【文学】雲、抹茶サブレ、アリンココロリン

「月に帰らないといけないの」


 道端で去年拾った女の子が、突然そんなことを言い出した。


 僕は去年の春、食費の節約のために土筆を集めていた。

 すると、うす雲みたいな色の土筆を見つけた。くすんだ色をした他の土筆の中ではひどく目立っていた。僕がそれを摘むと、土筆は小さな女の子になった。女の子は1ヶ月ほどで僕と同じくらいの大きさになった。


「月に帰るって……どういうこと?」

「私はもともと月の生まれなの。そろそろ帰らないとみんな心配してるわ」


 僕はその突拍子もない告白をあっさり受け入れた。不思議な出会いをしたんだ。不思議な別れでもおかしくない。僕は月の生活について聞いてみた。


「月と言ってもね、私がいたのは昼の方の月なの。夜と比べると、地味で質素な暮らしよ。派手にやりすぎると、眩くなりすぎて地球に迷惑がかかっちゃうから――ね」


 彼女はそう言うと、軽い笑みを浮かべた。見覚えのある表情だった。僕が月の話をした時の顔だ。


 午後の月はちぎれた雲のようだ、と僕は言った。光に照らされていなければ、月はひどく頼りない。抹茶サブレを食べたときの食べかすみたいなものだ。アリンココロリンみたく、害虫が寄ってきそうな形だ。

 どうして月は、そんな醜い形をしてまでして昼に現れるのだろう。あれじゃ、ウサギだって住み飽きてしまうよ。


 ――あの時の僕は、彼女が昼の月から来たことに気づいてなかった。僕は彼女を傷つけてしまっていた。けど、なんとなくその感情を認めたくなくて、別の話をする。


「なんで地球に降りてきたの?」

「竹取ごっこよ」

「……なにそれ?」

「昼の月で流行ってるの。地球へ行って、突然別れを告げて月へ帰って、男の人が『あなたがいない世界で不死になっても意味がない』って言いながら薬を焼くところを月から眺めるの」


 なんて迷惑な遊びだ。……ん? 不死の薬?


「そんな薬があるの?」

「ないわ。それに、どうせ燃やすんだから、なんでも一緒よ」


 彼女はそう言って小さな包をくれた。そしてすぐに消えてしまった。後にはうす雲が残っていた。


 僕は午後、包とライターを持って公園へ行った。けど、なぜだか火を付ける気になれなかった。空には形のはっきりしない月が浮かんでいた。

 あの包は今も僕の部屋にある。もしかしたら彼女が燃やすように催促してくるかもしれない。その時は何か、昼の月のいいところを話そうと思う。


 そういうわけで、僕は昼の月を毎日眺めている。



~ 「死にたがりの道化」より ~

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