62.鬼滅終わりましたねえ。ということで連載のバランスとかのこと。

 今回はコミクス出してどうのこうのの話ではなく、ずーっと一回目から連載見てきての感想。

 あんままとまっていない。


 というのも、ワタシ10巻くらいまで持っていたんですが、その辺りで「ずーっと持っている話ではないな」という判断で売ったんですね。

 でまあそれで別に問題はなくその後も雑誌連載で楽しく読んでいた訳ですが。

 だから逆に連載「だけ」の流れの唐突さが感じられたんですな。


・柱と鬼があれだけいるのに最終決戦が唐突だった。

→それまでのテンプレだった柱の過去と鬼の過去それぞれを絡めるやり方(列車編・遊郭編)ができなくて一気に過去を最終戦にぶっこんできた。


ので、

・無惨がどうやって鬼になったのか

・上弦の高位の鬼の過去

・柱のその他のひとびとの過去

が唐突だったので記憶に残りにくくなってしまった。


 それまでのエピだと鬼の最後に過去が入ってきて成仏する感じだったのに、戦闘でいっぱいいっぱいの中でそれをする+戦闘場所の作りがごちゃごちゃしていること、多人数が散らばっていることで印象が薄れてしまった。

 これはまあ、コミクスでまとめて読めばきっと判るのだろうけど、先の巻に比べればキャラとエピの配分がやはりバランスが悪い感がある。


 ので、たとえば「おばみつ」ワタシもええよなあとは思うんだけど、彼の過去(はあんまりにもあんまりだったので記憶に残った……)が最後の最後になって出てきたので切ないと同時に唐突感があったり。


あと

・無惨の仮の家族達はどうやって入手したのか

はやっぱり謎のままだったし。


 というか。

 そもそも連載中に「え、もう最終章?」と思ったんだよな。

 その後に「え? 鬼滅いきなり人気?」だったという辺り、幾つかの事情は考えられる訳だ。


 鬼滅が人気でる要素は第一回からありまして、まあこれはヤンサンとかで解説していたけどモノローグ展開の「少女マンガの手法」を最初に使っていたということ、鬼というけど、吸血鬼モノの要素もあった訳だよな。

 そうすると「人には戻れない/戻らない」それぞれのドラマが存在する訳で。

 で、第一回がアレだったことから、終着点は「ねずこを人間に戻す」ってことが既に提示されてたんだよな。そーすると中がどういう展開であったとしても、最終的にそこに持っていければ着地できるという構成。


 作品が途中でぐだぐだになる場合、その着地点が第一回で今一つうすぼんやりとしていることが多いんだよな。連載第一回ってのはその点で大切で、そこで「あ、こりゃあかん」と思って実際そういうことも多い。


 テコ入れが必要な作品ってのはそこがぐらぐらしてるから方針転換「できてしまう」。

 方針転換ができないくらい着地点が決まっていれば、テコ入れはそもそも「できない」はずなんだよな。

 だからそれを「しなかった」のは鬼滅はよかった。途中の掲載位置がかなり下がったとしても。


 ちなみに現在バトル・バトル・バトルな連載である呪術回戦とチェンソーマンを例に取ると、「個人の意見として」前者が実はもうずーっとわかんなくなってるんだよな。後者はそうでもない。

 どっちもひたすらバトルしているんだけど、前者はどっかで設定を見落としたことと、皆スタイリッシュなせいで見分けがつかなくなった、というのがある。つか「誰が主人公?」というのを見失った時点でおはなしが判らなくなった。

 後者は「何も考えてない」デンジが何だかんだ言って敵の目的というかターゲットというかになっているということなんだよな。こんだけごちゃごちゃになっていて、絵がギリギリの度合いでグロくても軸がぶれてないというのでかい。おかげでただひたすらバトルしてるだけでも「生存競争」というだけで読めるんだよな。マキマさんが何であろーがそれはまあ後で判るよな、という感じで。


 ちなみにそういう構成は松井せんせいが上手いんだよな。「ネウロ」の時はどの時点で切られるか、で構成それぞれ考えていたらしいし、「暗殺教室」はそもそも「時間限定」の話だから、重要な点さえキープすればあとは調整が利く。最低「どーしても」のエピ以外は、生徒個々人のエピが入るだけの話数があればいい訳だ。

 つかあれは、そもそもメディア化も連載前に念頭において計算していたくらいだから構成とキャラにおいて秀でてるのは確か。


 鬼滅がブレイクしたのは間違い無くアニメのせいなんだよな。

 キャラの生き生きした部分とちょっと「え、こう来る?」というこの主要トリオの性格とか、雑になってる時のちょこちょこ感はやっぱり楽しい。

 ただやっぱり背景とか空気感は「足せば化ける」ものだった訳だ。(震災以前の)大正時代を持ってきたこと、その前の雪国、汽車といったものは、絵で見せれば魅せられるものだけど、雑誌原稿においてはキャラとのバランスが崩れすぎてしまうとこれはこれで魅力が失せる。

 これがアニメ補正が入ると、キャラそのものにも微妙に補正が入るので、アップしすぎの背景等にマッチできる訳だ。


 ちなみに弱虫ペダルの場合、あれは元々が全部基本フリーハンド系、転んだりするとこの過剰なギャグになってる部分が雑な線で自然になってるので、アニメの均一線と綺麗さで微妙に良さも削ることにはなってるがな……


 まあともかく、「唐突な最終決戦」の違和感は、

・早く切り上げざるを得なかった事情があった

・それ故に決戦の中にエピを詰め込まなくてはならなかった

だと思う。


 そんで、大正最終回で、三人+ねずこで「家に帰った」あたりで、この三人+ねずこは一緒に暮らそうってことで、後でカナヲとアオイが色々片付けてから追ってきたと見たほうがいいかなー。

 特に短命な人々の場合、とっとと結婚した方が良かったろうし、そもそも結婚許可するための戸主とかも存在しないような連中だしなー。そんでこの時代だぜ。今より結婚できる年齢は早いんだ。

 とっとと結婚したと見える。だから「ひいじいちゃん」なんだろーな(笑)。

ただしこの綴じ方は…… まあ田辺聖子も戦中の肉筆回覧誌には和綴じ使ってたしなあ。でもまじいつ書いたんだ善逸、とは思うんだがな……


 そして写真が残るという辺りが剣劇でありつつ大正、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る