15.「ハイジ」アニメが原作から抜いてつけたもの。

 アマゾンプライムのdアニメに加入したらハイジが入ってたんで。

 ペリーヌの時もそうだったけど、ワタシは大体半ばから後半が好きでして。

 特にハイジの場合、彼女がホームシック酷くなってとうとう夢遊病になってしまう辺りからがたまらんどす。

 昔は結構ハイジがフランクフルトに来てからゼーゼマン夫人が来るまで、居るあたり、長く感じたんだけど、結構物事自体は一つ一つこなしていたのね、と。


 で、久しぶりにできるだけ完訳に近い奴を、と思って昔読んだハードカバーの矢川澄子訳を再入手。あ、安くです。はい。これ高い奴だから。


 と思ったら新訳文庫出てましたよ! 欲しくなるじゃないですか!

 とはいえ、だいたい昔のほうが言葉をずけずけ出すからニュアンスがおおもとに近い感覚があると思うんですがね。これはペリーヌでもそうだった。岩波の訳は滅茶苦茶古いから、当時の単語でよく出てくるんですな。


 で、原作ってのは基本キリスト教(プロテスタント)観で一貫しているから、その辺りをまずアニメではどうしても! ということ以外抜いたんだろなー、と今になっては思うのだわ。

 だから時々「?」というところは出てくるんだよな。


・何で突然アーデルハイトという名が出てくるのか


 これはガキの時訳わからなかった部分なんだよな。洗礼名かどうかはともかく、要するにアーデルハイトの愛称がハイジである、ということが単純に判らなかった。

 で、もろキリスト教の流れを抜いた部分。


・ゼーゼマン夫人があまりにも辛いと思っているハイジに対し、全ては神様の思し召し、祈っていれば本当に必要な時に本当に良いようにしてくれる、と諭す。

→それがまた戻ってきたアルムおんじに伝わる。

 聖書の「追い出された放蕩息子がへとへとになって戻って下働きでもいいから使ってくれ、と戻ってくるところを父親は暖かく向かい入れる」場面の説明とか。

→またあなたの息子となっていいのですか? と神様に問いかけ。

→おんじがハイジと一緒に教会に行くようになる。


 この流れは全部カットされて、「手紙や本が読めて楽しそうなハイジを見て、学校に行かせるために冬の間村に降りる」ということでまとめてしまっている。

 そんで字といえば。


・ペーターのおばあさんがもの凄く「読めたらねえ」でハイジが戻ってから読む詩

・その詩を冬の雪の深い間ペーターに代わって読んでもらうために彼にちゃんとABCを教える部分

・読めたはいいが飛ばし飛ばしなんで「ハイジとは違うねえ」というとこ


 この辺りは原作のペーター下げ、というか、元々ペーターとハイジは違う階級という意識が原作者に働いている気もしてる。

 で、その詩ですが。


・おばあさんに読んだ詩をお医者さまに聞かせたらもの凄く彼の悲しみが救われた


 クララのお医者さまに関しては相当設定が変わっててですね。

 彼がアルムの山に行くことにしたのは、半分は「既に亡くなっている妻」に加えて、「最近娘を亡くした」ことで何もする気がしなくなっていたところを友人のゼーゼマン氏が旅行先を決めてやったという次第。

 どうしようもない悲しみを抱えた彼も、ハイジがおばあさんに読んであげた「一番好きな部分」と山の美しさとかで救われることになってる。

 しかも一ヶ月滞在して、その間アルムおんじ自身と仲良くなるという。

 しかもこれが最後の最後になって、あのでかい廃墟な家を買い取って本格的に改築して引っ越してくるという流れ。しかも「先が決して長くない自分に代わって」アルムおんじの亡くなった時にはハイジがお医者さまの養女になる様な流れになっているんだよな。


