死神の備忘録
駒縫 もな香
第1話 死神クリス
気温的にも気候的にも過ごしやすいある夜のこと。
僕はベランダに立ち、開け放された窓の縁から顔を出していた。
「あんたなんか…なんで来るのよ!!」
泣崩れる女性が僕に向かって目覚まし時計やら枕やら、罵声をぶつけてくる。
残念ながら物理的ダメージは何も無い。
「すみません、でももう決まったことですから」
努めて冷静に、できるだけ安心して貰えるよう笑顔で伝える。
この行為が感情を逆撫ですることは分かっているのだけれど…
これ以外の対処法が今のところ見当たっていないのだ。
「ふざけないで!!わたしはまだ…これからなのに…まだ死にたくないっ…!!」
普段の綺麗に作られた容姿からは想像出来ないほど、顔を歪ませて泣いていた。
体はこれ以上丸まらないんじゃないかってくらいに縮こまって、シーツを握り締めている。
女性の張り裂けそうなほど辛い気持ちは僕にだって分かるつもりだ。
僕だってお迎えしたくて来たわけじゃないんだ。
物理的ダメージはないけれど、傷付く心は僕だってある。
しかし仕事上、こんな事は口が裂けても言えない。
だって僕は“死神”だから。
**********
ここは死神界。
天使がいる天国や、悪魔の地獄とはまた別の場所だ。もちろん人間界とも違う。
死神といえば全身黒尽くめに黒フード、大鎌のイメージが強いと思うけれど、それはあくまで仕事の時のお話。さらに言えば、大鎌を持てるのは1階級以上の死神だ。
仕事中ではない今は各々好きな格好をしている。主にフードを被る前のワンピース姿が多いかな。
「よー!クリスー!おーい!」
遠くから肩につかない程度の真紅の髪を靡かせて周囲を気にもせずにこちらに駆けてくる。
迷惑そうな視線も介せずな彼は同僚のアレン。唯一僕に話しかけてくる同期だ。
「よっ、クリス!今日お前何件だ?」
「おはよう、アレン。今日は3件だよ。」
途端にニヤリとする口元。
悪い人ではないのだけれど、どうもアレンは苦手寄りの人種だ。…いや、死神種か?
彼は僕が仕事に対して苦手意識があることを知りながら、いつもこの話題を振ってくる。
「相変わらず少ねえなあ!そんなんじゃ昇進どころか死神失格だな!俺なんて10件あるぜ!」
「おめでとう、働き者だね。じゃあ僕はこれで。」
開口一番この話題は正直いって、しんどい。今日はなんだかアレンの話に付き合う気にもなれなかったので、早々にこの場を離れようとした。
「お、おい!ちょっと待てって!その…なんだ、今は閑散期だから、さ?夏になれば水難事故も増えるし、冬になれば雪関連の事故とか、春と秋はかなり自殺者だって増えるからさ、な?あと少し辛抱すればいいんだって。だから…その、落ち込むなって、な?」
「うん、ありがとうアレン。」
…すごく見当はずれなのだけれど、彼なりの励ましの言葉して受け取っておくことにする。
別に僕は死神として出世したいとか有名になりたいとか、そんな願望は一切ない。
むしろ少ない方が嬉しいんだ。だからいつもノルマギリギリの件数をこなすようにしている。
アレンを含む他の死神たちには出世を望まない僕は気持ち悪がられるけれど、僕はそれでいい。
だって、人の死を僕は喜べない。死にたい人間なんていない。死神が来て喜ぶ人間なんかいないじゃないか。
もちろん、喜んでほしいわけじゃないし、傷つきたくないとも違う。これが仕事なのも分かっている。でも僕はみんなのようにこの仕事に誇りが持てない。
僕だけが、死神になった時の記憶がないのが原因…と
解決する気持ちがある訳でもないから、その有難いお言葉も僕にとっては大きなお世話でしかないのだけれど。
そんな事よりも仕事だ、と改めて今日の回収リストを見てさらに僕のモチベーションは下がった。
僕なりに淡々と最低限の仕事をこなしているつもりだけれど、行く前からかなり気持ちが滅入る案件がある。
それは、幸せ絶頂の人に通達すること。
もち上げて落とすどころか奈落の底にまで叩きのめされる訳だから、他の人を回収するより本当に苦しい。
その人たちはこれからの未来に楽しみや希望が待ってるのに…。
今日の最後に回そう。そう心に決めて仕事の支度をするべく帰路についた。
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