134.もやもやをすっきりさせるべく大和真也の本をちゃんと三度目手元に。

 前に二回書いてますが!

 何というかこのひとの本に関しては小骨が喉に引っかかってる系なんすわ。

 かと言って吉屋信子における同族嫌悪とはやや違っていましてなあ。

 で、米粒写経の動画アーカイブでバカミス提唱者の方の「ミステリは面白ければまずそれが一番」「文章力は二の次」的なことを聞いたこと、大御所作家も初期の文章は酷かった的な話を聞いて、アイデアとか状況からちょいと考えてみることに。



 で、「ジュゼシリーズ」と「スターゲイザーシリーズ」があるんですが、前者について。

 このシリーズはまずもう前提としてデビュー作「カッチン」を読まないと実のところ世界観が漠然としてしまうんですよ。


 このデビュー作は視点を三つくらいにパートを分けて、主人公格の男と女、そして彼や彼女の地球を作ったおおもとの地球の世界に分けてるんだな。

 そんでそのおおもとの地球は既に遠くまで宇宙移民している様な世界で、ミクロコスモスの研究もしていて、……というか、それを使ってゲームをしているという。そのゲームが「カッチンゲーム」。星を一種のカッチン玉ぶつけのように見立てている様な。

 でも実際のとこそのゲームで起こってることはミクロコスモスの中の地球では現実で、ゲームの結果として小惑星が地球にぶつかって滅んでしまうというケースがあり……

 という感じで。

 で、そのおおもとの地球に「ジュゼ・シリーズ」の泉子とか隆とかそういう何か色々色んなキャラを「連れてきた」連中がいる、ということなんだろうけど……

 

 この話を読むと「あ、そーなんだ」と思うことしかり。何でこれをコバルト文庫の中に入れてくれなかったんだ、と本当に思う。

 ちなみにこの作品を今読むなら、古書で今は無き大陸書房から出ている「てめえらそこをどきやがれ!」という未収録短編アンソロジーを読むか、奇想天外のバックナンバーを探すしかない。


 で、17歳が書いたとしたら「何じゃこりゃあ」なんだよ。確かに。新井素子と比べてSF度としてはこっちの方が高かったという理由はわかる。


 ただ!

 その後だいたい同時期に新井素子も彼女もコバルトシリーズで文庫を出してもらったりしたんだけど、新井素子は「小説にSF風味」。

 大和真也は「SFな世界の話」を書いていた訳だ。

 だから世界の前提が前者の方が読者に易しい。地続きで、なおかつ「あってもいいよね未来」という感じの、想像するのが難しいという類いではなかったからだ。新井素子がSFよりは結婚物語とか心理描写系現代ホラーめいたものを書くようになるのも当然。

 だけど大和真也は違う。世界を作りたい方の作家な訳だ。まあ気持ちはわかる。ただ本当に説明が足りない。コバルトや可愛い装丁としては、説明が足りなさすぎだった。読者を何処に想定していたのか判らないのだけど、新井素子が明らかに文系の文章で考え方で感情の流れを書くことが多かったとしたら、大和真也は理系の文章で出来事の流れが中心となって感情が今一つというのが。

 いや無論、作内ではミクロコスモスとその大本を作った地球というものが存在する、ということは説明されてはいる。

 ただ特に最初から三巻くらいの話に関しては、ともかく「読者を置いてきぼりにしている」ようにキャラが動いて、SFやアニメ好きが気付くとにやりとするような部分が多すぎたり(戦車がアーデルハイトだとか狐はロンメルから来てるとか読んでる小説がゼラズニイだったり)、どうにも「名古屋の理系の内輪感」が強すぎた。そらまあ、大学生が周囲の世界をモデルにした方が速かったとしたら仕方ないのだけど。学園都市とか研究室とかコンピュータの描写の多さは。


 そんで語り口。彼女は初期作品の方が逆に読みやすい。

 コバルトの初期の話はどうも新井素子口調をあえて真似させられた様な「あたし、」な饒舌さなんだわな。

 それと多用される「お宅」という二人称。だいたい80年代前半のSF・アニメ好きが相互をそう呼び合っていたという「オタク」の語源の一つが多用されすぎているのは、今となっては相当読み返すときついんだわな……

 じゃあ当時としてはどうか、というと。……まあ使っていたから違和感はなかったわな。


 最初のコバルト作品の「フォックスさんにウインクを」は今でもたぶん「何をしたい話なのか判らない」というもやもやがあるんだわさ。

 ミクロコスモス関係に「巻き込まれた」主人公が帰れるまで色んなことにぶつかって、何となくその場その場で色々やって感じて~

 なんだけど、前述した饒舌と、この話の語り手の「づみ」ちゃんに共感しづらいというか何というか。それと彼女に関わってくるキャラが何かと裏にありそうなんだけど、この話の中では何もそれが明らかになっていない、ということもあるし、男性キャラの書き分けが厳しいというのも。


 つかまあ。おそらくはキャラなんだよ。一番の問題は。

 SF設定やギミックの方に明らかにこのひとの作品は傾いてる。挿絵が最近のものだったらまた印象変わるかもしれないけど、ともかく何故か可愛い系(逆井氏の絵をそういうのか謎ではあるけど当時としては可愛い方だと思う)を持ってきたことも違和感の原因でもあるざんす。

 これがスターゲイザーシリーズとなると、もうFTのかたまりの様なめるへんめーかー氏なので……

 まあ、彼女でなくともハヤカワの国産SF作品とか読んだ時に「誰が何やってるのかよく判らない」でお手上げになったことはよくある。

 ミステリと同じく「アイデアが良ければ後はいい」という評価だったら確かにそれは通じるんだけど、それをコバルトにもってきた場合、キャラ立ちが弱すぎだった様な気がして仕方ない。


 ちなみに三巻目の「回らない風車」でワタシはこのひと読み出したんだけど、正直当時も買うか買わないか、三度がとこ迷って結局買って首かしげて他を揃えた気がするんだわな。

 いやもう当時だからチャリで走り回って。今の様に通販が簡単ではない時代だし。

 たぶんそれだけに買ったものには価値を見いだそうとしたんだと思うんだけど、……このもやもや感で二度売って三度買って、という銀英伝のようなことしているから困ったものだ。

 

 その三巻目がまた違和感大きいのが、主人公で語り手のちひろ嬢は普通に名古屋みたいな場所の地下鉄に乗って恋人が出発するのを見届けようとするし、彼女自身は経済学を専攻していると言っても別にその後そのテの話が出る訳でもないし。どうも周囲が彼女を合法ロリ的に甘やかしている様な描写と同時に、彼女の出身であるジュゼは菓子にすべくの食材人間の供給先だったり。

 ……なんだけど、その世界で何でカセットテープでナイアガラ・トライアングルもどきが流れるのか、がアンバランスなんだよな。

 文化と技術が一致しないんだよ。この世界がようするに上記「カッチン」のおおもとの地球な訳だ。無論「当時考えた」というハンデはおいておいても、じゃあ今の時代で実は裏でそんな技術作ってますと言われて更にそこを嘱託地として統治しているとか世界情勢はどうなのとかそういうのすっとばしているのもあかんかったのかもしれない。


 ……まあな、スターゲイザーシリーズみたいに「実はこれコロニーを連ねた移民船なんです」の中でいきなり「今日の晩ご飯は豆腐の……」とかをサナとかキリーとかの名前の金髪とかのキャラがやってること考える違和感よりはまだましなのかもしれないけど……


 とまあ、この何というか「ここがもやもやする理由」のためでも何でも本を買い戻してるんでちょっと見逃して。  

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