第58話 ドキドキ同棲生活
僕はユグドラシルさんの綺麗な顔を、ライ麦パンでフッ飛ばした。
それにより、ユグドラシルさんが口を滑らせかけた『前世』という発言は、
しかし、母お手製のライ麦パンを凶器として使ったことで、僕は母にしこたま怒られることとなる。
途中で『前世』が禁句だったことを思い出したユグドラシルさんが、『ま、まぁまぁ……』と
ついでに罰として、プリンは僕ではなく父に与えられた。……まぁ、それはそれで願ったり叶ったりなのだけど。
「す、すまんかった。うっかりしておった……」
「いえ、僕こそユグドラシルさんの顔をライ麦パンで……」
「いや、それは別に構わん。……そういえば、つい怒りに任せてお主の顔を掴んでしまった、それもすまんかった」
ちなみにライ麦パンは、あの後でちゃんと美味しくいただいた。神様を殴ったライ麦パン……なんだかご利益がありそう。
そんな感じでいくつか波乱はあったものの、なんとかユグドラシルさんとの夕食会は終了し、僕は自室へ戻った。
ユグドラシルさんも僕の後ろを付いてきて、二人で一緒に反省会をしていたわけだ。
「ところで、ユグドラシルさんは――」
いつまでいるんですか? ……とは、流石に聞きづらいな。
いやけど、なんかもうずっと一緒にいる気がするんだよね……。
ユグドラシルさんと一緒にいるのはせいぜい半日くらいなんだけど、なんだか幼馴染のジェレッド君より長い時間を一緒に過ごしている気がする……。
「なんじゃ?」
「いえ、えぇと……夕食は満足していただけましたか?」
「うむ。お主の母は料理がうまいのう。それにプリンも美味かった」
「そうですか、それは良かったです」
とりあえず夕食は美味しく召し上がっていただけたようで、何よりだ。
「それでじゃ、わしからもお主に聞きたいことがあるのじゃが」
「はい? なんでしょう?」
「夕食前に少し話したことじゃが……お主はディースの使徒ではないのじゃな?」
う、やはり誤魔化せていなかったか……。
とはいえ、さすがに今さら『使徒じゃないなら、やっぱり罰を下すのじゃー』なんてことはないだろう……ないよね?
「ええ、まぁ、そうです。僕は使徒なんてのじゃないです。特に使命を帯びていたりもしませんし、自由に生きています」
「ふむ、そうか……」
ぽつりとつぶいてから、ベッドの上で考え込むユグドラシルさん。
「あの……?」
「……お主には前世の知識があり、この世界にはなかった物を生み出した。抽選とやらも同じじゃ、この世界にはなかった特殊な技能や道具を、お主は取得できるわけじゃ」
僕としては、そこまで大したことはしていないつもりだったけど……。
とはいえリバーシもタワシも売れているらしいし、もしかしたらそこそこ世界に影響を与えていたのだろうか?
「そうであるにもかかわらず、お主は自由じゃ。神の鎖にも繋がれておらん」
「はぁ」
「ディースはそれで良いと考えたのじゃろう。……わしはそのディースに神の役目を与えられただけじゃが、それでも一応はこの世界の神じゃ」
「えぇと……」
「――わしは聞いておかねばならん。お主がこの世界で何を目指し、何を為すつもりなのかを」
「…………」
なんだか、いつになくシリアスな感じじゃないか……?
かつてないほどシリアスなシーン……だというのに、僕の脳裏に浮かんだのは前世の就職活動の記憶だ。なんとなく、面接を思い出してしまった。
志望動機を聞かれているような、入社後に何をしたいか聞かれているような、そんな錯覚を起こしてしまった……。
就活に失敗してニート生活に突入した僕としては、なかなか苦い記憶なんだけど……。
「……その、これといって特に何も考えていませんでした」
「…………」
うん。面接でこんなこと言ったら確実にアウトだよね……。
『入社後に、どんなことをやりたいですか?』
『特にないです』
ダメだな。これはダメだ……。
「え、えぇと、とりあえず村のみんなと楽しく生活できたら、僕はそれだけで……」
面接官の心象が悪くなる前に、ちょっとだけ付け足して回答してみた。
「ふむ……。まぁそうじゃの。確かにお主は、そこまで大それたことを考えているようには見えん」
それは褒めているの? いや、褒めてはいないよね?
