてみて』



「……なんだ、これ?」


 目を走らせて思わずそう声を上げてしまう俺。それほど意味がわからない手紙だった。


 いたずらだろうか。


 一瞬そう思ったが、最後に書かれている差出人の名前を見てそれは違うかもしれないと思いなおす。

 知っている名前だったからだ。


 桜かなえ。


 彼女は俺のいま所属している部——実際は同好会なんだけど——のたった一人の部活仲間の名前だった。クラスは違うけれど、学年は同じ2年。


 かなえがこの手紙を? と俺は首をひねる。なぜ?


 理由がわからない。


 確かに俺は今日の部活を休むから、明日の約束を取り付けるのは難しかったのかもしれない。


 けれど、その連絡は昼休みに直接会って言ったのだ。そのときに明日会えるかということや、その用件とやらを俺に訊けばいいではないだろうか。


 それかメールとかで知らせてくれてもいい。


 それをわざわざこんな暗号みたいな手紙を送って、かなえのやつ一体どういうつもりなのだろう。


 いやそれよりも、これは本当にかなえが書いた物なのだろうか。俺はかなえの筆跡など覚えていない。何度かみる機会は確かにあった。そしてその時に綺麗な字だなと思ったような記憶もある。……あるが、この字がそうだと自信を持って断言することは俺にはできなかった。


 誰かがかなえの名前を騙っている可能性は十分にある。そんなことをして何の意味があるのかはさておくとしてだ。


 俺はしばらくその手紙を見つめて考えていた。


 が。


 ひとりで考えていても仕方ない、か。とりあえず、本人に聞いてみるのが一番だな。


 そう結論づけた俺は、手紙を封筒のなかへと戻し胸ポケットにしまうと下駄箱に背を向け、部室へと向かうことにした。


 部室のある旧校舎へは二階の渡り廊下からの方が近い。俺は先ほど駆け下りてきた階段をこんどは普通に歩いて上がっていった。



 陽子との約束のことはすっかり俺の頭からは抜け落ちていた。

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