 で、上にもかいた「ペーターとの階級意識が働いてるんじゃね?」という考え。

 まずアルムおんじとハイジの出自。

 これは最初の章でデーテが一気に言ってるんだけど。

 デーテはハイジの母親のアーデルハイトの妹。で、「うちの母方のおばあさんがあのひとのおばあさんのいとこだったし(中略)父方からいえばほとんどデルフリの村じゅうが親せきみたいなもので」という関係。


・「ドレムシュグでもいちばんちゃんとした農場」の放蕩息子だったおんじ

→ばくちや酒でついには家屋敷まですってしまった

→両親が気落ちして死亡、弟は失踪

→ナポリで兵隊をしていたとか

→その時けんかで人を殺して脱走したんじゃないか、という噂


 ただしその後地の文で、シチリアの激戦で手足が動かせなくなった上官をずっと死ぬまで世話した、上官はおんじのみ頼りにしてかたときも離さなかった、とあるので噂はあくまで噂なのかもしれないのですがね。


→男の子だけ連れてもどってきた

→息子のトビアスは大工になったが結婚して二年ほどで仕事中の事故で死亡

→元々丈夫でもなく、夢遊病の気があったアーデルハイトもその数週間後には死亡

→ハイジはデーテとその母で引き取ったけどその母も亡くなったのち、ラガーツの温泉で働く間はハイジはウルゼルおばさんにお金を支払ってあずかってもらってた


 ちなみにこの時点でハイジ5歳なんですね。

 まあこの時間に関しても何つか色々思うことはあるんだけど。

 だからつまりハイジは「元をただせばそう悪くない血筋」を持っていた、ということになる訳だ。

 その一方でペーターは、というと彼はアニメの方で相当改変されて「良く」なっているのだな。

 そもそもの彼はクララが来ると聞いたあたりでともかく機嫌を悪くするやら、車椅子を突き落としてしまうやら、その罪悪感(というより警察に捕まるんじゃないかという思い)に苛まれて、一度は坂を転がり落ちてあいたたたたなことにもなったりするんだけど。

 アニメのように木工細工に才能があるかもしれない、とか、つっかえつっかえだけど一応読めない訳じゃない、という設定ではないのね。字もハイジが教えてやっと何とかなったという。

 アルムおんじとお医者さまは対等の友人になっていたし、ハイジは結局は元々の階級に戻る、という感じなんだな。


 あと何と言ってもロッテンマイヤーさんだよな。

 彼女はあくまでフランクフルト編での登場人物に過ぎなくて、挿絵的にももう少し年取った感じで、風変わりな格好をしていて、病気のクララのご機嫌をとるのがわずらわしい、という描写があるくらいなんだから。無論そういうひとだから山へ行くなんてごめん、ということで出てきません。典型的な当時の良い家を仕切る「家政婦」を配置したんじゃねえかな、と。

 オールドミスで、わざわざ山までついてきて、都会人には耐えがたいこともあったろーけど何とか自分流も通しつつお嬢様の側にいたい、ほとんどお嬢様という存在に依存してるんじゃね? と思わせるくらいの彼女は完全に創作のたまものです。


 これはアニメがペーターをハイジやクララと一緒の「階級関係ない子供」の位置に引き上げたのとまた別ベクトルの「郷には入れば郷に従え」的改変じゃねえかな、と。街が耐えられなかったハイジの対比というか、その逆をこれでもかとばかりに味わわせてる感があるんだよなあ。

 いやまじ、アニメのこの人がんばったとは思うのよ。ただくそ真面目だから子供の気持ちがわからなくて、たまたま動物が大嫌いで、できれば階級的に村の人々とは一線おきたいという気持ちがあったんだと思うんだわな。それこそゼーゼマン夫人のほうが当時としては変わり者に属するとは思うんだけどね。

 何で彼女が一緒に暮らしていないのかも気にはなるけどそれは原作には書いていないしな。


 ともかく名作劇場系は原作も読むと面白いぜその2、ということだわ。

 あ、一番はペリーヌね。

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