「まぁ転生前にはディースさんにも『穏やかで平凡な生活を送りたい』なんて伝えていましたし、これまで通り平凡で人畜無害なエルフとして生きていこうかと……」
「すでに、わしには若干迷惑がかかっておるがな」
「あ、す、すいません。基本は……基本的には人畜無害なエルフだと思うんです。前世の知識を活かして、ちょっとした小物なんかは作ったりしていますけど……」
「そういえば、この部屋にも見慣れん物が数多くあるのう」
ユグドラシルさんが僕の部屋をキョロキョロと見渡した。
……なんか前にもこんなことがあったな。あれはレリーナちゃんのときだったか。あのときは、彼女の闇を見てしまったけど……。
「ずっと気になっておったのじゃが、これはなんじゃ?」
「セルジャン落としですね」
僕の部屋へ来た人は、ほぼ全員が気にせずにはいられない、とてもキャッチーなアイテムだ。
アイテム自体はキャッチーだが、逆に僕から距離を置こうとする人が出ないか心配になってしまうアイテムでもある。
「やはりお主の父か……。しかしこれは……」
「こうやって……
僕は父の胴体を弾いて実践してみせた。
「…………これも前世の玩具か?」
「はい」
「お主のいた世界とはいったい……」
「結構ポピュラーな玩具でした」
「恐ろしい世界じゃ……」
なるほど。ユグドラシルさんには地球産の玩具だと説明できるから、僕自身が引かれることはないのか。それは良い。
代わりに、地球のことをだいぶ勘違いさせてしまった気もするけど。
「あ」
「うん?」
「もしよかったら、父じゃなくてユグドラシルさんのバージョンも作りますけど?」
「絶対嫌じゃ」
「そうですか……」
まぁそうか……。長らくダルマの代役を務めてきた父も、いよいよお役御免かと思ったけど、まだまだ現役を続けてもらわないといけないようだ。
「他に何か面白い物は……む、これがリバーシじゃな?」
「そうですね」
「ふむ。ルールは知っておるが、実はやったことがないのじゃ。ひとつ付き合ってくれんか?」
「嫌です」
「そうか、ありがたい。では早速――――なんじゃと?」
まさか断られるとは思っていなかったのだろう。結果として、ノリツッコミのような真似をユグドラシルさんにさせてしまった。
「その、すみません。実は僕、リバーシが凄く弱くてですね、この世界で勝利したことがないくらいなんです……」
「そうなのか? リバーシも前世の遊具なんじゃろ?」
「はい」
「なのに弱いのか?」
「僕もルールを知っているくらいで、ほとんどやったことはなかったんですよ」
将棋なら……将棋ならやっていたんだけど……。
「うむ。ならばわしと条件は同じじゃな、やるぞ?」
「えぇ……」
……いや、まぁいいか。ユグドラシルさんには結構な迷惑をかけてしまった。にも関わらず、ずいぶんと便宜を図ってもらっている。これで少しでも恩返しできるというのなら、喜んでプレイしようじゃないか。
それに、もしかしたら勝てるかもしれない――異世界での初勝利を収めることができるかもしれない。それが神様相手だなんて凄いことだ。神様に勝ったなんて、きっと歴史に残るぞ?
「わかりました。じゃあ、やりましょうか」
「うむうむ」
楽しそうだなユグドラシルさん。なんだか普通の幼女みたいだ……。
とはいえ、手加減はしない。ユグドラシルさんだって、別に接待プレイを求めているわけでもないだろう。本気でいかせてもらう。そして僕は、初勝利を収めるのだ。
――こうして僕とユグドラシルさんは、夜遅くまで地球産の遊具で遊ぶこととなった。
僕がリバーシの連敗記録を大きく更新した後は、ヨーヨーやけん玉、コマなんかも引っ張り出してきて、二人で楽しんだ。
……いや、それはいいんだけど、この人本当にいつまでいるんだろう? まさかこのままなし崩し的に、ドキドキ同棲生活がスタートしてしまうのだろうか……?
next chapter:朝チュン
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