176.阿・吽 14巻/おかざき真里

 最終巻ですよ!

 とうとう終わってしまいましたよ!

 けどあの本編最終の見開き! 「現代の夜景」を片方が革靴、片方が草履の誰かが高層ビルの屋上の「端/人の居る位置ではない」から見下ろしているというあたり!

 二人とも形を変えてこの末法の世を眺めているということかな。肉体は滅びてもその精神は。


 振り返って今巻はもう分かたれてしまった最澄と空海それぞれの行動。分かたれてしまうこと自体は前々巻で、空海が執着を持っていたのは前巻で、それも超えた時期、本当に最澄がこの世を去るあたりだから。

 そんで。

 泰範!

 こういうやり方で罰するとは思わなかった! 

 始めの頃から危険な奴を匂わせていた彼に対し、最終的に空海が「最澄のために」怒るあたり! 

 自分でなく泰範を呼び寄せようとしていた前巻の流れともあるのかもしれないけど。

 並び立つ者はついて来させる者にはどうしても! なることができない。することもできない。結果、離れてそれぞれの道を行くしかないんだけど、相手を貶めることは決して誰であれ許さない。

 それが泰範に対しての態度なんだろなあ。


 ところで橘嘉智子。

 彼女のおかげでホントに中華風女性の衣服から国風文化に移行する過渡期の格好が見えてありがたかった!


 それにしても、最澄の正攻法へのこだわり、他者を利用しない、それでいて結果を求めようとするのは結構無理ゲーなんだよな。最後の最期に天台を認めさせたとしても、この話の流れ的には「まず空海の真言が足場を確立させて/たから」なんだよな。

 一方で空海は、物事を「成功させるためにはどうすればいいのか」という発想で現実的に計算している。そのためには様々な演出も使う。目の前にいる民衆を救うなら、まず食わせる。そしてそのために安心させる演出をする。以前の巻で出てきた炎。これがまた効く。こういうことは絶対この物語中の最澄にはできない。これは自分に自信が無いとできないことで、空海にはそれがあり、最澄には根本的に無い。

 空海は自分を嫌っていない。最澄はそもそも最初に母親との関係がおかしくなっている。それをずっとひきずっているのは前巻の時点で布の匂いを吸っていることから感じられる。彼は自分自身を常に責めている。

 空海はそもそもそんなこと考えてもいない。高野山に母親を連れてきた、という辺りが空海の母親との距離をとった、その歳の男としては至極真っ当な対応が出てくる。

 この根本的な部分が、何だかんだ言って、空海の歩みを痛快なものにしてきて、最澄のそれを悲劇的に見せている。

 ただそれは、少し間違えば「空海は周囲の誰のことも強烈に大切に思ってはいなかった」となるけど、それを「後日談」の智泉の死への悲しみの強さを描いたことで「ああこのひとにもそこまで逝った時に悲しめる身近な大切なものがあったんだな」と思える訳で。


 何はともあれ、いつか高野山にまた行ってみたいと思ったざんすよ。

 記憶も胡乱なガキな時にだけ行ったことがあるだけなんだけど、今だったらまた何か見え方が違うと思うので。

 

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